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メッセージ花火記念品 [2011年08月31日(Wed)]

 今年の長岡花火大会で打上げたメッセージ花火「長谷川泰ものがたり」の記念品が、市の観光課から届きました。
 なんと、尺玉の原寸レプリカです!(金色の座布団付き!)



 新組地区の皆さんと協賛者の皆さんで打上げた、華やかな10号10発は、素晴らしい記念の花火でした。
 さて、どこへ飾らせていただきましょうか?
高橋竹之介展示館 [2011年08月20日(Sat)]


弥彦山を背景にした生家跡にある顕彰碑


 長岡市中之島町の杉之森公会堂2階には、幕末〜明治越後の要人「高橋竹之介」の史料が展示されています。高橋竹之介は外山脩造や長谷川泰と同じ天保13年(1842)生まれ、そして長善館では鈴木文臺の同門ということで、初めて見学に訪れました。
 展示室自体は平成22年10月開館ということでまだ新しく、長岡市コミュニティ事業助成では長谷川泰の顕彰事業と同期というご縁もあります。


PRパンフレット


 天保13年(1842)高橋竹之介は杉之森の庄屋の次男として生まれました。
 20歳の年に長善館に入門していますから、14〜16歳ころに在籍した長谷川泰とは時期がずれるようです。長善館には僅か1年程度の在籍で西国遊学に旅立ちますが、後に勤王の志士を輩出する2代目館長鈴木タ軒(てきけん)と交わり、既に世直しを志していたのかもしれません。
 そう、高橋竹之介は越後の勤王組織「方義隊(後の居之隊)」の創設メンバーなのです。長谷川泰は河井継之助の抜擢で長岡藩軍医になりましたが、幕末の越後の人々は立場を二つに対立していたのでした。
 北越戊辰戦争における高橋竹之介の戦功は目覚ましく、越後を自ら転戦し、地理に疎い西軍諸藩を先導しました。京都での会議では、大久保利通、大村益次郎らに北越での戦略を説くとそれが採用されています。その海路からの増援作戦が長岡城を陥落せしめたともいえるでしょう。


竹之介が戊辰戦争で携帯した越後の地図を拡大展示(写真奥)


 戦後、明治新政府の東京遷都に強硬に反対した高橋竹之介は、不遇にも収監されてしまいます。
 越後の勤王党は帝による治世の再現に向けて、真心をもって活動を行ないましたが、それは新政府の方針とは相容れぬものであったようです。

 出獄後に高橋竹之介が行なったことは教育でした。長岡に開いた「誠意塾」では大竹貫一(国会議員)、武石貞松(漢学者)、堀口九萬一(外交官)ら、600名を超える師弟を教育しました。
 戦争を経て焦土から復興した長岡で、竹之介が何を教育したのかには、大変に関心があるところです。

 明治29年(1896)「横田切れ」の大洪水で越後平野は大打撃を受けます。
 中世、大津波で大半が水没していた越後平野の歴史は治水の歴史でもありました。江戸時代末期に良寛が子を売る農民の苦しみを詠い、さらに時は流れ、明治の文明開化が叫ばれる世の中にあっても、依然として人々は水害に苦しんでいたのでした。
 その横田切れ翌年、高橋竹之介は立ち上がります。自ら考案した「北越治水策」を、時の権力者山縣有朋へ向かって建白したのです。帝国議会では教え子の大竹貫一が越後の治水を必死に説いていましたが、竹之介のこの尽力があってこそ、あの東洋に類を見なかった歴史的な大工事『大河津分水』の建設が成されたのでした。
 かつては北越戦争を先頭で指揮した山縣有朋です。そこで高橋竹之介の活躍を知り、大きく信頼を置いていたのでは無いでしょうか。


竹之介による大河津分水の構想図


 越後を二つに裂いた戊辰戦争を、現在の私たちが知ることは苦さを伴うものです。しかし、高橋竹之介のように新政府への人脈を持つ人物が、自ら教育した越後の後輩を活躍の場へ送る要となっていたことは忘れられません。
 同時に、敗者であった長谷川泰や外山脩造、梛野直らが(皆、天保13年生まれです)戦禍の中に立ち上がり新時代を創っていたことも知るべきなのです。
 幕末越後の先人たちは強い人々でした。

この度は高橋竹之介顕彰会代表の山本さんにご案内を頂きました。ありがとうございました!



 御当地伝記マンガ「長谷川泰ものがたり」では、長善館のシーンで多一の喧嘩相手に「竹之助」という少年が登場します。ストーリー上で高橋竹之介その人を指すものでは無いのですが、門人リストから同い年の人物を探して似たような名前をお借りしたという経緯があります。
 実在の二人の関わりについては、今後の調査でまたご報告したいと思います。ブログ管理人は、必ず交わりがあったと考えております。
「武石弘三郎」友情の双像 [2011年08月19日(Fri)]

 中之島町長呂地域の神社、若宮社には、湯島天神の長谷川泰座像を造った「武石弘三郎」の作品があります。長呂は、日本彫刻界の草分け、武石弘三郎の生地でもあります。
 武石弘三郎は、東京美術学校(現・東京藝術大学)では、あの高村光太郎の先輩にあたります。(新組地区に新たに建立予定の長谷川泰像の作家・峰村哲也さんは二人の後輩ということになりますね。)



 この像の二人の人物は、向かって右が弘三郎の兄で漢学者の武石貞松。左が貞松と義兄弟の契を結んだ堀口九萬一(長岡で育った文学者の堀口大学の父)です。
  武石貞松は世の中に教育が行き渡ることに尽力しました。堀口九萬一は外交官として活躍しています。
 生涯続いた二人の友情を表現したこの像は「友情の双像」と呼ばれています。
 
 二人の友情は、高橋竹之介が明治に入って長岡に開いた私塾「誠意塾」の同門となったことから始まりました。
 越後勤王の重要人物で大河津分水建設の立役者でもある高橋竹之介は、長呂に近い杉之森地域の出身です。長谷川泰とは同い年で、泰と同じく粟生津の「長善館」の門下です。
 杉之森には高橋竹之介の資料室がありますので、後日見学したいと思います。


長岡市観光課
「友情の双像」


新潟百景
県内にある武石弘三郎の作品「竹内式部像」(長谷川泰像と同年、大正5年竣工)


長谷川泰翁像建立基金にご協力ください。
<主管>郷土の偉人長谷川泰を語る会
      新潟県長岡市新組町5331-1 電話0258-24-3123(愛輪商事内/事務局)
口数や額は定めておりません。できるだけ多くの方からのお気持ちを頂戴したいと考えております。
※当ブログ関連記事「長谷川泰翁像の建立が発起」

 【寄付金の振込口座】
 ゆうちょ銀行 00510-9-84951
 加入者名 長谷川泰を語る会
「長岡新聞」下水道の父 [2011年08月18日(Thu)]

 本日8/18の長岡新聞1面に、長谷川泰にまつわる記事が掲載されました。



 県内の下水道普及率に触れ、そして日本初の下水道法を制定した長谷川泰を「下水道の父」として紹介されています。
 星野伊佐夫新潟県議を発起人代表とした長谷川泰翁銅像建立の流れも記事になっていましたので、どうぞご覧になって温かいご協力をお願い致します。

※当ブログ関連記事
「長谷川泰翁像の建立が発起」



 先日、長谷川泰翁像を制作して頂く峰村哲也さんのお話をお聞きしました。
 峰村さんは、長谷川泰を開学の祖とする日本医科大学を訊ね、墓所、生地、そしてご子孫への面会を希望されるなど、大変に積極的に制作活動を行なわれています。先だっての良寛像制作のドキュメント番組を観ても思いましたが、何よりも像に魂をこめようという真摯さに心打たれました。


人物の目線や動きが手鞠を中心に引き寄せられる構図
手鞠を中心とした宇宙観を表現したという作品「良寛さん遊ぼ」


 峰村さんは原型となる塑像(ねんど像)だけではなく、鋳造の元になる石膏の型を自ら修正し、さらに鋳造にまで目を通されます、作家として大変な責任感だと思います。(これが本来あるべき姿なのかもしれません。)さらに今回の長谷川泰翁像では、銅像の土台の意匠を手掛けて頂くことになっています。
  良寛、河井継之助と長谷川泰の精神を形作った偉人像に携わられた峰村哲也さんは、今回の建立にあたって二人と居ない人物なのです。


峰村さんのアトリエにある河井継之助像の原型石膏像

【交流班】長谷川泰と良寛さん [2011年08月12日(Fri)]

  8月12日、長谷川泰を語る会で新たに立ち上げられた「交流班」の企画により、「長谷川泰と良寛さんをもっと知ろう!」と題して、史跡めぐりのミニツアーを行ないました。
 交流班では、会の外の方と楽しく交流し、長谷川泰先生の功績を知っていただきます。
 その第1回の企画がこのたびのツアーでした。



 コースは、長善館史料館→五合庵→出雲崎(良寛の生地)→長谷川泰の生家跡→新組着でした。
 参加の皆さんは、良寛から長善館の鈴木文臺へ、そして長谷川泰へと流れる「慈愛の心」の繋がりを知ることができたようです。
 新組に帰ると、残り時間で良寛の書「天上大風」の凧作りを楽しみました。



 郷土史初心者やお子さんにもやさしい内容作りを心がけますので、次の企画にもどうぞご注目ください。
長谷川泰翁像の建立が発起 [2011年08月10日(Wed)]

 来年、平成24年で没後100年を迎える長谷川泰先生。
 その功績を讃えるべく、先生の全身を象った銅像を、子どもたちの明るい声溢れ緑多き生地「新組地区」に建立する計画が発起されました。


峰村哲也さんのスケッチ(あの湯島天神の銅像を元にされています)


 銅像の制作者は、長岡市在住の峰村哲也さんです。
 作歴を見ておわかり頂けるように、良寛・河井継之助ら越後の先人に学んだ長谷川泰先生の心を表現するには、二人と居ない素晴らしい作家さんです。
 峰村さんは、東京の日本医科大学を訊ねるなどして、既に長谷川泰の精神を探りながら制作に入られています。
 (大正5年建立、湯島天神の長谷川泰翁像の作者は、現在の長岡市中之島町長呂出身の武石弘三郎です。詩人・彫刻家の高村光太郎の友人でした。)

<峰村哲也さん作歴>
 昭和31年生、東京芸大大学院博士課程終了。
 「良寛さん遊ぼ」(西大畑公園)
 「河井継之助像」(河井継之助記念館)
 「生きる−母子像」(長岡戦災記念館)


 以下に、銅像建立の趣意書の文面を転載させて頂きます。
 各方面の名士・有志に発起人として名を連ねて頂けたことに、長谷川泰先生の功績の大きさと、この銅像建立の意味の大切さが表れています。

<長谷川泰先生像建立の趣意書>
 日本の医学の父ともいわれ、長岡が生んだ偉人、長谷川泰先生没後百年を期に、先生の概略を述べ遺徳を偲びたいと思います。
 長谷川泰先生の家は、代々医学者としての家柄であり、泰先生も、幕藩時代に江戸医学所に学び、医師になった時に、戊辰戦争が始まり、長岡藩の軍医として従軍し、負傷者や多くの住民達の救済に当たった。
 戊辰戦争終了後、東京に戻り、東京医学校々長を始め、数々の医学校々長を歴任した後、済生学舎(現在の日本医科大学)を開設し、医学生の教育に情熱を燃やし、野口英世博士や吉岡彌生先生ら、多数の有名医学者を輩出した。政界においては、伝染病対策として、政府に請願し、日本で初めての下水道法を制定させ、北里柴三郎博士の研究成果を逸早く認めると、伝染病研究所開設の強力な支援者となった。前記の偉業に対し、大正五年に湯島天神の境内に長谷川泰像が建立されたが、太平洋戦争の最中に徴収され、現在に至っている。長谷川泰先生の心底にあった、「広く民衆を救う」 という済生救民の心情が、同意の若者を育てたものと思われる。
 この度、特に長岡市民の皆様や、医学界の方々より、先生の出生地に像を建立したいと日々に切望する声が大きくなりましたので、多くの人々にこの偉業を永く伝承して頂きたく、ここに趣意書を作成し、末永く遺徳を偲ぶ糧にしたいと願うものであります。

   発起人代表 新潟県議会議員 星野伊佐夫
   発起人 長岡商工会議所会頭 丸山智
   発起人 長岡医師会々長 太田裕
   発起人 中央綜合病院々長 吉川明
   発起人 長岡管工事組合長 室橋一司
   発起人 郷土史研究家 稲川明雄
   発起人 燕市長善館研究家 吉田勝
   発起人 新潟県生活衛生同業組合連合会々長 小林弘昌
   発起人 長谷川泰を語る会代表 恩田利平太

<主管>郷土の偉人長谷川泰を語る会
      新潟県長岡市新組町5331-1 電話0258-24-3123(愛輪商事内/事務局)


 長谷川泰を語る会としても、地元新組地区の住人、長岡市民を始め、長谷川泰先生を慕う多くの皆さんから、建立資金の寄付のご協力をお願いしています。
 口数や額は定めておりません。どんなにささやかなものであっても、その温かいお気持ちをできるだけたくさん集めたいと願っています。

 【寄付金の振込口座】
 ゆうちょ銀行 00510-9-84951
 加入者名 長谷川泰を語る会


 長岡市内の各コミュニティセンターでは、銅像建立のチラシと趣意書、寄付金の払込票を配布されるように用意が進められておりますので、準備が整いましたらまたご連絡いたします。
復興祈願花火フェニックス [2011年08月02日(Tue)]

 復興祈願花火「フェニックス」
 今や長岡花火の顔となった美しい花火ですが、今年は東日本大震災の復興も祈念して打上げられることになりました。
 ご覧になった方々からは、心にえも言われぬ感動がわき上がったとの声が聞かれます。
 中越地震の翌年に誕生して7回目、平原綾香さんの「ジュピター」に乗せた広大なスターマインは、理屈を超えた美しさを備えるまでになりました。

 動画は2006年のフェニックスです。(YouTubeより)



 私事ですが、妻が出産を控え長岡の入院しています。
 病院の窓辺には、点滴を下げた小学生たち、新生児を抱いたお母さん、出産間近の妊婦のみなさん、そしてその家族たちが集まっていました。
 そこで僕も、皆さんと今日のフェニックスを見たのでした。
 花火の日の、とても素敵な光景でした。


 フェニックスの打上げは皆さんの力に支えられています。
 感動をまた再現するために、暖かいご寄付をお願い致します。
 「復興祈願花火フェニックス公式サイト」
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