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地域コミュニティ事業補助金 [2011年05月31日(Tue)]

昨年に引き続き、平成23年度の長岡市地域コミュニティ事業補助金交付事業に、長谷川泰を語る会の事業内容が認定されました。
6/1より、23年度の助成対象期間になります。
お金を有意義に使わせていただくように、がんばらないと!

まずは長谷川泰翁杯親善少年野球大会【タイ・カップ】です。
6/18(土)、新組小学校グラウンドで開催予定。
地域の皆様、参加チームの皆様、宜しくお願いいたします!
山縣有朋 [2011年05月30日(Mon)]

山縣有朋を、帝国議会で「薩長閥の闇将軍!」と野次ったのは長谷川泰でした。

彼が奇兵隊の隊長・山縣狂介であり、長岡を攻めた北越戦争から続く因縁。
朝日山の戦闘において、立見鑑三郎率いる桑名の雷神隊の猛攻により、親友時山直八を失ったことは山縣の心を痛めて続けていたでしょうか。
それとも、戦端が開かれる前に、自らが慈眼寺で河井継之助と相対すべきであったと悔いていたでしょうか。


明治政府内で力を振るった薩長閥にとって、長谷川泰は難敵でした。
板垣退助の自由民権運動に賛同した長谷川泰は、自らが衆議院議員となると、官尊民卑の政府方針に異を唱え続けています。

そして反撃が起こります。明治23年(1890)医学誌上で森鴎外がその文才を駆使して行なった、辛辣な済生学舎批判。それに端を発して、長谷川泰は組織的な攻撃に晒され続けています。
中でも長谷川泰が心を痛めたのは、同郷の後輩たちとの対立であったでしょう。
泰の書生であった川上元治郎、泰に進路を頼った小金井良精。そして特に、済生学舎の講師であった入沢達吉からの批判は痛烈でした。
長谷川泰の伝記を追って行くと、親密であったはずの同郷の後輩たちとの対立には違和感を覚えずにはいられません。医事行政を巡り専門家同士互いに譲れない立場があったとしても、釈然としないものがありました。
(泰の死のわずか5日後の葬儀も終わらぬうちに、入沢達吉は「長谷川泰論」なる批判文を公表しましたが、賢人である入沢の行為であるとは信じられないようです。)

ここに山縣有朋の隠然たる影響力があったとするのは、それほど空想的でもないようです。
歴史に名を残す人物たちには、それぞれ強い信念と立場があり、どちらを一概に悪いとするものではありませんが、長谷川泰の今後の研究対象として大変に関心があるのが山縣有朋です。
同時に、泰の親友にして山縣の盟友であった「石黒忠悳」もキーパーソンだと思っています。
【泰先生メモ40】済生学舎出身の医人たち [2011年05月26日(Thu)]

 「済生学舎」が輩出した高名な医師・医学者は、野口英世や吉岡弥生だけではありません。

「浅川範彦」 高知県出身(1865〜1907)
 思想家・中江兆民の従弟にあたります。
 済生学舎卒業後は故郷高知で病院に務め、再び上京すると北里柴三郎の伝染病研究所へ入所し、細菌学者としてジフテリアの血清療法などに貢献しました。
 チフス菌、破傷風菌の研究が評価されて、北里門下では第1号の医学博士になっています。
 北里伝染病研究所時代の野口英世を指導した人物でもあります。

「小口忠太」 長野県出身(1874〜1945)
 済生学舎入学後、わずか4年足らずで内務省医術開業試験に前後期合格した秀才です。その時17歳、現在の高校生の年齢で医師の資格を持ったことになります!(ただし、未成年が開業することはできませんでした。)
 眼科医として活躍すると、愛知医科大学(現在の名古屋大学)の眼科部長を経て学長を務めました。
 夜盲症「小口病」の発見で知られています。

「須藤憲三」 山形県出身(1872〜1934)
 伯父・佐藤精一郎の経営する「東京医学院」から済生学舎へ転校、内務省医術開業試験に合格すると、東京帝国大学医学部でも学んでいます。
 母校済生学舎の講師を務め、「廃校」直後に有志が立ち上げた、済生学舎同窓医学講習会でも教鞭を振るい、学生の救済に努めました。
 ドイツ留学の後には、金沢医科大学の第2代学長に就任しています。
 

 野口英世は福島出身、吉岡弥生は静岡出身、こうして見ると全国から済生学舎に集まった学生が、また広く日本中で活躍したことが伺い知られます。
長谷川泰を語る会例会 [2011年05月25日(Wed)]

今年度の事業計画について、計画発表と議論がありました。
活動は2年目に入っていますので、今迄に浮き上がった問題点を、ひとつひとつ解決して行かなければなりません。

今年度も複数の企画を立ち上げましたので、出来るだけ上手に資金を使って行かなければなりません。
企画の詳細については、今年も審査に参加させて頂いた、長岡市の「地域コミュニティ事業補助金」の合否を待って発表したいと思います。
22年度の助成には大変に助けられて、おかげ様で良い伝記漫画が出来上がりました。

さて先ずは、来月に開催予定の長谷川泰翁杯親善少年野球大会の準備が始まります。
長岡まつり花火大会で新組地区の有志で打ち上げる、長谷川泰のメッセージ花火への寄付も募って行かなければなりません。
忙しくなってまいりました!
増刷届きました [2011年05月24日(Tue)]

学校、図書館への寄贈が順調に進み、在庫切れしていた御当地伝記マンガ「長谷川泰ものがたり」の増刷が届きました。
新潟県内に出来るだけ行き届くように、さらに声掛けをさせて頂きます。

長谷川泰ものがたりは、長岡市新組地区が主体となって創った作品であり「御当地伝記マンガ」と銘打っておりますが、長谷川泰は越後の偉人と広く繋がっていますし、その業績は全国規模です。
長岡市内に限らず県内、県外の皆様も、どうぞご一読ください!

また、今回の活動では、コミュニティ事業として「偉人の生地の住人が自ら調べ描く」ことにこだわりました。その事例としても見ていただきたいと思います。
皆さんの町にも御当地伝記マンガを!

おかげ様で、一般販売も少しずつですが伸びています。
ご購入方法はこちらのページをご覧ください→<長谷川泰ものがたり」ご購入方法>
南相馬市へ寄贈 [2011年05月21日(Sat)]

5月19日、福島県南相馬市教育委員会に「長谷川泰ものがたり」が寄贈されました。
県外の教育委員会への寄贈は初めてになります。
災害からの復旧が急がれるこの最中に、あえて他県御当地の伝記漫画を贈ることの意味を考えましたが、漫画のテーマに南相馬市から共感を頂くことができましたので、喜んで寄贈させて頂くことになりました。
漫画には、「済生救民」(広く民衆を救う)というテーマのもとに生きた医学者・長谷川泰の姿が描かれています。
長谷川泰が開いた医学校「済生学舎」を源流とする日本医科大学の医療支援チームが、現在も被災地で活動を続けられています。

南相馬を訪れた長谷川泰を語る会の会員は、中越地震を経験していてさえやはり言葉を失う光景を見たそうです。
早期の復旧・復興をお祈りしております。



5月20日には、新潟県南魚沼市への寄贈が行なわれました。
南魚沼市教育長にはお時間を割いていだだき、大変に感謝しております。
南魚沼市には禅寺「雲洞庵」がありますね。幼少の頃の上杉景勝と直江兼続が学んだことで知られています。
(大河ドラマ「天地人」の第1話で、与六が“わしはこんなとこきとうはなかった!”と叫んだあの場所です。)
菜の花街道 [2011年05月16日(Mon)]



「ながおか菜の花プロジェクト」の一環として、この春、新組地区の田園にも菜の花畑が広がっています。
菜の花畑は「菜の花街道」と名付けられています。
好天の中、週末の撮影者を集めていました。



信越線沿いからも菜の花畑を眺めることができます。

菜の花は菜種油を食用に、また軽油の代替燃料としても使用され、搾りかすは菜の花畑の肥料に循環活用されます。

「ながおか菜の花プロジェクト」
http://nagaoka-bdf.com/
五十六まつり [2011年05月15日(Sun)]



本日は長岡駅前大手通で山本五十六元帥にちなんだ、第2回「五十六まつり」が開催されました。
歌やダンス催しと、ご当地の飲食で盛り上がるイベントです。
地元商店街からの屋台の出典の他、友藩会津から震災復興を応援する出典もありました。



震災の影響で規模は縮小されましたが、好天に恵まれて会場は盛況です。
お馴染みの山古志村のアルパカたちも来ていましたよ、子どもにも大人にも大人気!



会場の一角には、山本五十六元帥の事績を紹介する、小さな展示ブースがありました。
海軍兵学校時代の入試面接で、教官から信念を問われ「やせ我慢であります」と答えたという伝説は大変魅力的です。



甘党の五十六の好物だったとされる「水饅頭」。
川西屋さんの塩饅頭(餡が甘く無い!)にシロップを掛けて再現されていました。
暑い日にもさっぱり食べられて美味しかったですよ。



「長谷川泰ものがたり」の劇中にちょっぴり登場した「大手饅頭」で親しまれる紅屋重正さんの、五十六さん饅頭をお土産に帰宅しました。

折しも、イベントの直前に制作発表された映画「聯合艦隊司令長官 山本五十六」で盛り上がっている様子はまだありませんでしたが、今年は一層長岡郷土史への注目が集まりそうです。
継之助と龍馬 [2011年05月14日(Sat)]

御当地伝記マンガ「長谷川泰ものがたり」の資料編には、長谷川泰が生きた時代の人物や出来事がイラストで掲載されています。
その中での両雄のツーショットです。



河井継之助記念館館長の稲川明雄さんの著作「風と雲の武士」では、「西の龍馬・東の継之助」と幕末の先覚者として並び称されていました。
マンガ班の漫画担当にも、どうしてもこの2人を共演させてみたいという願望がありましたので、ささやかですがこのような編集がされました。

近年では、当時の国際法「万国公法」を軸に、両者の思想の共通性が語られることもあります。

※当ブログ関連記事
「河井継之助と国際法」
山本五十六が映画化 [2011年05月13日(Fri)]

役所広司さん主演の映画「聯合艦隊司令長官 山本五十六」が、この年末の12月23日に公開されると発表がありました。

長岡市役所で行なわれた東映担当者の会見では、幼少時代を過ごした故郷・長岡への想いも盛り込むと語られたそうです。
期を同じくして、「真珠湾攻撃」の行なわれたハワイで、平和を祈念した「フェニックス」を打ち上げる長岡市。制作には市からの協力もあるのでしょうか。
戦争という大変に重いテーマですが、是非とも心のこもった映画になって欲しいと願います。


復元された生家のある山本記念公園の元帥像(長岡市坂之上町)


大林宣彦監督が、市の全面協力のもと長岡花火をテーマに創る「この空の花」も、制作進行中ですね。
長岡まつりと長岡花火には、戦争からの復興の祈りが込められています。
長岡市は、戦争という悲劇の色濃い(故に敬遠されて来たのかもしれません)郷土の歴史と向き合い直す時にあるのかもしれません。

これを期に、生地長岡で改めて山本五十六元帥の顕彰が行なわれることが望まれます。


山本五十六記念館(長岡市観光課)


「五十六まつり」
2011年5月15日(日)
昨年に引き続き、長岡駅前大手通りで2度目の開催です。
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