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消雪パイプ [2011年01月31日(Mon)]

「消雪パイプ」
スノーダンプ、スノートレー、などと並ぶ雪国の必需設備ですが、新潟県外の方には聞き慣れない言葉でしょう。
これは、道路に埋め込んだ配管に汲み上げた地下水を流して散水し、雪を融かす仕組です。



装置の発案者は、初めて「柿の種」を考案したことで有名な、長岡市の浪花屋製菓の創業者である今井與三郎さん。
地下水が滲みだしている場所には雪がないことに着眼して、知人の工場に製作してもらったのが始まりだと言われています。

素晴らしいのは、今井さんはこの発明を皆さんに役立てて欲しいと考えて、あえて特許の申請をしなかったというのです。
今でも豪雪地帯の克雪は、この消雪パイプが支えています。
<※今年の大雪では地下水が不足して水が出ない場所も多く、酷ければ地盤沈下の被害にも繋がります。必要外の散水は控えて、地域で節水に協力しましょう。>

長岡市WEBサイト「消雪パイプと地下水」
http://www.city.nagaoka.niigata.jp/dpage/yukky/index.html


ーーちなみに『元祖浪花屋の柿の種』も、商標等の登録をしなかったために、各社で生産されることとなり、現在では全国で愛される代表的な米菓となりました。
(ブログ管理人は、浪花屋さんの缶入りの柿の種を最も愛しています。)
ペン入れ [2011年01月27日(Thu)]

漫画のペン入れが進んでいます。
原稿に鉛筆で下書きした上から、ペンで描き込んで行くわけです。
キャラクターが生き生きと動き出しました。

さて、このページはどんなシーンでしょう?



漫画のネーム(台詞とコマ割)のチェックも大詰め。
長岡市立図書館文書資料室にご協力いただき、歴史考証や用語のチェックを終えました。
読みごたえアリ!とのお墨付きです。
長谷川泰を語る会の先輩方には、台詞のディディールを見てもらっています。
桑原久右衛門 [2011年01月27日(Thu)]

先日、長谷川泰を語る会の諸報告があり会員が集まりました。
その時にまた「北越戊辰戦争伝承館」の話題になったのですが、1階の農村の歴史をテーマにした展示で、なんとか長谷川泰のスペースを頂けそうです。
展示には既に各所からのご協力があって、資料のパネル以外にも物品が充実させられそうな雰囲気でした。
※2階が八丁沖を中心とした北越戊辰戦争の展示になります。

新組地区の農村の歴史といえば、治水と稲作。
長谷川泰の先祖、長谷川利右衛門が拓いた大江用水も重要ですが、同時期に長岡ではたいへん有名な「福島江」が、福島村の桑原久右衛門によって拓かれています。
桑原久右衛門は新組小学校で毎年劇が披露され、子どもたちからも尊敬を集めています。
これは全市に向けて是非とも展示すべき内容です。

会員の一人から、大変印象的なひと言がありました。

「小林虎三郎は米百俵、桑原久右衛門は何万俵」

“〜十里田の面をうるおして〜流れてつきぬ福島江”(新組小学校校歌より)
福島江は広い広い田園を潤し、長岡を豊かにしたのです。
雪おろし [2011年01月23日(Sun)]

雪国であることが越後人の粘り強い性質を作り上げた。

・・・とはいえ、冬の雪おろしは大変な重労働です。
残念ながら、今年も降雪後の事故のニュースが絶えませんね。



昇降の梯子は、誰かに支えてもらうなどして必ず固定した上で行ないましょう。
共同作業は事故の時の早期発見にも生きてきます。
雪おろしは複数人で!

行政などは命綱を装着することを呼びかけますが、一般の住宅には取り付け具が無い事がほとんどですし、一般工事用の安全器具などは積雪期の使用には向きません。
地元建築業者の対応が望まれます。

そして安全対策を語っても、高齢化が進む地域では作業人口自体が不足します。
雪国の行政や地域コミュニティには、積雪に対する問題が未だ山積みのように見えます。


雪は雪国の観光資源でもあります。
そして、春夏に水の恵みをもたらしてくれます。
しかし同時に、生活の安全に関わる重大な問題でもあるのです。
新組地区の花火師たち [2011年01月22日(Sat)]

「長岡まつり公式サイト・長岡花火の歴史」
http://nagaokamatsuri.com/rekishi.html


上記の長岡花火公式サイトの年表によると、明治12年(1879)千手町八幡の祭りで、遊郭関係者が資金を供出しあい350発の花火を打ち上げたのが起源とされています。
そして市制の施行後、大正6年(1917)に「二尺玉」4発の打ち上げに成功した「田崎藤蔵」という花火師は、なんと新組地区の百束町の人なのです。

百束村の田崎藤蔵は、長岡北部では親分格の花火師でした。
田崎家の「煙火創業略歴」によれば、創業は江戸時代の嘉永4年(1851)で、親子2代70年に渡って活躍しています。
長岡や新潟だけではなく遠くは関西へも遠征し、大阪では花火大会で全国準優勝の実力者でした。
(新組郷土誌より)

長谷川泰が生まれた福井村にも、明治中期に活躍した小林松蔵・松五郎親子が居ました。(田崎の弟子ではないかと考えられています。)
現在、八幡社前に2箇所の煙火小屋跡があります。

筒場(現在の新組町)の恩田與平次は東京の「鍵屋」で修行をした花火師でした。その息子の故・恩田長次さんは、長岡一の三尺玉職人・嘉瀬誠次さんとの思い出を「長岡郷土史33号」で書かれています。

同じく筒場の安藤寅吉もまた田崎の弟子す。
安藤寅吉の子孫である安藤忠雄さんは、現在でも安藤煙火店として新組町で営業を続けられています。
その工房には、小中学生の社会科見学があるそうです。
安藤忠雄さんは長谷川泰を語る会のメンバーでもあり、昨年の長谷川泰翁杯親善少年野球大会ではプレイボールの花火を打ち上げていただきました。

このように、新組地区の花火の歴史はとても長く、ふるさとに残る貴重な歴史文化なのです。
新組地区の花火の歴史については、安藤忠雄さんのお話しをうかがった後に、また記事にしたいと思います。
「この空の花」 [2011年01月22日(Sat)]

『世界中の爆弾を全て花火に替えたい
二度と爆弾が空から落ちてこない、平和な世の中であってほしいから・・・』

古里映画の巨匠・大林宣彦監督が、長岡花火をテーマに「この空の花」を製作されます。
大林監督は、長岡の皆さんには歴史と文化に誇りを持って欲しいと語られ、そして、この映画は皆で創りましょうと呼びかけられました。
決して忘れてはならない「戦災慰霊」という大事なテーマを持つ長岡花火(長岡まつり)の映画化。これはとても歴史的なことです。
是非とも多くの方から注目していただきたいと思います。

「この空の花-「長岡映画」製作委員会-」(大林宣彦監督からのメッセージをお読み下さい)
http://www.locanavi.jp/konosora/



長岡花火の歴史の中には、新組地区の花火師の姿があります。
それは次回の記事にて。
「新組地区の花火師たち」
長岡市立科学博物館 [2011年01月21日(Fri)]

長岡市役所の柳原分庁舎内にある、長岡市立科学博物館に取材でお邪魔しました。
長岡市立科学博物館では自然と人文の2つの分野を展示する総合博物館です。
自然系部門としては地学・植物・昆虫・動物。
人文系部門と文化財部門では、歴史・民俗・考古を扱っています。

かつては長岡市役所だった建物の内部は、昭和の趣きがとても素敵です。建物の中央で緩やかにカーブする廊下は歩いてみると面白いですよ。



今回の用件は、以前にこのブログでも書いた長岡藩のもうひとつの「医家・長谷川家」のことです。
科学博物館には、長谷川家にまつわる医学古文書の収蔵が、たいへん充実しているのです。

※当ブログ関連記事
「もうひとつの長谷川家 」

長谷川家の親戚・青柳剛斎が河根川に開いた私塾「菁莪学舎(せいががくしゃ)」で、長谷川泰や入沢達吉が学んだこと。
それと、蔵書の中に長谷川泰の名刺が挟まれていたことについて質問させていただきました。
担当していただいた学芸員は、広井造さんです。来年春、八丁沖古戦場パークに併設される「北越戊辰戦争伝承館(仮名)」の準備でも、新組地区は大変お世話になっている方です。

・菁莪学舎と長谷川泰について
 現在まで門人帳などは見つかっておらず、在塾期間など詳細は分かっていません。
 出典は、昭和12年発行の「三島郡誌」の記述で、そこには東京で長谷川泰の書生だった川上元治郎の名前も門下生にありました。
 また、福井村の長谷川家(長谷川宗済)と大荒戸の長谷川家(長谷川敬斎)の両医家に、親戚関係は確認されていないそうです。

・長谷川泰の名刺について
 博物館に展示はされていないのですが、写真を撮らせていただきました。許可を得ていずれかの資料に掲載させていただきたいと思います。
 同時に人類学者・小金井良精の兄、小金井権三郎の名刺も発見されていたそうです。小金井良精は、東京での進学を長谷川泰が手引きした人です。

以上、長谷川家については活動の中でまた新しい史料が出て来たら報告いたします。
広井さん、ご多忙な中をありがとうございました。

長岡市立科学博物館
http://www.museum.city.nagaoka.niigata.jp/
カバーをデザイン中 [2011年01月20日(Thu)]

長谷川泰を語る会漫画班では、御当地伝記マンガ「長谷川泰ものがたり」の表紙カバーをデザイン中です。
この漫画は、企画・取材・ストーリー・漫画・装幀〜すべてが地元での手作りなのです!
<もちろん、取材や史料の提供には県の内外からたくさんの人たちに助けていただいています。>

表紙のイラストは、それぞれの時代の3人の泰先生です。
完成をお楽しみに。



ネームは時代考証や文字を最終チェック中。
中身の作画も、引き続き平行して進行中です!
済生学舎の在る風景 [2011年01月19日(Wed)]

明治を生きた作家たちのペンによっても済生学舎が描かれています。
当時の東京の街に異彩を放っていた済生学舎と長谷川泰という人物は、明治という時代をあらわすには格好の舞台装置だったのかもしれません。

--斎藤茂吉の随筆「三筋町界隈」では、養父の思い出と共に語られます。

“当時の医学書生は、服装でも何かじゃらじゃらしていて、口には女のことを断たず、山田良叔先生の『蘭氏生理学生殖篇』を暗記などばかりしているというのだから、硬派の連中からは軽蔑の眼を以て見られた向もあったとおもうが、済生学舎の長谷川泰翁の人格がいつ知らず書生にも薫染していたものと見え、ここの書生からおもしろい人物が時々出た。”

--女流小説家・長谷川時雨が、21歳で夭折した同時代の小説家・田澤稲舟を書いた「田沢稲舟」。
そこには小説家を夢見る出羽(山形県)の少女・田沢錦子の、母親との会話に済生学舎が登場します。

“「でもね、本当に、美術学校って、女も入学出来るのだろうかって、お父さんは御心配なさってたが。」
「出来ないはずないでしょ。済生学舎だって、早くっから、女を入れたのでしょ。」
「そうらしいけれどね。」”



またどこかで見つけたら紹介させていただきます。
長谷川泰を語る会<定例会>新年会 [2011年01月18日(Tue)]

昨晩。
新組地区御用達の料理屋、京屋さんで、長谷川泰を語る会の新年会がありました。

話題は本年の活動計画について。

まず、春の御当地伝記マンガ「長谷川泰ものがたり」の出版。
--進捗状況として、漫画の下書きを見て頂きました。

夏前には「第2回長谷川泰翁杯親善少年野球大会」。

「長谷川泰先生に親しむ集い」では講演も予定しています。

そして、長岡まつりでは、アナウンス付きで花火を打ち上げようと具体的に盛り上がってまいりました!

「北越戊辰戦争伝承館(仮称)」の話題も上がりました。
市と新組地区が共同で進めている「北越戊辰戦争伝承館(仮称)」は、新組地区大黒町の大黒古戦場パーク近くに来年春に開館です。
戊辰戦争の史跡/史料館としては、長岡市新組地区「でしか」見られない、地域に遺された素材を活かした展示になると期待が高まります。
2階は長岡城奪還戦で有名な「八丁沖」を展望できる造りになるそうです。
同時に1階では、この長くながく続く農村地域の特色を展示し、そこでは長谷川泰や桑原久右衛門の展示も検討されているとのお話しです。
長岡花火に負けず大変古い歴史を持つ、村の花火師たちの展示なども魅力的なのではないでしょうか。
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