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“話のタネ”11/決闘申込 [2011年01月13日(Thu)]

 嘘か誠か、長谷川泰の逸話と伝説。
 本筋を外れたり、このたびの漫画には納まらない、しかし魅力的なお話などを“話のタネ”では紹介しています。

 自由放任と言われ「大いに遊び大いに学べ」が校風であった、医師育成校の名門「済生学舎」。そこで学生たちに畏れ敬愛された、名物教師の姿です。明治という時代を背景にお読み下さい。

 済生学舎では、解剖などの実習も行なわれていました。
 実習授業の日には熱心な女子学生たちは早々に教室へ入り、手術台の間近に肩掛けなどを敷いて陣取るのですが、それが気に食わない男子学生たちが居りました。男子は怒って長谷川泰校長に訴えかけますが、返答は「そんなことは自分たちの裁量でやれ」です。
 勉強熱心な者がわざわざ早出をして教師の近くに陣取ることに、何の問題があるでしょう?それに男子といっても多くが成人した学生たち、泰先生が自分で解決しろとあしらう気持ちも分かります。

 しかし、男子学生の一人が暴挙に出てしまいます。
 女子が床に敷いた肩掛けなどを、一切ひっぺがしてひとまとめにすると、あろう事かトイレに放り込んでしまったのです。
 しかもしかも、その男子生徒は校長の対応を不服とし、なんと決闘状を差し出して来たのでした。

 この事件への長谷川泰校長の対応が、また劇的です。
 決闘状を痛快と思った泰先生は、その学生が出席する教室に出向きました。手には「太刀」をぶら下げて・・・・。無論ですが鞘には納まっていたでしょう。そして学生たちに向かって「決闘を申し込まれた方は来ておりませんか?」と、丁重に訪ねたのでした。
 当事者もこれには名乗り出られずにいましたが、そんなことが執念深く何日も続と、周囲の友人たちからは校長への謝罪を勧められたそうです。

 もちろん、泰先生に本気で決闘をする意思があったわけはありません。相手の学生は自分同様のきかん坊だと知り、当人の心に響くような手法をもって、きつく戒めてみせたのでしょう。
 名乗り出て謝罪した学生にはその深意を伝え勉強に励むことを諭すと、「それにしても君の決闘状の漢文は立派だ」と大いに褒めました。泰先生自身も幼少のころから漢詩に親しんで来たもので、どこの誰に師事したなどの話題で話が弾んでいます。

 とにかくマスコミには自由放任を批判された済生学舎ですが、それに反して長谷川泰校長が教育熱心であったことを伝える逸話でした。
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