<以下、長岡市公式サイトより>
長岡が誇る「米百俵の精神」をテーマに、秋の収穫祭と併せて誕生したお祭りです。
今からおよそ140年前の北越戊辰戦争で、旧幕府軍側の最前線で勇猛果敢に戦い抜いた長岡藩。その激戦で多くの命を奪われ、まちを焼き尽くされ、さらには「賊軍」の汚名を着せられながらも、長岡の先人たちは灰燼の中から着実な復興を成し遂げました。
まちの再建の大きな礎となったのは「質朴剛健」の長岡人の気質であり、当時の長岡藩大参事・小林虎三郎が人材育成の重要性を説いた「米百俵の精神」です。今日まで長岡の地に深く根付くこの「精神」を、次世代を担っていく子どもたちへ、さらには日本全国、世界各国のみなさんへと伝える米百俵まつりへ、どうぞ揃ってお出かけください。
市の案内文にある質実剛健の長岡人気質を、藩士たちや後の偉人に植え付けたのが『常在戦場』の精神です。『常在戦場』は年末公開の映画『聯合艦隊司令長官 山本五十六』でも根幹のテーマになると思われます。
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「長岡の精神文化」 さて、当日の大手通を練り歩いた華やかな歴史行列の様子をお伝えします。
先ずは中世、小国の「以仁王」の伝説から、完全無欠の英雄・長尾景虎(上杉謙信)へと、武者の行列が現れました。大河ドラマ「天地人」の主人公・直江兼続は愛の前立も凛々しく、勇猛な与板衆を率いて出陣です。
戦国の英雄の後に歴代長岡藩主が続き、幕末に入ると、勝海舟、坂本龍馬(写真)の姿が。
何故?と思われることでしょうが、その後に続いたのは「白峰駿馬」。龍馬と友に勝海舟に学び、脱藩して海援隊入りした人物です。
その義兄の鵜殿春風(団次郎)は長岡随一の秀才と呼ばれ、勝海舟と共に恭順論を説き、混乱する江戸幕府の目付役に就いたのでした。
この辺りの人物関係で1冊の物語が描かれても十分な魅力があるでしょう。
〜合間に北越戦争の火ぶたとなった「小千谷談判」の寸劇が入り、河井継之助の無念が語られますます。
山本帯刀、三間市之進、花輪求馬らが率いる幕末長岡の精鋭と、軍事総督河井継之助が行くと、遂に姿を現したのは、あの「錦旗」を掲げた西軍の部隊です。
長州の白、薩摩の黒、土佐の赤の「シャグマ」が、えも言われぬ威圧感を放ちます。この感覚は長岡人としての生理的なものなのでしょうか?
率いるは、小千谷談判の相手・岩村精一郎(土佐)、黒田了介(薩摩)、そして長岡人にとって因縁深き彼の山縣狂介/有朋(写真)です。山縣は不敵にも指鉄砲で観衆を挑発!(名演技です!)ここは皆でブーイングを返すのが作法なのではないでしょうか??
(西軍を演じたのは中越高校の先生と生徒の皆さん、大変な役所を熱演でした!)
さて、前後しますが米百俵まつりにとってはお馴染みの演者さんの「河井継之助」です。
観衆の声援にも親し気に応えられていました。馬上でにこやかに笑う継之助、現在の長岡の平和を思わずには居られません。
役者が揃うと両軍の合戦風景が演じられました。先祖伝来の甲冑を纏い西軍に挑んだ槍の老兵「伊東道右衛門」の討死のシーンには観衆も涙。道右衛門の勇猛を讃える碑は今も福島江のほとりにあります。
そして、終戦。行列は小林虎三郎の米百俵の寸劇を以て幕となりました。
最後に紹介するのは、「米百俵の精神が生んだ、郷土の先人の紹介」の中から「山本五十六」。
(今回16人が抜粋された偉人たちは、それぞれ地元の名士の皆さんが演じます。)
山本五十六は、年末の映画公開を控えて最注目の長岡人です!演者さんのこの佇まい、とっても雰囲気が出ていますよねー。
ブログ管理人としては、長岡中央綜合病院形成外科の先生演ずる「小金井良精」の完成度に驚きました。河井継之助記念館館長・稲川明雄さんは、自ら伝記を書かれ出版王「大橋佐平」役です。
ここに、外山脩造、そして長谷川泰を並べたい!(居ないのがおかしいくらいです)今後の目標が出来ました。
そのような感じで今年の米百俵まつり、実は郷土史2年生のブログ管理人は初参加でしたが、歴史好きには大興奮のイベントでした。
会津や米沢といった長岡に縁が深い土地から参加される、飲食や物産・観光PRの出展も賑やかで、全年齢で楽しめる『米百俵まつり』毎年楽しみです。