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【テレビ番組】八十里越・会津街道物語 [2014年01月13日(Mon)]

ux新潟テレビ21で「八十里越」をテーマに特番が放送されます。
ナビゲーターは「今でしょ!」の林修さん、なんと以前から河井継之助のファンだったそうです!
番組の紹介文によると、新組地区の偉人「長谷川泰先生」も登場するようです。
是非ご覧ください!

テレビ局の公式サイトでは林修さんのインタビュー動画が公開されています。

ux特別番組「八十里越・会津街道物語」
放送/2014年1月18日(土)16:30〜17:25
番組ナビゲーター:林修
http://uxtv.jp/info/hachijurigoe/tvprogram.html
【良寛 手毬の像】受付開始です [2013年11月02日(Sat)]

春に「長谷川泰翁像」を制作された彫刻家、峰村哲也さんが【良寛 手毬の像】を完成されました。
現在は鋳造に入っており、購入の申込が始まりました。
小品の中に驚くほど繊細に表現された慈愛の表情が素晴らしく、良寛さんの世界に一歩近づけるようです。

ryokan.JPG

写真は塑像の原型です(クリックで拡大)


<越後の彫刻家 峰村哲也>良寛 手毬の像〜ご購入案内

長谷川泰翁像でご一緒させて頂きましたが、峰村哲也さんは、彫刻する対象を丁寧に掘り下げて制作をされます。
素晴らしい作家に出会えたことに感謝です。

<峰村哲也氏 略歴>
日本美術家連盟会員 1956年北海道足寄町生まれ、東京藝術大学・大学院博士課程修了
『生きる』ブロンズ像_長岡市戦災資料館
『風雲・蒼龍窟』河井継之助像(ブロンズ像)_長岡市河井継之助記念館
『良寛さん、遊ぼ』_(良寛没後百八十年記念ブロンズ像)新潟市西大畑公園
『長谷川泰翁像』_(没後百周年記念銅像)長岡市大黒町(北越戊辰戦争伝承館隣接)他
良寛像【ミニチュア制作中】 [2013年09月19日(Thu)]

 越後に慈愛の心を育んだ、良寛さん。
 そのミニチュア銅像が販売になるそうです!
 作者は峰村哲也さん、なんと生誕地に出来上がった「長谷川泰翁像」を手掛けられた彫刻家です。

 mine01.JPG


リンク【越後の彫刻家 峰村哲也】

ーーー以下引用ーーー
平成23年、新潟市西大畑公園内に建立されて間もない「良寛さん遊ぼ」のミニチュアが制作中です。
峰村哲也氏は、塑像による原型を既に完成させています。
小さな像であるがゆえに凝縮されたディティールの表現が、鑑賞の目を飽きさせません。
このミニチュアの販売方法等は、また詳細が分かり次第お知らせさせていただきます。

〜さて、スタジオジブリの新作アニメ「風立ちぬ」が本日より公開されます。
その劇中では、良寛の書「天上大風」が引用されることが話題となっています。
宮崎駿監督は以前から良寛様のファンだということですから、いつにも増して大変に楽しみな作品となりました。
ーーーーーーーーーー


 「風立ちぬ」といえば宮崎駿監督の引退会見が話題で、監督最後の長編アニメになりました。
 その最後に越後の良寛。なにか感慨がありますね・・・・。
【連載】郷土史の若造/マイ・スキップ誌 [2013年02月01日(Fri)]

med03.jpg


 長岡市の文化的情報を伝えるフリーペーパー「マイ・スキップ」にて、長谷川泰を語る会漫画班の恩田が、2012年12月号から連載スペースを頂いています。
 タイトルは「郷土史の若造」、長谷川泰を切っ掛けに長岡の歴史に関心を持ち、若手(30代)として活動する中で経験した事を報告するものです。

 マイ・スキップは市内の公共施設や協力店舗で配布されていますので、読んでみてくださいね!
泰先生没後百年の墓参り [2012年04月11日(Wed)]

 本日は泰先生の月命日です。
 没後100年にあたる3月11日は、墓地が大雪からの残雪で閉ざされていたため、今朝墓掃除とお参りをさせて頂きました。

sonota01.jpg


 長谷川家の菩提寺は、見附市の曹洞宗智徳寺です。
 代々の墓が並ぶ墓所には、父宗済先生や、孫養子の亀之助先生の墓もあります。
 
 墓前では、長谷川泰ものがたりの感想文集出版の報告、今年度の活動へのお力添えをお願いして来ました。
長岡新聞に外山脩造 [2011年07月16日(Sat)]

 本日の長岡新聞7月16日号に、外山脩造の記事が掲載されました。
 長岡藩に生まれ、渋沢栄一と並び立ち明治日本の財界を牽引した脩造の事績が細かに語られています。
 長岡新聞さんには昨年の会発足以降、長谷川泰の記事も繰り返し掲載して頂いています。



 広告欄では外山脩造が創始したアサヒビールが、今や長岡を代表する花火「フェニックス」に協賛。
 今年8月2日分のフェニックスは、東日本大震災からの復興を願い花火大会の冒頭で黙祷を捧げた後、プログラムの1番(7時30分)に打ち上げられます。
 清らかな祈りをイメージした白いフェニックスだということです。お楽しみに。
 (8月3日のフェニックスは例年通りトリを飾ります。)

※当ブログ関連記事
「長岡花火、近づきました」(フェニックスの動画)



 8月3日のメッセージ花火(本編の前に打ち上がるメッセージアナウンス付き花火)では、長谷川泰のPRのために仕掛けがあります。
 それはまた次の記事にて!
長善館学習塾【燕市】 [2011年07月04日(Mon)]

「漢学者鈴木文臺が江戸後期に燕市粟生津に開いた私塾、長善館の精神をこの夏休みに市内小学校6年生から2泊3日で学んでもらおうと、燕市中央公民館では8月4日から6日まで燕市粟生津公民館に寝泊まりして英語や漢詩を学び、歌やカヌーを体験する長善館学習塾を開く。」(ケンオー・ドットコムより)

ケンオー・ドットコム
http://www.kenoh.com/2011/06/30tyouzen.html


 かつて越後の名門漢学塾「長善館」では、農民と武士の子が入り交じり、教師と寝食を共にする寮生活が行なわれていました。その協同生活では学問だけではなく生き方を学ぶことができたのでした。
 近年、ひときわ教育に力を入れる燕市の企画は、その故事に倣った素晴らしいものです。
 郷土の誇りを伝え、その歴史が父母や自分たちにつながっていることを教えてあげることが、ふるさとで学び育つ意欲になるのでしょう。

 長谷川泰も長善館で学び大きくなった偉人の一人です。
※当ブログ関連記事「長善館に学ぶ」
漫画の売り上げを寄付 [2011年06月28日(Tue)]

 「長谷川泰ものがたり」を販売している個人サークル泰友堂が、同人誌の即売+交流イベント「ガタケット」そして「コミティア新潟」での売り上げ等を、東日本大震災の義援金として寄付するとお伝えしておりました。
 昨日、日本赤十字社への振込が済みましたのでご報告いたします。



 長谷川泰先生の「済生救民」の志を思えば、大変に大変に微力ではありますが、復興への願いと共にお届けするそうです。
 今後もイベント参加の機会ごとに寄付を行なうそうですので、関心のある皆様は会場で見掛けましたらご購入をお願いいたします!
TBSドラマ「JIN-仁-」最終回 [2011年06月27日(Mon)]

医師の心得「仁」に基づき東西に別れた内戦の間に立ち、東西の医療を繋いだ新しい医療をもたらした医師。
南方仁という人物名には、そのようなメッセージが込められているようです。

御当地伝記マンガ「長谷川泰ものがたり」の制作開始が、ちょうどドラマの前編の放映中であり、原作漫画にもグイグイ引き込まれて行きました。
史実の長谷川泰と南方仁が生きた状況はとても重なるのです。



「JIN-仁-」劇中の仁友堂は、順天堂をモデルとしています。長谷川泰は20歳の頃「泰一郎」と名乗り佐倉順天堂で学びました。
師「佐藤尚中」の志をよく理解し、養子として、順天堂に後継者として期待されています。(尚中の娘・志津に失恋してしまいましたが。)
その後は幕府の医学所で、順天堂創始者佐藤泰然の実子「松本良順」の元で学びます。しかし間もなく戊辰戦争が勃発、昨晩のドラマにも描かれたように良順は幕府軍の軍医として会津へ向かい、長谷川泰も長岡へ帰藩して河井継之助の抜擢の元軍に属しました。

「JIN-仁-」では明治の時代まで描かれることはありませんでしたが、維新後の日本で医の文明開化を支えたのは、仁友堂の面々のような、動乱を生き残った若き医師たちでした。
漢方医を父に生まれ、西洋医としてその狭間で苦悶した長谷川泰。そして「済生救民」(広く民衆を救う)のテーマのもとに開いた医学校「済生学舎」。
「JIN-仁-」の世界を重ね合わせて楽しませて頂きました。

個人的な話ですが。
ドラマの最後では南方仁が現代の橘医員を訪れ、古い写真から仲間たちの足跡を知る場面がありましたが、僕自身が昨年の漫画の取材で生家を、墓地を、済生学舎の今を訊ねたことを思い出して泣けてきました。
歴史の延長上に自分が生きているという実感得ることは、今の自分たちが未来に繋がると実感することだと思います。

※当ブログ関連記事
「JIN-仁-最終回 村上もとか」(漫画)
継之助と龍馬 [2011年05月14日(Sat)]

御当地伝記マンガ「長谷川泰ものがたり」の資料編には、長谷川泰が生きた時代の人物や出来事がイラストで掲載されています。
その中での両雄のツーショットです。



河井継之助記念館館長の稲川明雄さんの著作「風と雲の武士」では、「西の龍馬・東の継之助」と幕末の先覚者として並び称されていました。
マンガ班の漫画担当にも、どうしてもこの2人を共演させてみたいという願望がありましたので、ささやかですがこのような編集がされました。

近年では、当時の国際法「万国公法」を軸に、両者の思想の共通性が語られることもあります。

※当ブログ関連記事
「河井継之助と国際法」
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