医師の心得「仁」に基づき東西に別れた内戦の間に立ち、東西の医療を繋いだ新しい医療をもたらした医師。
南方仁という人物名には、そのようなメッセージが込められているようです。
御当地伝記マンガ「長谷川泰ものがたり」の制作開始が、ちょうどドラマの前編の放映中であり、原作漫画にもグイグイ引き込まれて行きました。
史実の長谷川泰と南方仁が生きた状況はとても重なるのです。
「JIN-仁-」劇中の仁友堂は、順天堂をモデルとしています。長谷川泰は20歳の頃「泰一郎」と名乗り佐倉順天堂で学びました。
師「佐藤尚中」の志をよく理解し、養子として、順天堂に後継者として期待されています。(尚中の娘・志津に失恋してしまいましたが。)
その後は幕府の医学所で、順天堂創始者佐藤泰然の実子「松本良順」の元で学びます。しかし間もなく戊辰戦争が勃発、昨晩のドラマにも描かれたように良順は幕府軍の軍医として会津へ向かい、長谷川泰も長岡へ帰藩して河井継之助の抜擢の元軍に属しました。
「JIN-仁-」では明治の時代まで描かれることはありませんでしたが、維新後の日本で医の文明開化を支えたのは、仁友堂の面々のような、動乱を生き残った若き医師たちでした。
漢方医を父に生まれ、西洋医としてその狭間で苦悶した長谷川泰。そして「済生救民」(広く民衆を救う)のテーマのもとに開いた医学校「済生学舎」。
「JIN-仁-」の世界を重ね合わせて楽しませて頂きました。
個人的な話ですが。
ドラマの最後では南方仁が現代の橘医員を訪れ、古い写真から仲間たちの足跡を知る場面がありましたが、僕自身が昨年の漫画の取材で生家を、墓地を、済生学舎の今を訊ねたことを思い出して泣けてきました。
歴史の延長上に自分が生きているという実感得ることは、今の自分たちが未来に繋がると実感することだと思います。
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「JIN-仁-最終回 村上もとか」(漫画)