• もっと見る

« 話のタネ | Main | 【伝記漫画/ご購入案内】»
<< 2015年03月 >>
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
最新の記事
月別の記事一覧
日別の記事一覧
話題の分類
粟生津小学校の学校だより [2012年05月01日(Tue)]

 「粟小だより」4月号で、長谷川泰先生の名前を見つけました。

 『平成の長善館 粟生津小学校を目指して』というタイトルで、新学期の挨拶が書かれています。
 そこには、江戸時代から続いた私塾「長善館」を始まりとする、粟生津小学校の歴史。そして数々の偉人を輩出した教育のことが紹介されていました。
 昨年の6年生は「長谷川泰ものがたり」を読んでくれて、素晴らしい先輩を手本に頑張るという気持ちを表してくれています!

 長谷川泰先生は、新組小学校のある福井町の出身で、わたしたちの大先輩です。
 同時に、長谷川泰先生が学んだ長善館を始まりとする粟生津小学校の子どもたちにとっても、尊敬する先輩なんですね。

sonota02.jpg


 場所も時代も飛び越えて、郷土の偉人がご縁を結んでくれました。
【連載】としょかんくん127,128号 [2011年12月02日(Fri)]

 長岡市中央図書館が発行している「としょかんくん」。
 その「ながおかむかしむかし」という連載で、「長谷川泰ものがたり」の作者が挿絵を描いています。



 128号(2011年7月号)の第1回は「長谷川泰」でした。
 良寛さまの心を受け継いで、医者として人助けに頑張ったことが書かれています。

 129号(2011年10月号)の第2回は「坂牧善辰」でした。
 山古志村出身の教育者で、夏目漱石と大変に親しかった人です。
 長岡中学(今の長岡高校)の校長を務め、山本五十六に教えました。

 次回の2012年2月号の絵も出来上がりました。今度は誰でしょう?ヒントは「電池」です。
 ぜひ読んでみて下さいね!
新組小学校の卒業式 [2011年03月23日(Wed)]



 明日、3月24日は、新組小学校の卒業式ですね。
 先生方と、地域の皆さんと、友だちとの思い出を、いつまでも大事にしてください。
 この6年間で得たものが、これから将来も、きっと皆さんの大切な個性になって行くからです。
 
 


 さてさて、今年の卒業生の皆さんには、特別なプレゼントがあります。
 新組地区の皆さんと作った、伝記マンガ「長谷川泰ものがたり」が卒業記念として贈られるのです。
 マンガはつい先週にできあがったばかり!春休みにぜひ読んでくださいね。





 上の絵は、マンガの出だしのシーン。
 ここに描かれた長谷川泰と、同級生の外山脩造は、ちょうど皆さんと同じ12歳ごろの姿です。
 2人は四ツ屋町辺りから耳取山の学校へ向けて、雪道を歩いています。江戸時代の終りにはどんな暮しをしていたのか、想像してみてください。
 
 長谷川泰先生は、新組小学校の校歌でも歌われる、福島江の桑原久右衛門に負けないくらい偉い人物で、福井町で生まれた皆さんの先輩です。
 長谷川泰先生は、新組地区と、長岡と、越後で、たくさんの仲間に出会いました。
 卒業生の皆さんも、これからまたたくさんの友だちを作って、素晴らしい先生と先輩に出会って、皆で励まし合いながら、元気に活躍してくれることを願っています!

ご卒業おめでとうございます!
《少年・少女》仲間を大事に [2010年12月12日(Sun)]

 《少年・少女》カテゴリーです。
 前回は、長谷川泰先生が、人のためにがんばる人だったというお話でした。
 今回は、仲間を大切にしたというお話しです。

 泰先生は明治25年に『同郷人の団結』という演説をしました。
 そこでは、自分の先輩の上杉謙信や河井継之助を、とても尊敬していると話しています。
 そして、集まった新潟県の人たちに向けて「みんなで力を合わせれば、どんなことでもできる」と応援をしています。
 (この時の新潟県の人口は、なんと日本一でした!)

 その時の泰先生は、東京で政治家と教師を必死に頑張っていました。
 難しい問題や、トラブルもたくさん起こりました。
 その時、泰先生を助けてくれていたのが、同じ長岡出身の友人や、千葉や東京でいっしょに勉強をした仲間だったのです。

 その10年後、泰先生が作った学校、「済生学舎」(さいせいがくしゃ)が、世の中の事情から解散してしまいます。
 その時にもう一度学校をまとめたのが、泰先生が育てたたくさんの優秀な教え子たちと、教師の仲間でした。

 いっしょにに勉強をした友だちを大事にして、協力すること。
 自分が先に学んだことは、後輩にも教えて、育ててあげること。
 そうやって、いっしょに成長して行くのが『仲間』だと、長谷川泰先生は教えてくれます。

この絵は、多一(少年時代の泰先生)が、先輩から仲間の大切さを教えてもらうシーンの下書きです。
《少年・少女》済生救民って? [2010年12月11日(Sat)]

 《少年・少女》カテゴリー。
 長谷川泰先生が一番大事にした言葉、『済生救民』(さいせいきゅうみん)のお話です。

 これは、広く民衆を救うという意味ですが、もっと簡単に言うと「みんなを助ける」ということです。
 良寛が越後の人びとに教えた「あわれみの心」と、とてもよく似ています。

 泰先生が作った済生学舎(さいせいがくしゃ)という学校では、下に書いたように『済生救民』(さいせいきゅうみん)を実行しました。

 ・学生を、出身や身分やお金で差別しない。
 ・学生に、弱い人に味方をする医者になりなさいと教える。
 ・貧しい病人も診断してあげる。

 写真の銅像は、泰先生の亡くなった後で生徒たちがお金を集めて作ったのですが、泰先生本人ならば「銅像なんていらない!」と言ったというのです。
 泰先生は、自分のお金もうけや、いばる事のために仕事をしたことはありません。
 泰先生はいつも、一部の人だけではなく、どうやってみんなを助けるかを考えていました。
 『済生救民』(さいせいきゅうみん)とは、そういう心なのです。
《少年・少女》新組小学校だより [2010年12月07日(Tue)]

 「新組小学校だより」第14号では、第1回の「タイ・カップ」で、新組ホワイトソックスが優勝したことが報告されていましたね。
 生まれ故郷のチームの優勝に、長谷川泰(はせがわ・たい)先生も喜んでいるのではないでしょうか?



 少年野球大会「タイ・カップ」には、色々な偉人たちの生まれた町からチームが集まります。
 その偉人たちは、それぞれが友だちや、先生と生徒や、先輩後輩だった人たちなんです。
 そして、試合に集まった町同士で「僕の町の偉人はこんなに凄いんだ」と自慢しあうのも、この大会の楽しみ方。みんなで遠くの町に友だちを増やしちゃおう!

 「タイ・カップ」は来年も続きます。
 新組小学校のみんなは、いま町内で作っている伝記マンガを読んで勉強して、次の大会では長谷川泰先生のことを、他の町の友だちにも教えてあげてね。

《少年・少女》野口英世の母校 [2010年12月04日(Sat)]

 長岡市新組町では、小中学生に読んでもらうために、長谷川泰の伝記マンガを作っています。
 そこで、《少年・少女》という記事では、小中学生のみなさんに向けて、長谷川泰(はせがわ・たい)先生を紹介します。

 下のイラストは、今作っている伝記マンガに登場する8歳の長谷川泰(はせがわ・たい)の姿です。
 長谷川泰先生は、江戸時代の終りころに長岡で生まれ、お家は今の新組小学校と同じ福井町にありました。



 長谷川泰先生は、明治時代になって『済生学舎』(さいせいがくしゃ)という医学校を作り、たくさんの医者を育てました。
 その学校で有名な偉人が勉強してしるので、みなさんに紹介します。

 それは、千円札の絵の偉人『野口英世博士』です。
 細菌と伝染病の研究で、たくさんの成果を残したので、世界中の人に尊敬されています。
 残念ながら若くして病気で亡くなりましたが、第1回ノーベル賞の候補にもなりました。



 野口英世の夢は、立派な医者になって、お金をかせぎ、大好きなお母さんに恩返しをすることでした。
 医者になるには国の試験に合格しなければなりません。
 しかし野口はお金に困っており、試験のために国立大学で勉強することはできませんでした。
 そこで野口にチャンスを与えたのが、長谷川泰先生の「済生学舎」です。
 済生学舎では、少ない授業料でみんなが学ぶことができたのです。
 それに済生学舎には、世界最新の顕微鏡がたくさんあったので、野口は大喜びで細菌の勉強をがんばりました。

 世界の野口英世が生まれるきっかけは、長谷川泰先生の済生学舎だったのです。
 野口英世は、ふるさとへの手紙で長谷川泰先生は立派な方だと報告しています。

 野口英世は、マンガにも登場しますから、よーく覚えておいてくださいね!
Google

Web全体
このブログの中
http://www.pecope.com

ジオターゲティング