“話のタネ”14/盲目者への労り [2011年01月17日(Mon)]
越後を流れる信濃川はたびたび氾濫を起こし、水が抜け切らずに「腐り水」となると、そこが伝染病(感染症)の温床になったという話は以前の記事に書きました。
明治の行幸の際には、目を患った人のあまりの多さに驚かれた明治天皇陛下が、見舞金を御下賜されています。(長善館門下生の竹山屯が御下賜金を賜りました。) ※当ブログ関連記事 「腐り水との戦い」 広大な八丁沖の沼地と、複数の河川に囲まれた長岡領北組福井村も例外ではなく。 そこの医家で育った長谷川泰は、父の患者の中に幾人ともなく盲目の人を見てきたでしょう。 明治44年(1911)、盲目の方が多く従事した「あんま」の営業に対して厳しい取り締まりを行なうという動きがありました。 さらに、失明していては到底合格できそうもない難解な試験を課すというのです。 当事者たちの嘆願は聞き入れられず、そこで長谷川泰先生の元に相談があったのでした。 伝染病と戦い、下水道法を可決させた時と同じく、泰先生の心中にはやはり「腐り水」のことがよぎったでしょう。 先生は当局との交渉を快諾。関係者の間を奔走し、常識的な試験のみを定めることにさせました。 先生が70歳で亡くなったのはその翌年ですが、雨の中湯島天神の坂を下る葬列には、手を引かれ杖を突き歩く数十人の姿が目を引き、それを見る人は故人の義侠に心を打たれたそうです。 |