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長谷川泰を語る会です [2011年02月13日(Sun)]

はじめまして。

こちらは、新潟県長岡市の新組地区の「郷土の偉人 長谷川泰を語る会」です。
私たちは、長岡市福井町出身の医師「長谷川泰(たい)先生」を、 多くの皆さんに知っていただく目的で集まった地元の仲間です。

〜「長谷川泰を語る会」の発起人の挨拶より〜

「ふるさとに生まれた子どもたちに、夢と、希望と、自信を、持って育ってもらいたい」

戊辰戦争の激戦場となった新組地区は大変な痛手を負いました。
当時の福井村にあった長谷川泰の家屋も全焼し、家族は財産を失ってしまいました。
それは悲しい出来事ですが、歴史を未来へ生かすためにも、必ず語り継いで行かなければなりません。

しかし、
そのような厳しい世の中でも、志を失わず前進しつ続けたヒーローが故郷に居たということ。
子どもたちには、それを覚えていて欲しいと願います。〜




では、長谷川泰先生の最も大きな業績を紹介させて頂きます。

明治9年(1876)の東京に「済生学舎」という、日本初の私立の西洋医育成学校を創立。
当時は、まだ西洋医学は十分に普及しておらず、不足していた西洋医の早期育成を目指しました。
志ある者に広く門戸を開いた済生学舎からは、「野口英世」や「吉岡彌生」など、多くの医師や医学者が巣立って行くこととなります。

卒業生の数は、廃校までの28年間で2万1,494人。
開業の為の本試験の合格者は1万5,000人以上、そこから医師になった者は1万を超えました。
明治時代の西洋医の過半数が、済生学舎の卒業生ということになります!
このように、済生学舎は日本の医療の発展へ、大きく貢献しました。


長谷川泰先生のエピソードは、【泰先生メモ】で随時更新して行きます。
https://blog.canpan.info/taisensei/category_4/


※当ブログは日本史・医学史などの研究サイトではありませんので、もしも内容を引用される際には専門家の文章では無いことにご留意ください。




私たちの最初の目標は、マンガ「長谷川泰ものがたり」を創ることです。
子どもたちにも楽しみながら長谷川泰先生を知ってもらえる作品にしたいと思います。

それでは、宜しくお願いします!

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