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林先生の痛快!生き様大辞典 [2015年03月24日(Tue)]

 人気番組『林先生の痛快!生き様大辞典』がいよいよ最終回ですが、なんとテーマには、幕末の長岡藩家老の河井継之助!

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 林修先生は、先日には河井継之助記念館友の会の記念講演で、〜今伝えたい、ラストサムライの生き様〜と題してお話しされたばかり。
 500名を超える来場者に向けて、林先生の締めの台詞は、「常在戦場とは、つまり“いつやるの?いまでしょ!”ですね」と。そう言われれば、なるほど、常に時代に対応して動るよう備え、いざとなれば即行動と言えるかもしれませんね〜。

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 林修先生と継之助との出会いは、小学生の時。「別冊太陽」の、明治維新の100人で「顔付き」に惚れたそうです。曰く、「イケメンかどうかの顔立ちはどうにもできないが、顔つきは内面から変えることができる」と。
 そして後に、今出来ることには最善を尽くすべきと、河井継之助に学んだそうです。

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 「歴史認識は自己認識」というのが、林修先生の歴史との関わり方であり、今への活かし方。
 自分に似た人物を探し、それに学ぶことだと。ご自身の激しい性格は、継之助に共通するそうです。
 河井継之助記念館の稲川明雄館長は、郷土の先人に共感しながら学ぶとも話されるので、これは共通点ですね。

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 郷土の先人の人物像に思いを馳せ、自分なりのヒントを得ることは、長谷川泰を語る会の活動でも繰り返されて来たことです。これは、学問的な歴史とはまた別に、特に子どもたちの共感には必要なことだと改めて実感しました。
 本日は、地元新組小学校の卒業式。今年も卒業生には御当地伝記マンガ「長谷川泰ものがたり」が贈呈されました。河井継之助も登場しますよ!

演劇【最後のサムライ】 [2015年03月15日(Sun)]

 俳優・市原隼人さんの初主演舞台演劇「最後のサムライ」が千秋楽を迎えました。

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 ブログ管理人も長岡から上京して観劇しましたが、幕が上がると序盤から「五間梯子」が舞い踊る熱気。あっという間に、幕末の長岡の世界に惹き入れられてしまいました。

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 日頃は、長岡でしか聴かないような人物名、お国言葉が飛び交う舞台は刺激的でした。

 長岡の河井継之助記念館を訪ねて綿密に取材されるなどされたそうで、物語の筋はとても太いものでした。
 それでいて演劇の表現には、解釈を広げる自由さが許される。(たとえば、長岡目線で観ても山縣有朋を応援したくなるような!)
 これは漫画にも同じことが言えると思いますが、歴史と先人に対する想いを伝えるにしても、表現による演出、感動による共感は強く作用します。
 大胆な演出の中にも、真摯なメッセージが感じられる「最後のサムライ」には、地元長岡の継之助ファンとしてもとても感動しました!

「河井継之助記念館 公式サイト」〜市原隼人さん来館


 ・・・・長岡講演もあるといいですね〜!!

「最後のサムライ」公式ブログ
八十里越物語展 [2014年02月03日(Mon)]

長岡、加茂、三条、三市に渡って開催された「八十里越物語展」の報告です。
長谷川泰を語る会も、実行委員会として企画から参加しました。
北越戦争で敗れた、長岡藩苦難の道のり「八十里越」にまつわる先人たちを紹介。もちろん、長谷川泰と外山脩造も欠かせません。

只見の河井継之助記念館と会津の新撰組記念館から、今までに不出だった貴重史料も貸し出し頂き、「河井継之助の毛布」「山本帯刀の大隊旗」など、小規模ながら大変に濃厚な内容となっていました。

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なお、長岡では「子どもたちに郷土の偉人を楽しく知ってもらう」ことをテーマに、市民協働の助成金による展示を致しました。

八十里越物語展への来場は2日間で3000人超。
子どもたちの来場は、230人ほど。郷土史の展示を子どもたちに向けて行うことは、長岡ではめったにありませんから、大成功でした!

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「長岡維新三傑」(絵は長谷川泰物語作者)の等身大パネルで記念撮影!

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負傷した河井継之助を運んだ戸板籠を再現。重い!先人の苦労を知りました。

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「米百俵の精神」コーナー。米俵の重さっていったいどれくらいなの?

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市民による寸劇も。児童語訳の米百俵の戯曲などが大盛り上がりでした!
【講演】長谷川泰と日本医科大学 [2013年06月22日(Sat)]

 講演会「長谷川泰と日本医科大学」にお越しいただきありがとうございました。
 遅くなりましたが、その報告です。以下にブログ管理人の感想をまとめさせていただきます。

 講師は東京から、日本医科大学医史学研究会の殿崎正明先生です。
 同会の唐沢信安先生と、「長谷川泰ものがたり」の取材から今まで多大な御助力をいただいて来ました。

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 長谷川泰と山縣有朋の確執、長谷川泰の精神を体現した野口英世。ふるさとの偉人が日本史と連結する、ダイナミックな講座でもありました。
 良寛〜河井継之助〜長谷川泰〜野口英世、彼らが同一の地平に語られる、これはなかなか他では聴けないことです。

 山縣有朋との確執。
 〜というよりも長谷川泰は、戊辰戦争からの対立には案外無頓着で、純粋に医の信念から明治政府を相手に暴れ回っていたような印象も受けました。
 その山縣が糸を引く「専門学校令」による済生学舎潰しの裏で何が起こっていたのか、長谷川泰は気付いていなかったのではないかとの話がありました。「藩閥」に無頓着ゆえに、それが物を云うエリート社会で浮き上がっていたような気もします。
 伝記マンガでも描いた様に、人や物事の好き嫌いは強くても出身や身分による差別が無い済生学舎。しかし校長の長谷川泰には越後人贔屓のエピソードが遺されてもいます。

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 この度の講演では、同郷の(つまりこの越後の)後輩医学者たちが山縣有朋に加担せざるをえず、長谷川泰を弾圧した事もじっくりと炙り出されました。地元の郷土史としては辛い視点ですが、大事な事実でもあります。東京の研究者である殿崎先生でなければ、なかなかお話頂けないことです。
 そうして長谷川泰は孤独と失意のうちに没したと言われますが、山縣の死後になると済生学舎の再建に乗り出す同郷の後輩たち。〜涙します。

 「廃校」した済生学舎の再建に尽力した山根正次は萩の出身、山縣有朋と同郷です。藩閥との折衝のためには、この人が立ったとの説があるそうです。
 山根は廃校する長崎医学校から長谷川泰が見出だし、帝大に編入させ育てた医師でしたので。これも大変にいい話です。

 さて、済生学舎OBで最大の名声を誇るのは野口英世。
アメリカから一時帰国して、その時に飲んだくれた相手は済生学舎の同窓生たちだったそうです。それもいい話に違いありません。
 現在、野口の研究は科学的には評価が下に見直されています。そればかりか人格まで否定される事も・・・。
 では何故彼の人気は根強いのか?それは『医療に命を捧げた医学者』など、世界を探してもそう居ないからだとのお話でした。
 野口英世のその生きざまこそ、すなわち長谷川泰の「済生救民」の思想だと、殿崎先生は話されていました。その源流には、良寛(長善館)から得た『慈愛の心』があり、河井継之助から得た『経世済民』があるのだと、越後の郷土史に繋げられています。

 長谷川泰の済生学舎を源流とする日本医科大学の建学の精神は、済生救民と克己殉行。〜世の為に生き民を救うことです。
 日本医科大学OBの肥沼信次は、世界大戦中ドイツのリーツェンで医に殉じ、現地で英雄として奉られました。
 日本では野口英世と同様、絵本になり、漫画になり、今も語り継がれています。

 戊辰戦争で敗戦した長岡の外れ、貧しい農村から立ち上がった長谷川泰は古里のプライド。まさに後輩たちの生き様に重なるようです。
 「子どもの時に長谷川泰を知ってれば、俺たちはもっと勉強したのに」という大人たちの言葉が顕彰する価値を物語っています。

 新事実で驚いたことがあります。
 詩人・中原中也の父は長谷川泰の済生学舎出身の医師だというのです!
 (偶然の符号とは思いますが、中也の恋人、長谷川泰子を思い出さずにはいられません。)
 中也の故郷は山口。つまり済生学舎因縁の山縣有朋と同郷なんですね。
 〜歴史で因縁話を始めたらキリがありませんが、そういった中に発見があったりします。

 医学史、長岡郷土史について大変に専門的で濃いお話をいただき、地元のお医者様にもお越し願いたい内容ながら、長岡医師会の会合の日に合わせてしまったのは、当会痛恨の手落ちでしたが、様々な方面からたくさんのご来場をいただきました。
 講師の殿崎正明先生、ありがとうございました。

 


 
長谷川泰先生を語る交流会 [2012年03月12日(Mon)]

 3月11日の記念講演の後の交流会の様子です。
 この日、長谷川泰の100度目の命日は、東日本大震災から1年。会の開幕を前にまず黙祷が捧げられました。
 ※当ブログ関連記事【長谷川泰没後100年記念講演】

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長谷川泰を語る会の面々


 冒頭、長谷川泰翁銅像建立の発起人代表、星野伊佐夫県議(新潟県議会)が長谷川泰の偉業を賞賛され、生地への銅像建立の意義をお話しされました。全国の医療関係者と郷土越後から広く御寄付をお願いしたいこと、そしてなにより生地新組地区には「100円でもいいから!」と皆さんからの御寄付を呼びかけられていたのが心に残りました。

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星野伊佐夫県議


 続いては、画家の吉田直治先生(長岡市在住)の作品のお披露目の模様です。
 晩年の長谷川泰は漢詩の中で故郷を桃源郷と喩えたとされます。このたび吉田先生はその心情を墨絵に表してしてくださいました。幅2メートルの大作には、長谷川泰が恋い焦がれたであろう穏やかな農村の雪景色が描かれています。

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桃源郷の絵お披露目


 この日、東京からは来賓として日本医科大学関係者をお招きしています。日本医科大学中央図書館事務室長殿崎正明先生、OBで放射線科の医師であられる山本鼎先生です。ブログ管理人は、この前日にお二方と県内の史跡巡りを御一緒させて頂いています。
 殿崎先生からは力強い応援のスピーチを頂きました。

 その内容は、長谷川泰は民による医学教育の先駆であり官制医学の批判者だったが、国内2校目の官立大学である京大(関西帝大)創始の起案者であることは忘れられない、というものでした。
 喧嘩はするが派閥争いに捕らわれず、国民の健康と医療の発展を第一に置いた長谷川泰の偉さを物語るエピソードです。
 また殿崎先生は、長谷川泰の教え子である日本医科大学、そして同郷である長岡の人たち、一番の当事者の私たちからまず長谷川泰の偉業を全国へ向けて讃えて行きたいと、熱く訴えかけられていました。

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日本医科大学中央図書館殿崎先生


 長谷川泰翁銅像を制作中の峰村哲也先生(長岡市在住)も壇上で紹介されています。峰村先生はこれまで、良寛像、河井継之助像を創られています。その両者無くしては長谷川泰の活躍は無かったといわれますから、この度の銅像をお任せするのに峰村先生こそが又とない彫刻家なのです。
 稲川明雄先生の講演や殿崎先生のスピーチから、長谷川泰の偉大さを再確認されたと話されていました。

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彫刻家峰村哲也先生


【長谷川泰翁像建立のお報せ】

 星野伊佐夫新潟県議会議員を発起人代表とし、生地への銅像建立が進められています。
 長谷川泰を語る会としても、地元新組地区の住人、長岡市民を始め、長谷川泰先生を慕う多くの皆さんから、建立資金の寄付のご協力をお願いしています。
 口数や額は定めておりません。どんなにささやかなものであっても、その温かいお気持ちをできるだけたくさん集めたいと願っています。

   発起人代表 新潟県議会議員 星野伊佐夫
   発起人 長岡商工会議所会頭 丸山智
   発起人 長岡医師会々長 太田裕
   発起人 中央綜合病院々長 吉川明
   発起人 長岡管工事組合長 室橋一司
   発起人 郷土史研究家 稲川明雄
   発起人 燕市長善館研究家 吉田勝
   発起人 新潟県生活衛生同業組合連合会々長 小林弘昌
   発起人 長谷川泰を語る会代表 恩田利平太

<主管>郷土の偉人長谷川泰を語る会
      新潟県長岡市新組町5331-1 電話0258-24-3123(愛輪商事内/事務局)

 【寄付金の振込口座】
 ゆうちょ銀行 00510-9-84951
 加入者名 長谷川泰を語る会
長谷川泰没後100年記念講演 [2012年03月11日(Sun)]

 平成24年3月11日は、長谷川泰先生の100度目の命日です。
 生地長岡では、それを記念しての講演会が開催されましたので、その模様を報告いたします。
 
 講師は郷土史ファンにはおなじみの、河井継之助記念館館長稲川明雄先生です。

 稲川明雄先生には長谷川泰の活躍をユーモアたっぷりにお話頂きました。
 泰にはニヤリとする逸話が多く、その面白さを伝えるのは講釈上手でなければなかなかできません。

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会場には140人ほどは集まっておられたでしょうか。
壁に掛けられた墨書『済生救民』とは長谷川泰の生涯のテーマ。「広く民衆を救う」という意味があります。東日本大震災1年後の3月11日に、あえてイベントを催すにはこのテーマを考えることが必要でした。

 以下、稲川先生の講演より趣意を拾い上げて抜粋しました。(お話を聴いたブログ管理人の主観も混じるかもしれません。)

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●泰は八十里越えに同行せず逃げたのではないか。
 戦争は終ったならば、武士に同行するよりも残された村人を助けたいと。
●泰は自分が医者なのに医者がいらない世の中を作ろうとした。
 感染源対策や公衆衛生への先覚は、民衆を病気にさせない為にあった。
●泰が居なければ野口英世は千円札にならなかった。
 野口は泰校長の済生学舎で医師の資格を得た。
●政治と文化は相反しない。
 泰は役人嫌いなのに官僚になったが、政治を用いて世の中を変えるためだった。
 良寛や河井継之助から学んだ精神は、政治に活かすことができる。

 そして以下の内容は、来賓でありました元北里大学準教授川村賢司先生のご御挨拶の内容からです。

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 北里柴三郎が恩師とする人物は3人。
 ・細菌学の師、コッホ博士。
 ・帰国後の北里冷遇の中、猛然と支持論を展開した長谷川泰。
 ・北里伝染病研究所の設立を援助した福沢諭吉。
 泰と北里は似た者同士とも話されました。どこか反大成の気があって、信念を曲げず気が短い辺りのことでしょうか。

 講演の最後には、長岡市教育委員会に「長谷川泰ものがたり」の読書感想文集を寄贈させて頂きました。27名の小学生が書いてくれた、感動が詰まった1冊です!

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【イベント】郷土史探訪ウォーク [2011年10月03日(Mon)]


八丁沖から長谷川泰の故郷を望む


 長谷川泰のふるさと新組地区と、その幼馴染の外山脩造のふるさと栃尾小貫をつなぐ郷土史探訪ウォーク。
 「長谷川泰ものがたり」の冒頭シーンの様な、少年時代の2人が耳取の塾へ通った景色を行きます。
 史跡では郷土史研究家の深滝純一さんから解説を頂けることになりました!

 新組地区の外からの参加も歓迎です。以下のメールまでお申し込みください!
 taisensei@me.com


↑こんなのぼりを掲げて歩きます!



告知用チラシ


●日時_10月9日(日)福井町神社集合/朝9時発〜14時着予定【雨天中止】
●募集人数_30名まで
●参加費_500円/保険料込<小中学生無料、保護者同伴でお願いします>
※飲み物、昼食は持参でお願い致します。

<日程>
福井町神社集合〜徒歩〜耳取町着
<泰と脩造の師・井上五蔵石碑/深滝さん解説>
バス移動〜小貫着
<外山脩造石碑/深滝さん解説>
休憩/昼食(小貫公民館)
バス移動〜椿沢着〜徒歩出発〜八丁沖〜福井町神社着

参考地図「Googleマップ/長谷川泰先生と新組地区」
第5回【泰先生に親しむ集い】 [2011年07月23日(Sat)]

 第5回「泰先生に親しむ集い」
 河井継之助記念館館長の稲川明雄さんを新組地区にお招きししてお話を頂きます。
 急遽決まったイベントで小さな講義になりますが、河井継之助と長岡の歴史に絡めた面白い考察を頂戴できるのではないでしょうか。



・日時/平成23年7月24日
・会場/長谷川泰を語る会事務局(新組地区、恩田方)

※会場が狭く席に限りがありますので、この度は地域の方から順に個別にお声掛けさせて頂いています。
第2回タイ・カップ結果 [2011年06月18日(Sat)]

 長谷川泰翁杯親善少年野球大会【タイ・カップ】
 6月18日の結果報告です。

 優勝は2大会連続の地元「新組ホワイトソックス」
 やはりホームの意地を見せてくれました、2試合3ホーマーを含む猛打が爆発です。
 準優勝は初出場の「和島ベースボールクラブ」です。



 昨年の第1回大会は、再三の雨で秋の開催になってしまいましたが、今回は予定通りに開催されました。
 先取宣誓は、第1回大会の優勝チーム新組ホワイトソックスから久住キャプテン。
 長谷川泰を語る会理事長からは、郷土の偉人を冠した大会の主旨が語られ、新組学校長池田先生からは、ふるさとの偉人に学びましょうというメッセージをご挨拶として頂きました。

 そして昨年に引き続き、新組町の花火屋さん「安藤煙火店」さんによる打上げ花火でプレイボールです!

 今年から新組ホワイトソックスはお隣の上通サンダースと合併し、高学年の多い充実の戦力となりました。新組町在住の北原監督の元に、一致団結して戦います。北原監督の明るい指導が、新組ホワイトソックス伸び伸びとしたプレースタイルを生んでいるようです。
 また、北原監督は話されていました。「どんなにやられても粘り強くプレーさせ続けることで、近い将来に化ける子がたくさん居る」と。参加した4チームすべてがそうでしたが、投手が打ち込まれても、打者が見逃しの三振をしても、監督・コーチの叱咤と声援はとても真摯でした。


 決勝戦の最終回を3人でピシャリと締めたのは、この日キャッチャーとしてチームをまとめ上げた久住キャプテン。1本塁打で攻撃にも活躍!


 抜群の成績を残してのMVPは福田海人選手。
 2試合8打数7安打、内2本塁打。先発も務めて決勝戦は無失点の大活躍でした。


 試合終了後は参加全チームで記念撮影をし解散。相互に帽子を振り健闘を讃え合いながら分かれる姿に感動しました。
 新組地区の皆さん、新組小学校の先生方、各チームの保護者の皆さん、今大会にもご協力をいただきありがとうございました!
 来年の第3回大会もよりパワーアップして開催したいと思います。どうぞ宜しくお願い致します。



○今回の参加チーム

 ・新組ホワイトソックス(新組地域)
  ご当地偉人「長谷川泰」
  〜明治時代に1万人の医師を育てた医学者

 ・刈谷田少年野球クラブ(栃尾地域)
  ご当地偉人「外山脩造」
  〜阪神タイガースの生みの親/泰の幼馴染

 ・信条フェニックス(中之島地域)
  ご当地偉人「池田謙斎」
  〜日本初の医学博士/江戸幕府医学所での泰の先輩

 ・和島ベースボールクラブ(和島地域)
  ご当地偉人「良寛」
  〜慈愛を教えた心優しい僧侶/泰が尊敬した越後の大先輩

※参加チーム各学校には、御当地伝記マンガ「長谷川泰ものがたり」が寄贈されていますので、読んでみてくださいね!
【タイ・カップ】第2回大会 [2011年06月17日(Fri)]

長谷川泰翁杯親善少年野球大会【タイ・カップ】第2回大会が、明日開催されます。



日時:平成23年6月18日(土)
    8:00開会式〜9:00プレイボール〜15:00閉会予定
会場:長岡市立新組小学校グラウンド

参加チームの各地域の皆様、子どもたちの応援を宜しくお願いします!
そして、偉人たちを通して、新潟県のそれぞれの地域の特色ある歴史文化を語り合う切っ掛けにしましょう。

【開催趣旨より】
本少年野球大会では、長谷川泰と交流のあった偉人ゆかりの地域の少年野球チームで、長谷川泰翁杯を争います。
長谷川泰は、同郷の偉人たちと少年時代から交流を深めることで成長した人物です。 そのことに倣い、現在の子どもたちには野球を通して地域間の交流を重ね、見聞を広げる機会を持っていただきたいと思います。
そして、この郷土の先人たちの名を冠した野球大会を回を重ねて行く事により、親と子にその功績を永く伝え遺します。
やがて、先人を誇りとし、彼らと歴史で繋がる郷土と自己への愛着を育んだ子どもたちが、未来の社会で大いに活躍してくれることを願っています。

○今回の参加チーム

 ・新組ホワイトソックス(新組地域)
  ご当地偉人「長谷川泰」
  〜明治時代に1万人の医師を育てた医学者

 ・刈谷田少年野球クラブ(栃尾地域)
  ご当地偉人「外山脩造」
  〜阪神タイガースの生みの親/泰の幼馴染

 ・信条フェニックス(中之島地域)
  ご当地偉人「池田謙斎」
  〜日本初の医学博士/江戸幕府医学所での泰の先輩

 ・和島ベースボールクラブ(和島地域)
  ご当地偉人「良寛」
  〜慈愛を教えた心優しい僧侶/泰が尊敬した越後の大先輩
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