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命日の墓参 [2015年03月11日(Wed)]

 3月11日は長谷川泰先生の命日にあたります。
 今年は折からの寒の戻りで、時折は強く吹雪くなどの天候でしたが、合間を縫って見附市の曹洞宗智徳寺にある墓所に参拝しました。

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 手を合わせて近況をご報告していると、境内の山裾から鐘の音が。
 東日本大震災が起こった時刻に撞かれる、追悼の金でした。
【長谷川泰翁像】 [2013年10月20日(Sun)]

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 大正5年、文明開化を医療から支えた長谷川泰の遺徳を顕す銅像が、東京湯島天神の境内に建立されました。
 しかし太平洋戦争に際して、その像は無念にも銃弾へと姿を変えました〜

 〜新組地区に平成24年4月18日に除幕された「長谷川泰翁像」は、湯島の銅像を生誕の地に再建する趣旨であり。更には、同郷の彫刻家による現代なりの解釈が加えられています。

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 「形」とは、言葉とはまた別に、先人の実在を強く現すものです。
 かつて、戦争に供出される形で多くの偉人たちの姿が失われましたが、その中で長谷川泰先生の像がここに再建されたことに、深い感動を覚えます。
市民活動フェスタ [2012年11月05日(Mon)]

11月3日4日は、アオーレ長岡で「市民活動フェスタ」が開催されました。
それに展示される市民団体のPRポスター制作の講師として、長谷川泰を語る会漫画班が出動いたしました!

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ど〜です。泰先生のイラストが入って良い感じでしょ?

長谷川泰を語る会も、長岡の市民協働団体の一つ。
これからも、町と、人と、行政と、一緒にがんばります!

「長岡市民協働センター」
郷土史ウォーク【長善館〜出雲崎】 [2012年11月04日(Sun)]

11月3日、長谷川泰を語る会では昨年に続き郷土史の史跡を歩きました。
今回は燕市の長善館史料館を見学の後、良寛生誕の地出雲崎へ。

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いつもお世話になっている長善館史料館吉田館長から、解説を頂きました。
新組地区の住人には、すでにこの館の常連もおります。

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先月まで企画展示をされていた、長谷川泰の特集資料を使った解説。
「長谷川泰ものがたり」も使われていました。ありがとうございます!
長谷川泰は長善館の門下生として第一に顕彰すべき人物だと吉田館長。燕市にとっても、長岡市にとっても誇りです。

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新たな展示には良寛の書「天上大風」の解釈がありました。
「天上大風」は、良寛の書を手に入れたい村民が子どもを使って、「凧にするから」といって書かせました。子ども好きの良寛は、それを分っていながら書いたと言われます。
展示には、良寛は「見えないところで大変革が起こっている」と世に問うたとも考えられると書かれていました。

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上の写真は、長善館のルーツ図解です。
長善館開学の鈴木文臺は良寛を師に持ちます。その良寛のルーツをさらに遡ったものです。
寺泊の大森子陽が良寛の少年時代の師であり、子陽と米沢上杉家の名君「鷹山公」との共通の師が細井平洲であると解説させています。
自然、この学びの系譜は長谷川泰にも繋がるものです。
長谷川泰は上杉謙信を尊敬しましたが、「謙信」「良寛」といった偉大な先人の思想は、越後の文化の基礎として脈々と流れていたように感じられます。


さて、バスで長善館を後にして向かったのは出雲崎です。
天候が良ければ寺泊も歩き、大森子陽の墓なども訪ねるところでしたが、今回は初冬の日本海の寒風に煽られ断念。
その日本海の雪を歌った「ジェロ」で話題になったのが出雲崎ですね。

良寛生誕の地として有名な出雲崎は、油田と佐渡の金銀の公益で栄えました。
金の集まる所には揉め事も付き物。町には代官所が設けられ住人を監理し始めましたが、その事が良寛の社会観の原点となったのでした。
栄えた時代の人口の流入で過密となった町は、北国街道沿いに特徴的な「妻入り」の街並を作りました。今もその面影を残す街中には、趣きのある散策路が整えられています。

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生家跡にある良寛堂で記念撮影です。

※参考リンク
「大森子陽先生の墓」
「出雲崎、妻入の街並/新潟県まちなみ博」
「まちなかカフェ」にて講座 [2012年07月19日(Thu)]

 7/18日、長岡大手通にある「まちなかキャンパス」で開催されている「まちなかカフェ」にて、長谷川泰を語る会漫画班の恩田がゲスト(講師)を務めさせて頂きました。

 歴史の専門家では無いと前置き、御当地伝記マンガ「長谷川泰ものがたり」の場面とストーリーに沿った人物紹介を行ないました。

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 制作過程の紹介では、「地元住人が自ら学ぶこと」「地元ならではの目線を活かす」などの重要性を説明。「御当地伝記マンガ」と銘打った事の意味を強調しました。

 ■資料収集から取材・調査の段階の要点をかいつまむと〜
 ・地元で聴き取りを行なう中で、偉人の当地の住人として共感を深める。
 ・事前の予習を行なう事で、専門家との交流が円滑になる。
 ・インターネットだけではなく、一次的史料や史跡に触れ、歴史の肌触りを感じる。
 ・実在した人物である事を忘れず、敬意をもって接する。

 出版して得た実際の効果の紹介では、先ずマンガの伝達力の強さを説明。表現として親しみ易く、分かり易い事は世代も選ばないことが有効です。
 また、取材の過程そのものが地域の内外の人の交流の潤滑剤となる事を説明。
 若者や子育て世代が中心になって活動をすると、上の世代からの語り伝え、そして子どもたちへの語り伝えを通して、全世代の交流が生まれます。
 偉人の足跡を辿ると、地域外にも交流が波及します。その例として、長谷川泰の母校「長善館」があった燕市、泰が創始した日本医科大学との例を挙げました。



 慣れない、舞台に疲労困憊の講師でした。
 時間一杯喋り続けたものの伝え足りないという結果でしたが、長谷川泰を語る人材を育てる為に、今後も機会を得て講座を続けたいと思います。
 来場の皆様、御清聴ありがとうございました。次回もぜひ!



「まちなかキャンパス」は、学びと交流の施設です。
年間を通して魅力的な文化講座がたくさん、是非とも参加・活用してください。
webサイト「まちなかキャンパス長岡」
【制作進む】長谷川泰先生銅像 [2012年05月25日(Fri)]

 峰村哲也先生のアトリアを訪問しました。
 長谷川泰先生銅像の制作も佳境、大変な集中力が必要であろう中で、快くお迎え頂いて感謝しております。

※関連記事「長谷川泰翁像の建立が発起」

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 原型の大元となる塑像(粘土の像)の制作の様子。これを石膏でかたどったものが、銅像の原型となります。
 座像で約170cmの高さ、威風堂々たる銅像に仕上がることでしょう。

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 制作中の塑像と相対するその背後には、河井継之助と良寛の原型石膏像が。
 素晴らしい作暦をお持ちの峰村先生。
 このアトリエの空間に、尊敬の念で繋がった越後の偉人たちの想いが渦巻く様でした。

【掲載】越後通信で長谷川泰特集 [2012年04月28日(Sat)]

 長岡周辺で配布されている情報誌「越後通信」で、河井継之助記念館稲川明雄館長のお言葉による長谷川泰特集が組まれました。
 『今こそ長谷川泰が必要だ。』と力強く題されています。
 この号は読売新聞に折り込まれた他、長岡市周辺の公共施設や町の駅でも入手できますので、どうぞご一読ください!

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 「歴史は感動であり、感動を学ぶことが重要」
 歴史の学びの第一歩は、数字の羅列や事件の暗記ではない。
 この心構えは、稲川館長に日頃から私たちが学んでいることであります。

 稲川館長と晩年の泰先生の写真の風貌は、どことなく似ていると記事に書かれていました。
 むむむ・・・確かに、瞼の下に隠れた熱い眼差し、似ています!

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 同紙面には、長谷川泰と外山脩造の郷土史映像を制作中の、五十嵐勝見附市議が紹介されています。
 五十嵐市議は、これまでも見附の郷土史を始め、河井継之助や会津藩を題材として映像を数々制作されています。
  同い年である二人の偉人が学んだのは、現在の見附市耳取町にあった漢学塾青鬣館(せいりょうかん)なのです。この度の映像も完成が楽しみに待たれます。

 日本医科大学医史学教育研究会、殿崎正明先生も紹介されています。
 3月11日、長谷川泰の百周忌式典での「京大建学は長谷川泰の功績」との熱弁には、語る会の活動に勇気を頂きました。
【定例会】長谷川泰を語る会 [2012年02月08日(Wed)]

 本日は定例会。
 来月11日、長谷川泰先生の没後100年の記念講演(講師/稲川明雄さん)を前に打合せです。



 参加人数、時間割等の確認が終り、現在はお酒付きの交流会。
 ベビーブーム世代のおじさん方が、新組小学校時代の思い出話で呑んでいます。
 その頃はなんと、道路まで雪が積り、天気が良いとその上を「しみわたり」して通ったそうです。
 吹雪く日には上級生が下級生を縄で繋いで集団登下校。
 靴下もそんなに買えない時代で、長靴の中に藁や新聞紙を詰めて防寒にしたとか・・・今では考えられないですねー!

 近頃ブログの更新が滞っていますが、長谷川泰を語る会、ちゃんと活動中です!
平成24年 [2012年01月08日(Sun)]

 皆様、本年も宜しくお願いいたします。

 昨年中は春の出版への漫画作り、そして出版後は広報活動と、長谷川泰先生の顕彰活動に全力を挙げてまいりました。
 その振り戻し・・・・といっては何なのですが、ブログ管理人は仕事と私事に時間を割かせて頂いている昨今でした。
 もちろん、取材調査は引き続き、御当地伝記マンガの広報も頑張っておりますので、折々に御報告いたします。どうぞ本年もお付合いください!

 さて、平成24年は長谷川泰先生の没後100年の節目となります。(生誕170年)
 長谷川泰を語る会では、既にお報せしている「長谷川泰先生銅像建立」の活動を中心に。ふるさと長岡での長谷川泰の偉業の周知により一層努めてまいります。

※当ブログ関連記事
「長谷川泰翁像の建立が発起」
【定例会】稲川明雄先生再び [2011年11月11日(Fri)]

 毎月、長谷川泰先生の月命日に行なわれる定例会にて、再び河井継之助記念館館長稲川明雄さんをお招きし、講義を頂きました。
 先日大好評だった新組地区コミュニティセンターでのミニ講演を聞き逃した方々、20名以上が集まりました。



 先日の新組地区コミュニティセンターでの講義内容に、新たに加えられたメッセージを書き起こしてみます。


 頻発する越後平野の洪水〜平地は排水が悪く溜まり水が腐り(腐り水)伝染病が流行る。この苦しみが越後の名医輩出の基盤であり、八丁沖近くの長谷川泰生地福井村もまさに同様の土地であった。

 長谷川泰の名声は偉業に反して長岡で低い。しかし現在も医学界では有名人、河井継之助よりも全国区だとのこと。
 ただし東京の国立大の先生には評判悪しと・・・生きて活躍された頃から公立校の先生との喧嘩が絶えませんでしたから、良い伝わり方はしていないかもしれませんねぇ。

 新組地区の歴史文化財産、戊辰戦争、四人の花火師、長谷川泰、いずれも全国区で語れるものであるので、新組地区大黒町にオープンする「北越戊辰戦争伝承館」(4月予定)でも、地域の関係資料として長谷川泰を展示すべき。価値観が激しく変容して行く現在の社会に合致したテーマを持った偉人だとのこと。

 そして稲川先生は結びにこうエールを贈られました。
 先祖の苦労は忘れたいというDNAが皆さんの中にあると思う。しかし、故郷を良くする為に頑張った先祖の姿を勉強して、次の時代に伝えてもらいたい。


 以上でした。
 稲川明雄先生、いつもありがとうございます。
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