「アオーレ長岡」オープン [2012年04月01日(Sun)]
本日、長岡市にシティホールプラザ「アオーレ長岡」がオープンしました。
「アオーレ長岡」市役所本庁舎とアリーナなどが一つになった巨大建築です。 このアオーレは、かつての長岡城跡地に造られているのです。 施設の驚きの全容は他所の記事を読んで頂くとしまして、こちらではこの近代的な建物の中に歴史の痕跡を探してみました。 ![]() 敷地の片隅、以前と同じ場所に、長岡城趾の碑が保存されていました。 案内の石柱にあるようにここは二の丸跡。長岡城の本丸は現在の長岡駅なのです。 併設されているのは「城内稲荷神社」、古くから長岡城二の丸にあったものです。築城にまつわる白狐伝説から祀られたと伝えられています。 ※大手通商店街公式サイト「城内稲荷白狐伝説」 ![]() アオーレの入口には、下の写真のように年譜が記されています。 1605年(慶長10)の築城から、1926年(大正15)旅館王大野甚松の全額寄付で建てられた長岡市公会堂、そしてアオーレ建設まで大手通のシンボルとして長く市民に愛された、長岡市厚生会館への歴史です。 ![]() 1階の議場入口には、蒼柴神社所蔵の「蔵王権現祭禮御覧之図」の複製が展示されていました。 蔵王権現(現在の金峯神社)は、長岡の信仰の要。これは旧暦6月に行なわれる六月祭禮の様子を描いたものです。 解説文では、武士と民衆が協力して藩政を行なったことが表れているとの解釈がされ、「市民恊働」の時代にこの絵巻から学ぶべきだと結ばれています。 絵師は長岡藩お抱えの辰巳教祗か飯島常といわれます。辰巳は「人体解剖図」の作者であり、長岡藩で早くから「腑分け(解剖)」が行なわれていた記録として、医学史の貴重な史料となっています。 ![]() この極めて近代的な建築物の地下、駐車場の一画に長岡城の直接の痕跡が展示されています。 これは、城壁の盛り土を支えていた土留めの杭です。 この度の工事中に発見された物だそうですが、長岡藩の歴史を忘れるなと市民に呼びかけるために、土中から甦ったかの様です。 これからも、新しい長岡のシンボルを足元から支えてくれることでしょう。 ![]() |