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【泰先生メモ05】長岡の下水道への影響(前) [2010年05月06日(Thu)]

長谷川泰の大きな功績のもう一つは、国内初の下水道法の成立です。

長谷川泰は、内務省衛生局長就任の前年に「公衆衛生の価値に付いて」と題して、1時間余に渡る大演説を行なっています。
要約すると以下の様なものでした。

「公衆衛生、労働問題等を考えると、上水・下水を改良してもまだ<略>これだけの利益があります。公費をもって上水・下水を改良して人間を十分に保護してやらなければ、国の富を失うことになります。」

都市部の汚物処理の不備からくる不衛生により、コレラ等の伝染病が猛威を振るう時代。
下水道整備により公衆衛生の改善されると、それが多大な公益をもたらす事を示したのです。

長谷川泰は下水道について語る時、『町の中の金山を掘れ』というキャッチフレーズを用いました。
当時、下水道整備が先進していたロンドンの議会で提出された議案書から、長谷川泰が翻訳したものです。

明治31年(1898)、57歳の長谷川泰は、前任の後藤新平の熱烈な推薦と、第3次政権を迎えた総理大臣伊藤博文の嘆願により、内務省衛生局長に就任しました。
そして明治33年(1900)、下水道整備に掛ける熱意が、ついに国内初の「下水道法」を可決成立させました。

この中央での長谷川泰先生の活躍が、長岡の下水道整備にも大きく影響して行きます。
<続く>
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