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宝珠育児園 [2011年11月07日(Mon)]

 現在の新組地区百束町、宝珠院にはかつて親の戦死による孤児を育てる施設がありました。
 明治33年(1900)、宝珠院の住職となった土田義範(北谷村出身)が、日清戦争後貧しい時代に孤児を集め開園。私財を投げ打っての厳しい運営でしたが、やがて宮内省から下賜金が贈られる評価を受けました。
 大正2年(1913)に廃園になるまで、社会に送り出した児童の数は160余名。同地に私塾として開校した宝珠学園の生徒数は数百人に登りました。



 宝珠育児園では、薬の行商を社会へ出る児童の自立の手段としました。
 上の写真をご覧ください。行商で児童たちが扱う目薬を処方したとされるのが、元衛生局長(すでに退官後です)長谷川泰と記されています。



 また、歯磨き剤の処方は新潟県歯科医会長の石塚三郎。安田村出身で野口英世の親友、野口の母シカの写真を撮影した人物です。写真家としても有名で、明治の新組地区を訪れて撮影もしています。
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