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長谷川泰と小林虎三郎 [2011年09月02日(Fri)]

 明治17年10月出版「百科全書」下巻に、長谷川泰による訳文『骨相学』が掲載されています。



 長谷川泰の父・宗済は長岡随一の漢方の名医と呼ばれ、若き日の虎三郎も掛かり付けであったと言われます。
 虎三郎の甥・小金井良精は、長谷川泰の手引きにより東京の大学で医学を学ぶ機会を得ました。



 『骨相学』の文末には、校正者として『小林病翁』の名前があります。
 若い頃から病気がちであった晩年の虎三郎は、東京に居た弟の雄七郎を頼ると自ら『病翁(へいおう)』と名乗り静かに余生を過ごしていました。
 病翁とは、病に老いた者という意味でしょうが、どこか自嘲的なのは長岡人らしいような気がします。小林虎三郎の故事『米百俵』は、今や全国で知られるものですし、同郷人の人材育成の功績は顕彰され子どもたちに伝え遺されるものとなりましたが、本人にはまだまだ志半ばという悔しさもあったのではないでしょうか。

 今まで長谷川泰と小林虎三郎の直接のかかわりを示す史料を目にしたことがありませんでしたが、これで東京での交流が明らかになりました。弟・小林雄七郎と長谷川泰は帝国議会で肩を並べるなど、大変に親しかったと言われています。

 この度の史料は、日本歯科大学新潟歯学部・医の博物館の樋口輝雄先生のご紹介によるものでした。有り難うございます。
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