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越後の済生学舎出身医 [2011年09月01日(Thu)]

 昨年の伝記漫画作りの取材中から、また今年3月の出版をきっかけに、近隣のご子孫や郷土史研究者の皆さんから済生学舎出身医師の情報が寄せられています。
 こうして情報が寄せられる事が、済生学舎が地方の医師不足を補ったことの証しとなります。

 現在資料が手に入ったのは以下の4名です。

・浅野虎三郎_安政6年(1859)生まれ
 現見附市今町(釈迦塚)生まれ。同郷の入沢達吉の医院に勤務。後に栃木医学校附属病院の内科医として招かれるが、その時校長であった長谷川順次郎(泰の弟)との縁であったと言われる。

・高橋辰五郎_文久4年〜元治1年(1864)生まれ、入学1885〜開業試験合格1886年
 現新発田市(加治村大字茗荷谷)生まれ。1895年に新潟市に高橋産婦人科医院を開業、1898に年私立新潟産婆学校を設立、1900年に創立された新潟女子工芸学校(現新潟青陵高等学校)の創立者の1人です。漫画家の高橋留美子さんは高橋辰五郎の曾孫にあたります。

・織田冬一_明治7年(1874)生まれ
 北越戦争に軍医として参加した織田斎の息子。今の下々条に開業。名物医者として住民から親しまれた。医院跡には「牧野國助」という人物作の長谷川泰石膏像と遺影、泰からの書簡(挨拶状)が遺されていた。

・成見久米_明治8年(1875)生まれ、開業試験合格1898年
 長岡坂之上に開業。済生学舎の卒業証書、医術開業試験の合格証書等多数の一次史料が現存。石黒忠悳の書が遺り、親交の跡がある。




 日本歯科大学新潟歯学部・医の博物館の樋口輝雄先生から頂いた資料「明治期発行の医師録に掲載された新潟県内の医師・歯科医師人名」には、上記の医師を始め長谷川泰周辺の医師の名前が多数確認できました。
 取材の助けとなる大変に貴重な資料です。樋口先生、ご協力を頂きまして有り難うございました。

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