• もっと見る

«【メディア掲載情報】 | Main | 【講座】長谷川泰と外山脩造<2>»
<< 2015年03月 >>
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
最新の記事
月別の記事一覧
日別の記事一覧
話題の分類
【講座】長谷川泰と外山脩造<1> [2011年07月06日(Wed)]

 本日は、栃尾在住の郷土史研究家・深滝純一さんによる郷土史講座「長谷川泰と外山脩造」に参加いたしました。(いきいき県民カレッジ登録講座)
 深滝さんは、「長谷川泰ものがたり」の制作にも外山脩造の件で協力していただいた外山翁の第一人者ですので、ブログ管理人は非常に楽しみにしていました。
 この講座は、本日の事前学習と7月13日の史跡見学の2回に渡って行なわれる本格的なものです。事前学習では長谷川泰と外山脩造のプロフィールと、少年時代の2人が共に師事した漢学者・井上五蔵について学びました。
 深滝さんは、野口英世が「済生学舎」で学んだことについてもお話し下さり、長谷川泰の功績を深めて頂くことができました。
 さて、2回目では長谷川泰の生家跡、耳取の井上五蔵顕彰碑、粟生津の長善館史料館を訊ねます。講座の様子は終了後にまたご報告致します。

 本日は講義後のお茶飲みにお招き頂きました。
 深滝さんと見附の郷土史愛好家の皆さんの郷土史トークは留まることを知らず!古代から中世、明治の偉人まで、ブログ管理人など目を丸くして聞いているだけでしたが、大変に勉強になりました。
 特に印象深かったのは、平安時代の頃、現在の越後平野のある場所は海であり、県央が海岸線で見附辺りまで入り江が伸びていたという説です。繰り返す巨大地震と大津波により土地が抉り取られたというのですが・・・・クラクラしますねぇ。


 今回の会場となった見附市勤労者家庭支援施設「ふぁみりあ」は、地方自治法に基づく指定管理者制度により、NPO法人 生き生き企画が運営しています。
 団体設立は平成17年10月、周辺の自治体に先駆けて自治の取り組みが行なわれました。
 指定管理に移行して後、施設の使用料金は半分に、利用者は6割増という効果的で効率的な運営が行なわれています。



見附市WEBサイト「見附市勤労者家庭支援施設 ふぁみりあ」
【見附市の最新記事】
トラックバック
ご利用前に必ずご利用規約(別ウィンドウで開きます)をお読みください。
CanpanBlogにトラックバックした時点で本規約を承諾したものとみなします。
この記事へのトラックバックURL
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
トラックバックの受付は終了しました

コメントする
コメント
銀幕狂人様

今日までコメントに気付かずに申し訳ありませんでした。2回目の講座の後にも、お話しさせて頂いていました。
越後の古地図のお話、次の機会に是非お聞かせください。

お借りしたDVD、大変興味深く鑑賞させて頂きました。
戊辰のテーマもさることながら、作り込んだ演出にマンガ担当共々声を上げて驚いておりました。
Posted by: 管理人  at 2011年07月15日(Fri) 09:14

長谷川泰と外山修造の講座に参加しました。郷土に立派な人がおられたことに素直に感動し、誇りを感じました。また、意外と(失礼)大勢の参加者でビックリ致しました。
講座終了後のお茶のみ会で西暦1093年(寛治6年)=保元の乱の63年前に越後を襲った大波(津波)の話を話題にして戴き有難うございます。
その地図は次回お持ち致しますが面白いのは地名の書き方で例えば瀬波は背波、新発田は柴田、妙高山は妙光山、弥彦山は夜日子山などと書いてあります。
この地図は源頼綱の家臣三郎兵衛信慶が越佐国を調べ国境を定めた地図で例えば堺川((青海町近く)を越中国との界とするとか、黒姫山、妙光山ももって信濃国との界とする、関川より北を岩船郡とするなど興味深いものです。
また、当時の海岸線沿いの長岡から三条山そして水原から新発田、加治川などが広大な芦原だったと記載されていて面白いです。
恐らく源平の時代から応仁の乱や戦国時代にかけて信濃川、阿賀野川、刈谷田川、五十嵐川、中之口川、加治川、関川、魚野川などから日本海側に大量の土砂が何百年とかけ大量に押し流され広大なデルタ地帯が形成されそこが芦原となり越後平野を形作っていって新しい潟ができたことで新潟という地名となったのでしょう。歴史と共に偉大な自然の力に圧倒されます。
Posted by: 銀幕狂人  at 2011年07月11日(Mon) 11:49

Google

Web全体
このブログの中
http://www.pecope.com

ジオターゲティング
にほんブログ村 歴史ブログへ