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「妖怪博士」井上円了展 [2011年06月11日(Sat)]

少し前の展示になりますが、新潟県立歴史博物館で開催された「井上円了」の企画展に行ってまいりました。

現在の長岡市越路の寺に生まれた仏教哲学者「井上円了」。東洋大学の創始者です。
「妖怪」を科学的に分析し、迷信を仕分けたことで「妖怪博士」とも呼ばれました。
円了が定義した「妖怪」とは、今で言う化け物といった限定的な意味ではなく、自然現象や超常的な現象を広く含むものでした。(とても俗に言うと、オカルト研究とも言えるのかもしれません。)

円了は科学と哲学を用いて、とても理性的に多くの迷信を喝破していますが、祖先や自然に向ける謙虚さを忘れてはいないようです。
妖怪を細分して、その内の1割を「真怪」と定義し、現在の科学では解明しきれない真理としているのです。
その真怪の研究によって、宇宙の秘密を得ることができるとしています。
先の震災による原子力事故に振舞わされる今を省みると、自然と科学に対峙する謙虚な姿勢を井上円了から問われているかのようにも感じました。



長谷川泰先生の周辺に残る井上円了の話題を。
泰先生の親友・石黒忠悳の元で、幼い井上円了は漢学を学んでいます。その時の石黒忠悳はわずか15歳です。
明治の「専門学校令」により、哲学館大学(現・東洋大学)は政府から認可されますが、長谷川泰の「済生学舎」は政治的な諸事情もあり拒絶されます。
その際に泰先生は、僧侶より医師を下に見るのか?!と憤ったそうです。

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「済生学舎の窮地」
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