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【泰先生メモ40】済生学舎出身の医人たち [2011年05月26日(Thu)]

 「済生学舎」が輩出した高名な医師・医学者は、野口英世や吉岡弥生だけではありません。

「浅川範彦」 高知県出身(1865〜1907)
 思想家・中江兆民の従弟にあたります。
 済生学舎卒業後は故郷高知で病院に務め、再び上京すると北里柴三郎の伝染病研究所へ入所し、細菌学者としてジフテリアの血清療法などに貢献しました。
 チフス菌、破傷風菌の研究が評価されて、北里門下では第1号の医学博士になっています。
 北里伝染病研究所時代の野口英世を指導した人物でもあります。

「小口忠太」 長野県出身(1874〜1945)
 済生学舎入学後、わずか4年足らずで内務省医術開業試験に前後期合格した秀才です。その時17歳、現在の高校生の年齢で医師の資格を持ったことになります!(ただし、未成年が開業することはできませんでした。)
 眼科医として活躍すると、愛知医科大学(現在の名古屋大学)の眼科部長を経て学長を務めました。
 夜盲症「小口病」の発見で知られています。

「須藤憲三」 山形県出身(1872〜1934)
 伯父・佐藤精一郎の経営する「東京医学院」から済生学舎へ転校、内務省医術開業試験に合格すると、東京帝国大学医学部でも学んでいます。
 母校済生学舎の講師を務め、「廃校」直後に有志が立ち上げた、済生学舎同窓医学講習会でも教鞭を振るい、学生の救済に努めました。
 ドイツ留学の後には、金沢医科大学の第2代学長に就任しています。
 

 野口英世は福島出身、吉岡弥生は静岡出身、こうして見ると全国から済生学舎に集まった学生が、また広く日本中で活躍したことが伺い知られます。
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