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長岡の雪景色 [2010年12月27日(Mon)]

雪が降り続く長岡です。
この年末年始は、雪マークが目立つ予報ですね。
写真は、長岡市長町の河井継之助記念館(河井継之助の屋敷跡)の庭園の雪景色です。



司馬遼太郎の「峠」では、河井継之助が雪深い三国峠を越え、関東の青空に感嘆する場面が印象的です。
タイトルの峠とは物語終盤の「八十里越」を指すのでしょうが、越後人にとってはこの冬の三国峠越えにも大変に共感するものがあります。

今日は河井継之助が2度目の遊学で長岡を後にした日にあたります。安政6年(1859)の12月27日でした。
せっかちな彼は、藩の許可が降りると春を待たずその日に飛び出して行きました。吹雪の日だったと言われています。
明けて元日、継之助は旅路で33歳の誕生日を迎えます。たいへんな老書生ですが、藩政改革に活かそうという学問への熱意の表れですね。
その後、経世済民の実学を求め、江戸から更に備中松山の山田方谷を訪ねています。

翌年、継之助がその遊学から帰ると、外山寅太の紹介で長谷川多一と初めて顔を合わせたのでした。
そして後年、西洋医を志した多一も三国峠を越えて関東へ旅立ちました。その時はさすがに冬ではなかったでしょうけれども。
以降、越後で医者を志す若者たちは、池田謙斎・長谷川泰・石黒忠悳らの医の先輩にあやかって、皆が三国峠のルートを選んだというのは、入沢達吉の言葉です。




これは雪国の風物「雪吊り」です。
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