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“話のタネ”04/西洋医学所での青春 [2010年12月27日(Mon)]

 長谷川泰一郎、25歳。
 佐倉順天堂でお嬢さんに失恋し、その傷心からかどうなのか江戸へ出て学んでいました。
 学び舎は、当時松本良順が所長を務める幕府西洋医学所です。
 泰一郎は、ここで石黒恒太郎(忠悳)と再会し、共に教師の助手も任せられていました。

 学生寮には東南北と3棟あり、泰一郎は北寮長。
 石黒は15歳くらいの年少の学生が入る南寮長。南寮には森林太郎(鴎外)や福原有信(資生堂創始者)が居たそうです。

 寮生は相撲を取ってみたり、芝居の真似をしてみたり、雪が積もれば雪合戦をして遊んでいました。
 寮に面した往来を女性が通ろうものなら、それをはやし立てて大変な大騒ぎだったと、医学所の先輩の池田謙斎の回顧録にも書かれています。
 寮長は遅くまで勉強をしている学生に夜食の菓子を出したそうですが、泰一郎はお金のない苦学の最中でしたから、それも大変だったでしょう。

 後に生涯の親友と認め合う石黒との交友は、この頃に深まったようです。
 泰一郎は越後の長善館で学んだ得意の漢詩を作りためていましたが、「俺の様な者が詩なぞ作れるか」と知らんふり。しかし石黒だけには良く見せていたそうです。

 ある時、寮生で辞書を盗んだ者が出ました。
 泰一郎はそれを縛り上げて放置し、反省をさせた後に、「馬鹿者!なにゆえに死ななかった!?」と怒鳴りつけました。
 そうすると石黒が、その縄を静かに解いてあげたということです。
 後年の長谷川泰と石黒忠悳の連係が、ここに見られたようなエピソードですね。

<家田三郎先生著/ドクトル・ベランメー、池田謙斎著/回顧録、等より>
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