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キャラクター案「鵜殿団次郎」 [2010年12月17日(Fri)]

鵜殿団次郎(号を春風)。
長岡藩士、慶応3年(1867)には、江戸幕府目付役まで登り詰めた俊英。
瞳の中にもうひとつの瞳を持つ、「重瞳」であったと伝わります。

鵜殿団次郎は西郷隆盛との親交があり、新政府に対しては勝海舟と共に恭順論を唱えていました。
江戸城の無血開城の際には、勝海舟の副使として交渉に当たっています。
今泉鐸次郎著「鵜殿春風」によれば、勤王の思想を持っていたそうです。
友人である河井継之助と同じく長岡藩を導くべき人物でしたが、しかし明治を迎えるとすぐに病死しています。
わずか37歳、戦後の復興へ鵜殿の才能が貢献しただろうと想うと、大変に惜しまれます。

鵜殿団次郎の義弟・白峰駿馬は脱藩し、坂本龍馬のもと海援隊に属しているのも興味深いところです。



江戸などに遊学し、蘭学・英学・数学・天文学・航海学・測量と、様々な学問を修め帰藩した際には、長谷川多一に語学を指導しています。
マンガの作中では、多一を佐倉順天堂へ推薦する役所です。

たいへん史料の少ない人物ですが、当ブログ管理人は今後の郷土史研究を期待しています。
今は悠久山公園のひっそりとした遊歩道の脇に、顕彰碑が建てられていました。
その碑は、白峰駿馬の依頼で石黒忠悳が取りまとめを行ない建造されました。東京築地での発起集会に、駿馬は団次郎ゆかりの人物十数名を集めましたが、その中に長谷川泰の姿もあります。(新潟日報連載「駿馬伝」より)


※当ブログ関連記事
「継之助との出会い」
「龍馬と生きた長岡藩士」
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