• もっと見る

«キャラクター案「長谷川宗済」 | Main | 慶應義塾出身名流列伝»
<< 2015年03月 >>
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
最新の記事
月別の記事一覧
日別の記事一覧
話題の分類
《少年・少女》野口英世の母校 [2010年12月04日(Sat)]

 長岡市新組町では、小中学生に読んでもらうために、長谷川泰の伝記マンガを作っています。
 そこで、《少年・少女》という記事では、小中学生のみなさんに向けて、長谷川泰(はせがわ・たい)先生を紹介します。

 下のイラストは、今作っている伝記マンガに登場する8歳の長谷川泰(はせがわ・たい)の姿です。
 長谷川泰先生は、江戸時代の終りころに長岡で生まれ、お家は今の新組小学校と同じ福井町にありました。



 長谷川泰先生は、明治時代になって『済生学舎』(さいせいがくしゃ)という医学校を作り、たくさんの医者を育てました。
 その学校で有名な偉人が勉強してしるので、みなさんに紹介します。

 それは、千円札の絵の偉人『野口英世博士』です。
 細菌と伝染病の研究で、たくさんの成果を残したので、世界中の人に尊敬されています。
 残念ながら若くして病気で亡くなりましたが、第1回ノーベル賞の候補にもなりました。



 野口英世の夢は、立派な医者になって、お金をかせぎ、大好きなお母さんに恩返しをすることでした。
 医者になるには国の試験に合格しなければなりません。
 しかし野口はお金に困っており、試験のために国立大学で勉強することはできませんでした。
 そこで野口にチャンスを与えたのが、長谷川泰先生の「済生学舎」です。
 済生学舎では、少ない授業料でみんなが学ぶことができたのです。
 それに済生学舎には、世界最新の顕微鏡がたくさんあったので、野口は大喜びで細菌の勉強をがんばりました。

 世界の野口英世が生まれるきっかけは、長谷川泰先生の済生学舎だったのです。
 野口英世は、ふるさとへの手紙で長谷川泰先生は立派な方だと報告しています。

 野口英世は、マンガにも登場しますから、よーく覚えておいてくださいね!
トラックバック
ご利用前に必ずご利用規約(別ウィンドウで開きます)をお読みください。
CanpanBlogにトラックバックした時点で本規約を承諾したものとみなします。
この記事へのトラックバックURL
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
トラックバックの受付は終了しました

コメントする
コメント
Google

Web全体
このブログの中
http://www.pecope.com

ジオターゲティング
にほんブログ村 歴史ブログへ