《少年・少女》野口英世の母校 [2010年12月04日(Sat)]
長岡市新組町では、小中学生に読んでもらうために、長谷川泰の伝記マンガを作っています。
そこで、《少年・少女》という記事では、小中学生のみなさんに向けて、長谷川泰(はせがわ・たい)先生を紹介します。 下のイラストは、今作っている伝記マンガに登場する8歳の長谷川泰(はせがわ・たい)の姿です。 長谷川泰先生は、江戸時代の終りころに長岡で生まれ、お家は今の新組小学校と同じ福井町にありました。 ![]() 長谷川泰先生は、明治時代になって『済生学舎』(さいせいがくしゃ)という医学校を作り、たくさんの医者を育てました。 その学校で有名な偉人が勉強してしるので、みなさんに紹介します。 それは、千円札の絵の偉人『野口英世博士』です。 細菌と伝染病の研究で、たくさんの成果を残したので、世界中の人に尊敬されています。 残念ながら若くして病気で亡くなりましたが、第1回ノーベル賞の候補にもなりました。 ![]() 野口英世の夢は、立派な医者になって、お金をかせぎ、大好きなお母さんに恩返しをすることでした。 医者になるには国の試験に合格しなければなりません。 しかし野口はお金に困っており、試験のために国立大学で勉強することはできませんでした。 そこで野口にチャンスを与えたのが、長谷川泰先生の「済生学舎」です。 済生学舎では、少ない授業料でみんなが学ぶことができたのです。 それに済生学舎には、世界最新の顕微鏡がたくさんあったので、野口は大喜びで細菌の勉強をがんばりました。 世界の野口英世が生まれるきっかけは、長谷川泰先生の済生学舎だったのです。 野口英世は、ふるさとへの手紙で長谷川泰先生は立派な方だと報告しています。 野口英世は、マンガにも登場しますから、よーく覚えておいてくださいね! |