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秋山騎兵団の記録 [2010年11月26日(Fri)]

NHKドラマ「坂の上の雲」の第二部の放送が間もなくです。

長岡市の新潟県立歴史博物館では、秋山騎兵団の若き副官・山内保次が、日露戦争の戦場で描いたスケッチ展が開催されています。
山内保次は新潟市出身の陸軍軍人。少年時代から絵に親しんでいます。
中国・モンゴル・ロシアへの行軍記録を描いた山内のスケッチは、モノクロの写真よりも雄弁に軍内の空気を伝えているように見えました。
しかし、大陸の牧歌的な風景からは、そこで厳しい戦闘が繰り返されたことなど想像がつかない様でもあります。



「秋山騎兵団の記録」
会場/新潟県立歴史博物館
期間/11月13日〜11月28日

新潟県立歴史博物館
http://www.nbz.or.jp/jp/index.html



明治37年(1904)の日露戦争では、脚気患者の25万人という大量発生と、軍医の不足により甚大な被害が出ています。
白米食の偏重に由来する脚気の大量発生。
その療法は食文化の異なる西洋にはありませんでしたから、西洋医学を取り入れた後の日本では、細菌説が主流になるなどして、食事療法という正しい対処法が見つけられないままだったのです。
(長年に渡る脚気対策の送れについては、長谷川泰の親友・石黒忠悳に軍医総監としての責任求める声もありました。)
軍医の不足については、開戦前年の「済生学舎」の廃校が明治政府にとって痛恨だったことでしょう。済生学舎は日本随一の西洋医の速成校でしたが、明治政府自らが廃校に追いやったような経緯があります。
もっとも、長谷川泰校長が生徒を戦地に送り出すことを喜ぶとは思われませんが・・・・・。
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