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“話のタネ”01/泰先生の風貌 [2010年11月27日(Sat)]

“話のタネ”では長谷川泰先生の逸話や、これホント?という伝説、事件などを紹介します。
多くは、このたび製作中の漫画には納まらない内容ですので、話のタネとしてお読み下さい。泰先生の人柄を感じる助けにはなると思われます。

<泰先生の風貌>

 「北越詩話」(1918年/阪口仁一郎・著)には、その風貌が“乱頭粗服”と表現され、「長谷川泰先生小伝」(1935年/山口梧郎・著)では、代議士時代の先生について“薄汚れた着物に袴、懐手、それに鳥打帽とステッキ”と、具体的な服装が記されいます。

 私費の留学での貧しい苦学生だった泰先生ですから、若い頃に薄汚れた格好であったのは致し方の無いこと。
 しかし、後に済生学舎の校長になり役人になり、どんなに偉くなっても先生の着物は粗末なままでした。
 とにかく、泰先生は身なりにまつわる伝説がとても多い方なのです。

 長谷川泰先生は内務省衛生局長時代に、役所の衛士から「壮士」と間違えられて誰何されています。
 壮士とは、自由民権運動から生まれた、熱烈な職業的政治活動家です。その時も、紋付袴にお気に入りの鳥打帽とステッキだったと伝えられています。

 泰先生が少年時代に学んだ長岡領の長善館では、毎日清潔な袴に着替えて身なりを整えた後に授業が始まりました。そこでは神童と呼ばれるほどの優等生だったというのですから、大人になっての無頓着さを鈴木文台先生などが見たら苦笑されたことでしょう。

 長善館は「良寛さん」の教えをもとにつくられた学校です。良寛さんといえば“破れ衣と粗末な五合庵”です。
 長谷川泰先生は良寛さんの“あわれみの心”の教えを守って庶民の味方をしていますから、その格好は尊敬する先人を真似たと言えない事もありませんね。
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