• もっと見る

«【お知らせとお詫び】タイ・カップ延期について | Main | 東京新潟県人会大交流会»
<< 2015年03月 >>
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
最新の記事
月別の記事一覧
日別の記事一覧
話題の分類
郷土史カルチャー教室 [2010年09月25日(Sat)]

先頃の「越後・維新の物語 河井継之助と外山脩造」の放送を受けて開催されたカルチャー教室に参加してきました。
会場は、新潟テレビ21UXレクスンスタジオです。
新潟県民には何やら毎日お昼頃に見覚えがありますね〜。



冒頭では興味深いドラマのメイキング映像が上映されました。後の外山脩造・寅太役の地元只見の小学生、とっても可愛かったです。
会場には戊辰戦争で負傷した継之助を、八十里越を抜けて只見運んだとされる即製の「戸板籠」も展示されていました。
これは再現ドラマの撮影で使用されたものです。そうとう重いらしく、さらに70kgもある継之助役の役者さんを乗せて山道を行く撮影には苦戦したそうです。



戸板籠や藩士の装束は只見町在住の郷土史研究家の方が描かれた設定画から作られました。
その設定画を資料として公開いただいたのですが、それはもう見事なもの、私たちのマンガ制作のためにも大変勉強になりました。

番組でも触れられましたが、現在の甲子園球場脇にあった外山脩造の銅像は昭和19年、戦争の武器生産の為に召し上げられたそうです。
同郷で同年生まれの学友、東京・湯島天神にあった長谷川泰像と同じ運命を辿ったのでした。
この時代、歴史に名を遺すべき多くの偉人のモニュメントが、全国で同じ様な運命を辿ったのだと思うと無念な気持ちが沸き上がります。



今回のカルチャー教室では、長岡市の河井継之助記念館館長・稲川明雄さんの講演を拝聴することができました。

稲川さんの研究から史実に基づいて肉付けされる河井継之助と外山脩造の人物像は、たいへん人間臭くリアリティが溢れ、同郷人としての親しみがふつふつと湧いてくるものでした。
参加した長谷川泰を語る会のメンバーに向けてお心遣いを頂けたのか、戊辰戦争と河井継之助の関連から長谷川泰についても触れていただき、大感謝しております。

今回たいへん印象深いのは、河井継之助の名前を「つぎのすけ」「つぐのすけ」どちらで読むかという話題。
番組ディレクターから急遽提示されたこのテーマだけで、取材エピソードを交えた興味深いお話がなんと30分!
稲川館長のその研究の密度には圧巻です。

さて「つぎのすけ」なのか「つぐのすけ」か?その結論は稲川明雄館長の新刊をお読みください。
河井継之助本の「決定版」を只今執筆中、年内発売とのことです!
同時に外山脩造の新刊も執筆されているとのこと、郷土史ファンには思わぬビックニュースとなりました!
トラックバック
ご利用前に必ずご利用規約(別ウィンドウで開きます)をお読みください。
CanpanBlogにトラックバックした時点で本規約を承諾したものとみなします。
この記事へのトラックバックURL
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
トラックバックの受付は終了しました

コメントする
コメント
Google

Web全体
このブログの中
http://www.pecope.com

ジオターゲティング
にほんブログ村 歴史ブログへ