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【泰先生メモ20】長崎「栄転」 [2010年07月29日(Thu)]

当時の医の枢軸にあった大学東校(東大医学部の基礎)時代の長谷川泰は、石黒忠悳と共に校長の相良知安を支えて良く働きました。相良は順天堂の先輩でもあります。
その時、学内の英学派閥と独学派閥の対立があり、ドイツ人教師の採用を推す相良の指揮の元で強硬に戦っています。
授業妨害が起こるなど学内は大変混乱しましたが、薩長出身者が推したイギリス人教師ウィリス(戊辰戦争では新政府軍軍医として東北まで従軍)の処断に西郷隆盛の理解協力もあり、この事があってから、以降日本はドイツ式の医療に傾いたのでした。
医療に化学的な検証を取り入れたドイツの医学は、世界の最先端にありました。


やがて、佐倉順天堂時代の師である佐藤尚中が校長に就任すると、生涯の師と尊敬する人物の元で教鞭を振るうことに、長谷川泰の喜びはひとしおだったのでは無いでしょうか。

しかし、明治5年(1872)佐藤尚中は、政府から派遣されたミュレル、ホフマンなる2人のドイツ人医師たちと授業制度をめぐって対立し、校長を辞任してしまいます。
対立の理由は、尚中が望んだドイツの大学の自由主義教育が実施されなかったことです。
軍医であるドイツ人医師たちは、科目の選択を許さない軍隊式の厳格な教育を採用しました。
さらに、不足する西洋医の早期育成に心血を注いでいた尚中に対して、ドイツ人医師たちは年数を掛けたエリート教育を導入しようというのでした。

野に下る尚中が後事を託したのは、娘婿にしようとまでに気に入っていた長谷川泰でした。
こうして、一時的にではありますが、長谷川泰は30歳にして校長の要職に就くことになります。(佐藤尚中と相良知安の代役の1ヶ月間)

<注釈>
この頃の学校制度は安定しておらず、短期に何度も解体再編制が繰り返されており、大学東校(相良知安校長)は、東校(佐藤尚中校長)、第一大学区医学校(長谷川泰校長)、東京医学校(長与専斎校長)と、次々に再編成・改称されて行きました。

さらに波乱は、長谷川泰自身にも及びます。
文部省との対立が元で投獄されていた相良知安(冤罪であったとされます)は、校長に復任した後も、その激しい性格から再び政府と対立します。
相良知安の補佐役として腕を振るっていた長谷川泰も、同じく真っ直ぐ過ぎる程の性格でしたから、相手には大変畏れられていたことでしょう。味方に付けると頼もしく敵に回すと厄介という典型の様な人物です。
この時、相手方の大将つまり文部卿は、なんと「維新三傑」の桂小五郎、改め木戸孝允でした。

そして長谷川泰に突如の辞令が下ります。
当時の台湾進軍の際、陸軍戦時病院にあてるために「既に廃校が決まっている」長崎医学校の校長に昇任されたのでした。
再び校長職に就いたわけですが、これは仕組まれた失脚策です。次期校長には既に順天堂の人脈では無い長与専斎(適塾出身)の任命が決まっていました。

(後年、長谷川泰は長与専斎の下水道推進に同調し、大日本私立衛生会では同志として活動します。長与専斎は日本公衆衛生の先覚者であり、「衛生」という言葉は彼が考え出したと言われています。)

腹を立てた泰は、それでも転んでも只では起きません。
廃校まで放っておけば軍備に回収される長崎医学校の最新設備を、校長権限とばかりに洗いざらい愛着ある古巣・東京医東校に寄贈し、仲間の教師たちから喝采を受けています。
上杉謙信の故事「敵に塩を送る」・・・でしょうか?敵方の長与専斎もこれには喜んだことでしょう。
この事は医学教育の発展について私心の無い事の現れであると、「長谷川泰先生小伝」でも評価されています。

明治7(1874)8月27日に長崎医学校学校長に任命され、同年10月19日にあっという間の解任。
長谷川泰は全ての公職を返上すると、結婚間もない柳子婦人と西国巡りの新婚旅行を楽しみながら、悠々と東京へ向かったのでした。
生涯ただ1度の、夫婦水入らずでの旅行だったといいます。


翌年春、東京に戻った長谷川泰は、本郷に居を構えました。
すると、ゆっくりする間もなく学校設立の準備に取り掛かります。
野人と呼ばれた熱血の教育者が野に放たれた時、日本初、私立による西洋医師の速成校『済生学舎』の息吹は上がっていたのです。
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