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【泰先生メモ18】故郷に決別 [2010年07月28日(Wed)]

長岡の両親を、弟の順次郎と、父・宗済の門下生に任せ、東京の大学東校で教師として再スタートを切った長谷川泰。
大学東校は医における日本の大学教育の始まりです、若くしてその中心に立ったのでした。
そして28歳、上京の翌年には早くも、大学校大助教・文部大助教に昇任。
初の訳書「脚気新設」も出版され、いよいよこれから・・・・・・・・その矢先に、越後から訃報が飛び込みます。


明治3年(1870)9月、泰に医師としての道を示した、父、長谷川宗済が亡くなり、そして同年に母も相次いで亡くなったのです。

敗戦の賊軍との差別を乗り越え、必死の努力で東京に立身の礎を築き始めていた泰は、ここで決断しました。
それは、自分が家長となった長谷川家を福井村から引き揚げることです。

「長谷川泰先生全集」には、この時に泰の心情が以下ように記されています。
泰の先祖、福井村の創始者である長谷川利右衛門から数えて父宗済まで、長谷川家10代300年余りに渡る数多くの思い出を振り切っての決意であった。

戦争の動乱の中にも潰えること無く、むしろ傷付き倒れてゆく人々を目の当たりにして、より強く燃え上がった医の志を、曲げることはできなかったでしょう。
故郷を離れることは、不退転の決意の表れでした。

この時長岡からは、弟の長谷川順次郎、石黒宇宙治、山崎元脩はじめ宗済の門下生たちが、泰に従い大学東校に入学しました。
彼等は後の済生学舎において中心人物として活躍し、泰を助けて行きます。

福井村の長谷川家のその後は、親戚の長谷川虎三郎に託されました。
その息子、長谷川家13代「亀之助」は、泰の援助を受けながら成長し、医学博士の学位を得ます。
戦中には台湾で病院長を務め、任を逐えて福井村に帰った際に、医院の開業のために用意された建物が今も福井町に残っています。
後に長岡中央病院の院長を務めた長谷川亀之助は、村民からも尊敬される穏やかな人物でした。
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