こんにちは。 スタッフの川口です。 昨年から引き続き連載している自治会・町内会の取り組みをレポートします!
-あなたの地区はどうしてますか?- 6回目の今日は「コロナ禍での情報発信」について、多賀城市の旭ヶ岡町内会の取り組みをご紹介します。 「わが地域の歴史と魅力を再発見!」 多賀城市旭ヶ岡町内会の編集長の富田貞則さんにお話をうかがいました ■旭ヶ岡町内会について ・中央地区、高崎地区、留ケ谷区の一部の方、東北学院大学を中心に張り付いている形になっている。住所表示がない特徴がある。人口は877世代で2132名が住んでいる。 ・戦前、海軍工廠の建物があり、その後米軍に接収されて、住宅街に変わった。米軍が接収した地域が旭ヶ岡の町内会となっている。 ■町内会新聞をつくりはじめたきっかけ ・昨年、たがさぽで町内会新聞をつくる講座があり、役員3人で参加した。 ・町内にはネタがないと思っていたが、昔のこの地区の写真が見つかり、あれこれ話しているうちに、これはいい話題になるのではないかという話になった。 ・今年の4月から新聞をつくり始めた。 ・町内会の新聞を毎月発行しようと始めたところ、コロナ禍で町内会の行事がないという話になり、紙面をうめるのが大変だなと思った。 ■米倉さんとの出会いから町内の魅力発見まで ・町内に92歳になる米倉さんという人がいて、戦前から住んでいる。現在の住宅地は昔山だった時の風景を描いている。ずっと前に見せてもらったことがあった。 ・いろいろな絵を見せていただき、取材を始めた。多賀城市には平安、奈良の資料は山ほどあるが、調べ始めると戦前から戦後、現代までのまとまった資料がなかった。市役所や図書館に行って調べ始めた。 ・調べ始めると、インターネットで検索すると8割はなにか見つかることがわかった。世の中、色々好きな人がいて、留ケ谷に走っていた塩釜線のことが書いてあった。 ・東北本線ができる前の明治20年にできていて驚いた。松島に路面電車が走っていることがわかったり、かなり面白かった。 ■好奇心が源であること ・取材を進めるうちに、たがさぽにある大きな木が電力学園が出来た時の記念樹であることを知った。鈴懸の木の花ことばは好奇心である。 ・取材を続けて、現在7号までできた。地区の写真もたがさぽで見つけた。この写真を使っていろいろ調べた。昭和3〜4年の写真だとわかり、時代を推定できた。バスが映っていたがこれは昔の旭ヶ岡地区の集会所であった。以前、バスを買って集会所に使っていた。 ・調べていると周囲の人たちからいろいろ教えてもらう。市役所の方から教えてもらったり、多賀城小学校の卒業生の方から、鈴懸の木で音楽会をやったりしたと聞いた。そこから取材が広がっていった。 ・情報発信していると、色々な人から反応があり、そこからネタを拾い取材していくことができる。発行ししてくと、反応があつまり反応することで広がっていっている。 花言葉に引っ張られた思いもある。何をするのも好奇心が大切であると感じた。 富田編集長の情報発信の一言はこちら! ■旭ヶ岡の取り組みメモ 昨年度からの旭ヶ岡町内会との取り組みはこちらからご覧いただけます。 新聞づくり講座〜まちあるき〜広報紙〜地域の魅力発表会と進んできました。 おらぃのまち(町内会)新聞をつくるコツ〜まちの魅力を紙面に載せて〜を開催しました。 まち歩きイベント「すえち少年になってまちを歩こう」を開催しました! 【自治会・町内会の活動を紹介します】旭ヶ岡町内会の広報紙 「多賀城 教えたくなるまちのひみつ」動画もあります! こちらの模様はたがさぽYoutubeたがさぽチャンネルで動画発信予定です。 お楽しみに! 次回は、自治会・町内会の「地域の人材発掘」についてリポートします。 自治会・町内会わがまち情報交換会 こちらもご覧ください! 水辺の防災@鶴ケ谷親和会の取り組みはこちら →https://blog.canpan.info/tagasapo/archive/3080 水辺の防災A東田中南自治会の取り組みはこちら 水辺の防災B新田3区の取り組みはこちら コロナ禍での情報発信C七ヶ浜町湊浜区の取り組みはこちら コロナ禍での情報発信D高橋東2区の取り組みはこちら |