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安藤雄太の“風に吹かれて旅がらす”

ボランティア&市民活動の熱血伝道師・安藤雄太が、飲んだくれながら全国行脚。
愉快な人々との出会いや、旨いもん、旨い酒について、語ります。


お誕生会&今年もお世話になりました

[2010年12月31日(Fri)]
こんばんは。野次馬代表まるこまるです。
6月から始まった安藤雄太ブログ。
おかげさまで、大晦日の今日までのアクセスが2000を超え、
多くの皆さんにご覧いただき、とてもうれしく思います。

さて、安藤雄太の誕生日は?
なんと、12月25日!! そう、あの方と同じ星 世界中の人々がお祝いするあの日なのです!!

今年もお誕生日に、
安藤さん行きつけの居酒屋「あまくさ」でお祝いしました乾杯
土曜日のクリスマスというのに、集まってくださった皆さんに感謝です。


























おいしい焼酎をプレゼントされ・・・
バースデイケーキとシャンパンで嬉しそうな安藤さん。
来年も元気に全国飛び回るぞ、と言っています。

このブログを読んでくださった皆様、
今年も本当にお世話になり、どうもありがとうございました。
来春は、花見でオフ会をしようか、なんて計画もしています(^_^)/
どうぞよいお年をお迎えください!
(安藤雄太&野次馬たちより 2010.12.31)

三宅島帰島5周年 その3

[2010年12月30日(Thu)]
やっぱりくさやは島にかぎる
三宅島帰島その2より続く)

記念式典が平野村長の挨拶で始まる。
来賓の祝辞、式は順次すすんでいく。
会場のなかに飾られた大漁旗が風にあたり揺れるものの、ものすごく暑い。いや「熱い」だろうと思う。サウナ状態で。会場内にある氷柱もほとんど役に立っていない。


そんななか三宅高校生徒3人の感謝のメッセージは、何か三宅島の明日の希望を持たせるものである。やはり若さのオーラだろう。

式典が終わると、場面転換を図るため暫し休憩となった。外のほうが涼しい。

2部の交流会は、郷土芸能をはじめメッセージ、御馳走に当然くさやと明日葉(あしたば)、何ともいい香りである。
余談だが、くさやは都心では食べ難い。というより、焼けないのだ。あまりにも異様な臭いのために。
よく瓶詰め臭わないくさやが売られているが、私から言えば邪道である。やはりくさやは、島で食べるのが美味しい。

懐かしい伊豆郷土芸能保存会の天陣太鼓、神着郷土芸能保存会の木遣太鼓など、久々に聴くリズム。何となく元気がでてくる。
全島避難していた時、島民ふれあい集会で、この太鼓のリズムがどれだけ勇気を与えたか図りしれない。

名残り惜しいが、交流会を終え宿舎へと向かう。島内の民宿に分かれた。
昨日の船旅の疲労(というより呑み過ぎだが)、昼間のサウナ状況が重なり、食事まで一休み。
三宅島社協の寺本会長、「あじさいの郷」水原施設長をはじめ、関係者と旧交を温めながらの焼酎「雄山一」は、やはり美味しい。

翌朝の島内視察を終え、東京に向かう「かめりあ丸」の出航時間までは少し時間がある。
すぐ近くにある三宅島の温泉「ふるさとの湯」へと向かう。露天風呂からの一望は絶景。湯につかりながら寝てしまいそうだ。
といっても出航時間には間に合わせなければならない。やむなく湯から出て錆港に向かう。


島の関係者が見送ってくれる。
太鼓の音が続くなか船体はゆっくりと岸壁を離れ、雄山がゆっくりと小さくなっていく。
ぜひ近いうちに再島したいものである。

<三宅島帰島5周年の巻 
(2010.9.5 By 安藤雄太)

三宅島帰島5周年 その2

[2010年12月29日(Wed)]
三宅島の天候よし! 晴れ男に転向


三宅島に近づく頃になると猛スピードで空が明るくなる。岸壁には三宅島の人たちが大勢で迎えに出てくれている。もちろん平野村長もいる。
集いに参加する関係者は、数台のバスに分乗して避難センターに一時休憩のために向かう。無事に上陸できたのである。


三宅島の社協(社会福祉協議会)の方からは、「安藤さんが島に来ると天候が悪いんだよな」と、本気だか冗談かわからないがよく言われる。そう。帰島してから何回か支援で入ったが、着岸を調整したり、着発することが度々あった。
「船が着くのか心配だった」と言われたが、今日の天候はすこぶる穏やかである。

避難センターで仮眠し朝食をとった後に、島内視察をしながら「風の家」に向かった。
「風の家」は、帰島後の島民の居場所として日本建築学会(島に伝わる伝統的な木造平屋建築)からお借りしている。囲炉裏があったり土間があったりして心和ませる造りだ。東京災害ボランティアセンターの三宅島での拠点でもあった。

ここ「風の家」で、災害ボランティア活動に関わった人たちと、島民の人たちとの久々の再会と、簡単なセレモニーをおこなった。


もちろん当時の三宅島災害ボランティア支援センターの代表の一人であった山崎美貴子先生もいる。
当時の状況を振り帰りながらの関係者の話は、今では懐かしさを感じるところもあるが、三宅島社協の寺本会長が、思い出しながらところどころ声を詰まらせた時は、私自身もついつい涙腺が弛んでしまった。人は歳のせいだともいうが?

本会場は、風の家のすぐ近くの(仮)三宅村役場。
徒歩で移動する。


外は暑い。体育館が会場である。

三宅島帰島5周年 その3 へつづく・・・)

(2010.9.4  By 安藤雄太)

三宅島帰島5周年 その1

[2010年12月28日(Tue)]
本当にご無沙汰でした。何かと約2ヶ月間忙しいと言えば忙しかったと言えるし、サボったと言えば「その通りです」としか言えないなと、振り返って反省しているところです。
必死になって?がんばってみますので引き続きご愛読下さいm(__)m
と言って、遡ってどうしてもふれておきたい出会いを、思い出しながら書いてみたいと思います。


久しぶりの三宅島、そう帰島して5年も経ったのです 



暑い、今年の夏は特に暑い。9月3日は暦の上では秋と言うがとんでもない暑さ、というか残暑、残暑。トニー谷(若い人は知らないよね)ではないけれど「そうざんしょ」と駄洒落ているところではない。この猛暑の中、久々に東京の竹芝桟橋にやって来た。

そう、三宅島に行くためである。
明日(4日)三宅村主催の「帰島5周年記念 感謝と交流のつどい」(実は、三宅島噴火災害・全島避難10周年でもある)に出席するために、竹芝桟橋に着く。
かめりあ丸の出航まで少し時間がある。と思いきや、もう待合室には顔なじみ人たちが沢山着いているではないか。その殆んどが全島避難してきたときに支えてくれたボランティア関係者や帰島した後の島での復興を支えてくれた人たちである。

出航の時間になるとさすがに慌ただしくなる。ジャンジャンジャンジャンとドラが鳴る。
船はいいものだ。飛行機や新幹線とは違う何か「旅」を思わせる。今まで間近に明るく輝いていた桟橋や湾岸沿いにある工場群の電色が、少しずつ遠ざかるのを見ていると一種の哀愁を感じるものである。

何回か来ている三宅島だが、何といっても10年前の8月にあの雄山が大噴火している中に向かって一人で乗船したのが、(船には関係者が沢山乗船しているのですが救援支援ということで向かったのが)、昨日のように思い出され、何とも言えない感慨にふけってしまう。

そんなことを思い出し、いつものようにビールを片手にいつまでも海風を感じながらデッキで呑んでいたが、深夜となり周りの景色も灯りも何も見えない漆黒の海面が真下に見えるだけとなると、やがて船内の食堂も空いてくる。とっくに閉まった食堂に場所を変え、また呑みだすのだが、これもいつもの船内の風景である。

三宅島帰島5周年 その2 へつづく・・・)

(2010.9.3 By 安藤雄太)

プロフィール&バイオグラフィ改定

[2010年07月29日(Thu)]
安藤雄太のプロフィールバイオグラフィを改定しました。