吉備の国4桃太郎と吉備団子は関係ないという話 [2008年11月15日(Sat)]
吉備の国4 桃太郎と吉備団子は関係ないという話
吉備の国のむかし話といえば、「桃太郎」である。 いもと ようこ著 桃太郎は、鬼退治に出かけたが、そのとき「きびだんご」を持って行った。 そこで、「きびだんご」は、吉備の国の食べ物だから「吉備団子」なのか、それとも、雑穀の「黍(きび)」が入っているから「黍団子」なのか、疑問を持った。 岡山は古くから、黍の産地として知られている。 そんな疑問に、元気屋の山崎雅子さんの言葉がヒントになった。「吉備団子」には、黍の粉が入っているけど、黍の割合が2割を超さないと「黍団子」といえないのだという。これはJAS法の関係なのかとそのとき思ったのだが、そこで、ますます黍と吉備との関係性を知りたくなった。 これは、桃太郎に聞くしかない。 Wikipediaによれば、「吉備団子の起源としては諸説あり、吉備津神社の祭礼においての供え物を酒宴の席で振舞った事から、参拝土産品として用いられるようになったとする説や、幕末において、岡山城下の町人が赤色のカキ餅風の和菓子を製造し、茶請け用にしたものが起源とする説などがある」と解説している。 しかし、その後の記述に目がとまった。 「日清戦争勃発時前後において岡山駅で販売がなされ、全国的に有名となった。その後1897年ごろまでにおいて、13軒の「本舗」を名乗る土産店が現出した。 室町時代に広まったとされる桃太郎の話と、和菓子としての吉備団子には直接的な関係はないが、駅での販売で双方をリンクさせた宣伝をしたことから、現在は桃太郎の絵がパッケージに印刷された製品もある」 ということは、桃太郎に「吉備団子」のルーツを聞いても答えられないのである。 そこで、私が出した推論はこうである。 「きびだんご」は、いま「吉備団子」と書かれているが、それは、黍の割合が20%以上でないからJAS法により「黍団子」と表記できない。 例え、黍を20%以上加えた「黍団子」を製造しても、黍を入れすぎるとパサパサな餅になるので、旨いものではない。だから、JAS法にのとった「黍団子」を製造しても意味はない。 昔ながらの「黍団子」は、JAS法の規制により「吉備団子」の表記になるが、それ以前も、吉備の国の団子を「吉備団子」と表記したのではあるまいか。 桃太郎と「吉備団子」は、広告戦略として、その両者がつながったのにすぎない。 桃太郎は「きびだんご」を持って鬼ヶ島に行ったが、その時代にはJAS法がないので、桃太郎の話の中では、「吉備団子」でも「黍団子」でもどちらでも正解である。 これは、日本のおとぎ話のロマンの先にある柔らかな世界といえる。 そういえば、五月の節句に恵方に向いて、海苔巻きを食べると福が来る、という行事が全国に伝わっている。これも、大阪の海苔商の組合が、海苔の消費量を増やそうと始めたプロモーションであった。 岡山発の桃太郎と吉備団子の関係も、大阪発の恵方と海苔巻きの関係も、日本人が好むロマンが高じて広まった話だが、僕は、そんな日本が好きである。 注)文中の話は、歴史的裏付けをとっていない。だから、責任を持てないことを宣言しておく。でも、歴史ロマンってこんなものなのだろう。 |