• もっと見る
« 1万人の「ありがとうカメラマン」 | Main | 地球があと1ヶ月で消滅するとしたら»
プロフィール

チーム3ミニッツさんの画像
最新記事
カテゴリアーカイブ
最新コメント
ギャル動画
「ありがとう」を印刷すると法律違反になる (04/05) ウオン・スンヒ
思春期ピアカウンセリング (01/25)
リンク集
最新トラックバック
https://blog.canpan.info/t3mg/index1_0.rdf
https://blog.canpan.info/t3mg/index2_0.xml
吉備の国4桃太郎と吉備団子は関係ないという話 [2008年11月15日(Sat)]
吉備の国4 桃太郎と吉備団子は関係ないという話

吉備の国のむかし話といえば、「桃太郎」である。
















 いもと ようこ著


桃太郎は、鬼退治に出かけたが、そのとき「きびだんご」を持って行った。

そこで、「きびだんご」は、吉備の国の食べ物だから「吉備団子」なのか、それとも、雑穀の「黍(きび)」が入っているから「黍団子」なのか、疑問を持った。

岡山は古くから、黍の産地として知られている。

そんな疑問に、元気屋の山崎雅子さんの言葉がヒントになった。「吉備団子」には、黍の粉が入っているけど、黍の割合が2割を超さないと「黍団子」といえないのだという。これはJAS法の関係なのかとそのとき思ったのだが、そこで、ますます黍と吉備との関係性を知りたくなった。

これは、桃太郎に聞くしかない。

Wikipediaによれば、「吉備団子の起源としては諸説あり、吉備津神社の祭礼においての供え物を酒宴の席で振舞った事から、参拝土産品として用いられるようになったとする説や、幕末において、岡山城下の町人が赤色のカキ餅風の和菓子を製造し、茶請け用にしたものが起源とする説などがある」と解説している。

しかし、その後の記述に目がとまった。

「日清戦争勃発時前後において岡山駅で販売がなされ、全国的に有名となった。その後1897年ごろまでにおいて、13軒の「本舗」を名乗る土産店が現出した。
室町時代に広まったとされる桃太郎の話と、和菓子としての吉備団子には直接的な関係はないが、駅での販売で双方をリンクさせた宣伝をしたことから、現在は桃太郎の絵がパッケージに印刷された製品もある」

ということは、桃太郎に「吉備団子」のルーツを聞いても答えられないのである。

そこで、私が出した推論はこうである。

「きびだんご」は、いま「吉備団子」と書かれているが、それは、黍の割合が20%以上でないからJAS法により「黍団子」と表記できない。

例え、黍を20%以上加えた「黍団子」を製造しても、黍を入れすぎるとパサパサな餅になるので、旨いものではない。だから、JAS法にのとった「黍団子」を製造しても意味はない。

昔ながらの「黍団子」は、JAS法の規制により「吉備団子」の表記になるが、それ以前も、吉備の国の団子を「吉備団子」と表記したのではあるまいか。

桃太郎と「吉備団子」は、広告戦略として、その両者がつながったのにすぎない。

桃太郎は「きびだんご」を持って鬼ヶ島に行ったが、その時代にはJAS法がないので、桃太郎の話の中では、「吉備団子」でも「黍団子」でもどちらでも正解である。














これは、日本のおとぎ話のロマンの先にある柔らかな世界といえる。

そういえば、五月の節句に恵方に向いて、海苔巻きを食べると福が来る、という行事が全国に伝わっている。これも、大阪の海苔商の組合が、海苔の消費量を増やそうと始めたプロモーションであった。

岡山発の桃太郎と吉備団子の関係も、大阪発の恵方と海苔巻きの関係も、日本人が好むロマンが高じて広まった話だが、僕は、そんな日本が好きである。

注)文中の話は、歴史的裏付けをとっていない。だから、責任を持てないことを宣言しておく。でも、歴史ロマンってこんなものなのだろう。

Posted by チーム3ミニッツ at 09:08 | ありがとうと食 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
吉備の国3 吉備団子 [2008年11月14日(Fri)]
岡山は、吉備の国である。その地の名物は、「吉備団子」である。

岡山に来る朝に、そういえば本物の「吉備団子」を食べたことがあるのかな、と思った。本物の「吉備団子」ってどんな味がしてたっけと思った。


廣榮堂ホームページから

そこで、「元気屋」のスタッフに、「本物の吉備団子」を食べたいのですが、どこに行ったら買えますか」と聞いてみた。そしたら「廣榮堂の『むかし吉備団子』が本物の味ですよ」と教えてもらった。

同行の耕太朗くんは、メモをとったし、すぐに買えると思っていたら、とんでもないことだと後で知ることになる。

だいたい、地元の名物といわれるものは、京都人が「八つ橋」を家で食したり、贈り物にしないように、岡山でも「吉備団子」など無視される存在なのは分かっていた。

なぜなら、岡山から美味しいものを送ってもらっても、「吉備団子」を贈られたことは一度もないからだ。やはり、岡山の進物といえば、耕太朗くんが作っている高級ブドウや桃である。

倉敷駅のKIOSKのお土産売り場に立ち寄った。そこで、「廣榮堂の『むかし吉備団子』ありますか」と聞いたら、ここでは取り扱っていないという。そこから、この団子を無視するわけにはいかなくなった。

倉敷から約15分電車に乗ると岡山駅に着く。そこから新幹線に乗るのだが、ここで途中下車をして、あの「廣榮堂の『むかし吉備団子』」を探すことにした。

駅の改札を出たところにある、地元の直営店らしきコーナーに向かう。
そこは、まさに、あの麗しい「廣榮堂さま」の直営店であった。

耕太朗くんが、さっそく「『むかし吉備団子』ありますか」と聞くと、店員は私たちを見て「おぬしできるな」と笑顔を返した。


廣榮堂ホームページから

そこでさっそく、「では、これをひとつお願いします」と私がいうと、「今日はあとひとつで売り切れになります」と店員が厳かに宣言した。耕太朗くんはあわてて残りのひとつを買い求めた。

家に帰り、「廣榮堂の『むかし吉備団子』」を味わうと、いままで食べた「吉備団子」は、団子ではなくて菓子であることがすぐに分かった。

いままでの「吉備団子」は、甘さが強く、柔らかく、餅とはいえないしろものだとすぐに気がついた。

廣榮堂の『むかし吉備団子』は、実に餅っぽい団子なのである。噛めば噛むほど黍(きび)の味がまろやかに出てくるし、餅のかたさと黍のバランスが実によい。

廣榮堂の創業は、安政3年(1856)というから、150年の歴史を誇っている。

「むかし吉備団子」は、材料を吟味し、製造に大変な神経を使っているらしい。だから、数量が少ない限定品なのである。だから、直営店でしか売らない商品なのである。

http://www.koeido.co.jp/item_kibidango_2_2.html


価格も、普通の「吉備団子」より5割ほど高い。でも、この味を一度知ったら、お土産売り場で売っている「吉備団子」は、菓子というジャンルのものであることが理解できるはずだ。


新幹線の中で撮った「吉備団子」。奥にあるのは、普通に売られている「吉備団子」。
店の人が、味が比べられるように渡してくれた。

廣榮堂のホームページを見ていたら、「むかし吉備団子」が通販で買えることに気がついた。
廣榮堂  http://www.koeido.co.jp/

むかし吉備団子 http://www.koeido.co.jp/item_kibidango_2.html
創業当時の黍団子 http://www.koeido.co.jp/item_kibidango_4.html

Posted by チーム3ミニッツ at 08:36 | ありがとうと食 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
吉備の国2 看板 [2008年11月13日(Thu)]
倉敷の町を中野耕太朗くんと散策した。

元気屋から倉敷美観地区を目指しながら、適当に歩く。

倉敷の美観地区といえば、赤煉瓦、白壁の町並みである。倉敷紡績の全盛期に、大原孫三郎が大原美術館を設立したが、そこに、歴史ある町並みが続いている。

しかし、今回は、その歴史ある運河沿いを通らずに、その裏通りを歩いてみた。なぜそこを散策したかといえば、適当に歩きすぎたからである。

しかし、そこに大いなる発見があった。その町並みにある店の看板が、レトロ調でもなく、モダンでもない、好い加減であったからだ。



その看板をひとつひとつカメラで押さえていくのだが、そこに好い加減な時間があった。








 
Posted by チーム3ミニッツ at 07:16 | ありがとうと食 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
吉備の国の元気屋 [2008年11月12日(Wed)]
吉備の国 岡山に行ってきた。同行者は、「さわやかアグリ」の中野耕太朗くんである。



兵庫県生まれの耕太朗くんは、平成5年、24才の時に、岡山の吉備で農業をしようと移住した。そして、その土地で最高品質のピオーネやセトジャイアンツ種のブドウを育て上げた。

彼はまったくの素人だったが、平成15年、農業経営と地域活動などの功績を認められ、矢野賞を受賞した。

(矢野賞=第一生命保険相互会社創立者の矢野恒太翁が、昭和26年逝去後、翁の業績を顕彰するため昭和28年「(財)矢野恒太記念会」を設立し、岡山県下の優秀な青年農業者を表彰する「矢野賞」を設けた)

彼と岡山を訪ねたのは、チーム3ミニッツの環境循環型WEBSHOPのマーケティングをするためだ。

訪れたのは、倉敷の駅から約1kmの距離にある、「元気屋」である。この店は、玄米食の食堂と無農薬自然食品の販売をしている。


 
この店は、山崎誠さんと雅子さんが仕切っている。山崎誠さんは、吉備中央町の町議会議員で、この町に産廃施設が来ることに反対し立候補して議員になった。



山崎さんに、チーム3ミニッツの環境循環型WEBSHOPのコンセプトと方向性を話すと、地元で農業法人経営にも参画している山崎さんは、大いに興味を示してくれた。その成果は後日によい報告ができるはずだ。

この店で山崎さんと打ち合わせをしていたのだが、話もそこそこに、厨房で何かを作っているのが気になってしかたなかった。しばらく我慢をしていたが、我慢できなくなり、失礼にも厨房にずけずけと入っていくと、炊きあげたばかりの「玄米」があった。それを、物欲しそうに見ていると、「おにぎりにしましょうか」と声をかけてくれたので、「はい」と私はポチの様に従順に従った。

「元気屋」の自然農法に対するこだわりは尋常ではない。地元の食材だけでなく、全国から吟味された商品が店いっぱいに並んでいる。



有機トマトケチャップ、くず100%の「れんこんくず湯」、有機米使用の玄米甘酒、有機米と有機大豆を自然塩で仕込んだ「糀みそ」など、こだわりの有機商品があるのだが、デパートの売り場のように派手さがないので、吟味して見ていかなければ見逃してしまう。

「元気屋」の商品群も、何らかの形でチーム3ミニッツと連動することは確実だ。その商品やスピリットを私たちは伝えていく義務がありそうだ。



元気屋 岡山県倉敷市美和1−4−20
電話(086)422−8820 FAX(086)422−8821

Posted by チーム3ミニッツ at 08:23 | ありがとうと食 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
「食育」と牛肉偽装について 1 [2008年07月01日(Tue)]
「食育」と牛肉偽装について


岐阜県養老町の食肉卸販売業「丸明」(吉田明一社長)が、等級の低い肉を岐阜のブランド和牛「飛騨牛」として販売していた。

またまた、食品偽装である。

これらの行為をする企業は食品市場から退場してもらわねばならない。このような業者はまだ多くあると予想できるが、この偽装の背景を知ることで、私たちも反省しなければならないことが、多々あるのではないかと思う。

これらの事件は、いまに始まったのではない。太古の昔から今日に至るまで、多くの食品偽装が行われてきた歴史が世界にはある。ひと昔前と比べれば、現代は食品偽装が少なくなったといえるが、いつの時代も、自己の利益だけを求めるヤカラが多いのもまた事実である。

かつて、魚は鮮魚店で買い、肉は精肉店で買うことが当たり前だった。その時代は、対面販売が主で、消費者は店員の顔と商品を見ながら、あそこはよいものを売っている、という判断することが普通のことだった。だから、店主もお客に満足してもらう努力を怠ることを忘れなかった。

対面販売により、消費者は肉や魚の善し悪しを学ぶことができた。また、料理の仕方を店員に聞くこともできた。そこに、店がお客を育て、お客が店を育てるというコミュニケーションがあった。その時代には、消費者にも店主にも「目利き」と「良心」があった。

しかし近年、スーパーの大型化が始まり、対面販売で魚や肉を買うことが少なくなった。その傾向は、バブル景気以降に著しくなり、いまや対面販売で肉や魚を買うことは、まれなこととなってしまった。

肉や魚を売る店の顔が見えなくなった時代は、その生産者や仕入れ会社が全国展開を始めた時期でもあった。

私たちは、店頭での食の学びの機会をなくした結果、顔が見えない食品関係者に、偽装に走る機会を与えた、ということもできる。

食の偽装を取り締まるために、日本農林規格(JAS法)があるのだが、その法律に頼りすぎると、食品衛生法上では問題にならないのに、JAS違反で摘発されるケースが今後増大することもある。

食の安全とは、食品を安全に食べられることであるが、そこに適正な表示が伴うことで、初めて食の安全を語ることができる。しかしそれは、食品衛生法とは、別世界の法律であることを理解しておきたい。
Posted by チーム3ミニッツ at 18:20 | ありがとうと食 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
「食育」と牛肉偽装について 2 [2008年07月01日(Tue)]
ブランド牛ってなに

私たちは、岐阜県の食肉卸販売業「丸明」が、等級の低い飛騨産の牛肉を偽装したことに怒っている。しかし、はたして本物の飛騨牛を見抜く力を持っているといえるのだろうか。

あなたが牛肉を買うとき、どのような判断をして購入をするかを、ここで質問したい。

下記から、あなたが牛肉を買うときの優先順位をあげて欲しい。
A ブランド・・・ 佐賀牛 松阪牛などのブランド
B 価格・・・ 肉の適正価格
C 見た目・・・ 肉の良し悪しを目で確認する
D 部位・・・ ロース、サーロイン、肩などの牛の部位

日本人の答えは、1位がブランド、2位が価格、3位が見た目である。4位の部位という答えはあまりない。

私たち日本人は、まずブランドを確認し、値段を見てから、最後に、肉質を見て買い物をしている。これが今日の日本の消費者の購買行動である。つまり、肉質を見る前に、ブランドを確認しているのである。

日本の牛は、霜降り肉で確かにうまいが、それは高級な肉であって、普段の家庭で料理に使うことはあまりない。しかし、消費者は、肉質とは関係ないブランドを見つめているのである。

肉食文化の海外では、1位は見た目で、ここで肉質を判断する。2位が価格で、それが適正か判断する。3位は部位で、その肉の特徴を吟味する。

海外では、日本で1位のブランドの回答がないのは、海外にはブランド牛はあまり存在しないのだから、当たり前である。

海外の消費者は、肉の部位をよく見るが、それは、部位の肉質により料理に使う肉が変わるからである。ここに農耕民族の我々との違いがある。

さて、今回の「飛騨牛」の偽装だが、その肉は確かに「飛騨産の肉」であった。しかし、それは偽装された牛肉であった。この表現の違いが、JAS法に触れるのである。

日本でこれほどブランド牛が騒がれたのは、アメリカのBSE問題と関連している。アメリカ牛との差別化を図るために、各地の生産者がブランド牛を立ち上げたからだ。

日本にはブランド牛が約300種いるが、各地のブランド牛の基準は国が定めたものではない。その土地独自の基準があり、それに合格すれば、地元のブランド牛として出荷することができる。

ブランド牛は、牛肉の格付けによって決まる。格付けは、「おいしさの目安」だが、それは日本食肉格付協会によって行われる。格付けの等級が高ければ値段も高く、おいしい牛肉といえる。

牛肉の格付けには2つの等級がある。1つは歩留まり等級、もう1つは肉質等級だ。歩留まり等級は、A、B、Cの3段階で、Aが最もよい肉となる。肉質等級は5、4、3、2、1の5段階に分かれているが、5が最もよい等級である。

実際の表示では、2つの等級を組み合わせてA−5、B−3などと表示をする。 最高ランクのA−5の牛肉は、ほぼ和牛だ。しかしそれは、総生産数の約15%しかなく、選び抜かれた牛だけが最高のランクとなる。

一般的に和牛はAクラスになることが多く、他の牛はBクラスに評価されることが多い。それは、和牛1頭から多くの肉を得ることができるからで、肉用牛として最適な牛であるといわれている。

しかし、先に書いたが、どの格付け以上の牛肉をブランド牛として認めるかは、地元の判断に任されているのが現状である。

ある地方では、等級の他に、牛を育てる地域を定めているため、道の手前の牛はブランド牛になるが、道の向こうで飼われている牛は、例えA−5の格付けをとっても、ブランド牛と認定されない。

今回の飛騨牛偽装事件では、等級の低い肉は「飛騨牛」として認められていなかった。だから、「飛騨産の牛」と表記されるべきであった。これが、等級偽装である。その肉は「飛騨牛」として認定されていないのだから、明らかにJAS法違反である。

北海道のミートホープ社の社長は、いまは刑務所に収監されているが、当初社長は「消費者が求めているものを生産してなにが悪い」と発言した。

その言葉は、消費者を馬鹿にした言葉であったが、ある意味で真実を語っているものでもあった。消費者は、その価格を支持し、偽のミンチ肉を見抜く力を持っていなかったからである。

日本の消費者は、ブランド牛肉を求めているが、その肉を前にすることで、味覚が惑わされ、おいしく感じる人種になった。その一例として、日本人はうまい牛肉を「この肉は軟らかくておいしい」と話すのである。

私たちは、肉の見た目を判断する力、「目利き」力を持つべきである。それを持つことで、安くてうまい肉を誰でもが手に入れることができるようになる。

食品偽装のニュースが多い時代は、その企業を非難する前に、自分たちの食の姿勢をあらためるよい機会である。

300種のブランド牛がある社会は、別の意味で、一部を除き「ブランド牛の価値がない」社会といえる。だから、消費者が牛肉を見る目がより大切になる。

いっそ、ブランド表示よりも、生産地と肉の等級を表示する方が、消費者には理解しやすいと思うのだが、それが実現すれば、安価でおいしい牛肉を食べる消費者の知恵を育てることになるのではと思う。

真の牛肉の味覚を、子どもたちに伝えていくことも、また大切な「食育」なのである。

Posted by チーム3ミニッツ at 18:12 | ありがとうと食 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
福岡での残飯論争 [2008年06月16日(Mon)]
6月14日付の朝日新聞の報道によれば、
http://www.asahi.com/national/update/0613/SEB200806130015.html

福岡市教委が今年度から市立学校で給食の食べ残しの持ち帰りを禁じたところ、廃棄される残飯が昨年の残飯総数1383トンより、月に約9トン(年間約100トン)増えたことが分かったという。

これについて市議会では、「食育の点から大きな疑問。見直すべきでは」という意見が出たが、市には「衛生面の配慮なら仕方ない」「食べ残しを活用できないか」「ものを大切にする流れに反する」などの電話やメールが相次いでいるという。

これも本ブログで書いてきた、世界一の残飯王国の現象だが、新聞では、残った食物を持ち帰るか、捨てるかの論争として報道している。

「衛生面の配慮なら仕方ない」と「ものを大切にする流れに反する」は相反する論争のように見えるが、これは対立するものはない。

児童に食べ残した食物の量を見せながら、パン類など家庭に持ち帰ることができるものは児童に持たせる活動自体が、「食育」活動だからである。

市教委健康教育課の発表による、処理費に換算して4427万円分の食べ残しに食材費を足すと、6〜7000万円という金額になるのだろう。これが、11兆円の残飯を出す世界一の残飯排出国、日本の地方都市の景色である。

記事には、「市教委は、手つかずのパンなどを入れたゴミ袋が子どもの目に触れないよう、学校側に注意を求めている。食べ物を粗末にする意識を植えつけないための配慮だ」とあるが、この発想にも疑問がある。

手つかずのゴミ袋を子どもの目に触れないようにしていることは、「食べ物を粗末しないことは、残飯が少ない社会である」という教育を、教育委員会は拒否しているといえるからだ。

食事を大切にすることは、「食の食べ残しを少なくする」ことでもある。「ごちそうさま」「いただきます」の心を育む教育が、いま求められている「食育」ではないかと私は思う。それが育まれることで、地球に感謝する「ありがとう」の心が子どもたちに浸透していくのではと私は思う。
Posted by チーム3ミニッツ at 00:14 | ありがとうと食 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
また日本で残飯を出す食習慣が始まった1 [2008年06月13日(Fri)]
三輪そうめんの老舗による賞味期限改ざん問題

中元商戦を目前に、三輪そうめんの老舗、奈良県桜井市の森井食品による賞味期限改ざん問題が発覚した。

今回も、「赤福」と同じJAS(日本農林規格)法違反である。JAS法は、農林水産省の管轄の法律だが、農水省は森井食品に「消費者をだます表示は許さない」と改善命令を出した。これを受けて、同社の森井社長が謝罪をしたことは報道されている通りだ。

これを受けて、全国乾麺協同組合連合会は、組合員に適正な表示を徹底するよう通達した。地元の三輪素麺工業協同組合も、農水省担当者を招いて講習会を開いたという。

今回も「食の安全」という宝刀が抜かれたのだが、農水省は「賞味期限などの表示は、消費者保護の立場から、ウソがあってはいけない」と厳しく指導している。

今回の事件は、平成13年から1年半の賞味期限で出荷した商品の返品ものを、商品の品質を確認したあとで賞味期限をさらに1年半に延ばしにして、再出荷していたことが発端だった。これは明らかにJAS法違反だ。

誤解の無いようにいっておかなければならないが、他のメーカーの多くは、返品されたそうめんの品質に問題がなくても廃棄処分をしているという。これは、消費者との信頼関係を保つための措置だが、しかしそれは、ゴミとして処理をされるという意味を持つ。また、家畜のエサや飲食店への値引き販売などにまわされることもあるという。

しかし、今後JAS法を厳守するなら、他のメーカーも行っている、飲食店向けの再販売も違法行為になってしまうことになる。


森井食品の社長は、「そうめんは古ければ古いほどおいしいという世界で育ってきた。食をめぐる不祥事を考えると、業界の常識は通じなかった」といっている。今後、森井食品は、返品された商品は品質に問題がなくても、ゴミとして処理をするほか家畜のエサにするという。

寒冷期に心を込めてつくられた日本の伝統保存食のそうめんは、これからおいしくいただける時期にはいるのに、ゴミとして捨てられていくのである。

何かが違うと思うのは、私だけではないと思うが、日本の代表的な保存食のそうめんは「古いほどよい」、という常識が通用しない時代が始まっている。

消費者保護を声高に農水省は話すが、そうめんは、保存食として日本の風土の中で発展した。そうめんは本来保存食で、「2、3年ものが一番おいしい」と確かにいわれてきたのだ。

そうめん業界は、平成7年3月に、そうめんの賞味期限を3年半とする独自の設定をした。しかし、ほとんどのメーカーは、お客の保存状態が悪いとカビがでる可能性があり不信感をまねくとして、賞味期限を1年半ほどにして出荷している。

Posted by チーム3ミニッツ at 23:01 | ありがとうと食 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
また日本で残飯を出す食習慣が始まった2 [2008年06月13日(Fri)]
古いそうめんがなぜうまいのか

麺はシルクロードを通り日本に伝わった食だが、奈良時代に中国に派遣された遣隋使や遣唐使が、索餅(さくべい)、餛飩(こんとん)餺飥(はくたく)という麺を伝えたことから始まったと考えられている。

「索餅」は、形が「なった縄」に似ているので、和名を「无岐奈波(むぎなわ)」というが、中国では「索」は細い縄を意味し、餅(ビン)は小麦粉などを練り合わせた食品を意味している。

鎌倉時代に入ると新しい麺の製法が禅僧によってもたらされた。そうめんは、挽き臼で挽かれた粒子の細かい小麦粉だけで作る麺で、それが「索麺(そうめん)」の始まりといわれている。

そうめんは、冬の農閑期に小麦粉の生地に綿実油という油を塗ってつくる麺だ。植物油が塗られているのだから、油臭くてすぐに食べることはできない。この植物油は、「麺実油」というもので、文字通りTシャツなどに使われる綿の実から採る植物油だ。この油は、上品な風味とコクを持つ油で、一流の料亭などで使われているうまい油の代表格である。だから、そうめんを長年寝かせることや、夏の暑さに通すことで、油臭さが無くなり美味しく食べられる保存食になる。

そうめんを長年保存していると、色が変わる「褐変現象」が現れる。油が酸化するのだから、体にいいことはないというかもしれないが、そうめんの綿実油の酸化は「厄(やく)」というもので、これがうまさの秘密である。

冬に製造したそうめんは、長年寝かせることで、麺の水分や塩分が融和した状態になる。これが、麺をひきしめ、よりコシと風味を増してくれる。これが「厄」だが、「1年目厄」と「2年目厄」では、違った現象が起きるのがそうめんの特徴だ。これもそうめんのうまさの秘密である。

1年以上経過した素麺を「涸品素麺」とよび、1年を経過していない素麺を「新物」とよぶが、「涸品素麺」が「新物」よりコシがあってうまい。

そうめんは、現代風にいえば、アルデンテの時が一番うまい。この味をコンスタントに食したければ、3年もののそうめんを手に入れればよい。箱に「蔵囲」などと書かれている「涸品物素麺」と呼ばれるそうめんがそれだが、その箱に書かれたゆで方に沿ってつくると、コシのあるアルデンテ風の美味しいそうめんが味わえる。

かつて、3年物のそうめんは、「蔵囲」「土蔵枯らし」という名前で呼ばれ、高級なそうめんとして高い値段で取引されていた。だから、「3年もののそうめんはうまい」といわれたのである。

賞味期間が3年以上もある保存食のそうめんは、今では、1年半の賞味期間で表示され、売れ残ったそうめんは熟成する時間を拒否されて、ゴミとして捨てられていく。そこにも、「いただきます」「ごちそうさま」の「ありがとう」の言葉を見ることはない。

現代の消費者は、そうめんの賞味期間は1年半と思いつつある。その期間を超えたそうめんは、豚のエサになるかゴミとして処理されるしかないが、そこにも、世界一の11兆円の残飯を出す日本の食の背景がある。

Posted by チーム3ミニッツ at 23:00 | ありがとうと食 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
チーム3ミニッツと「食の安全」1 [2008年05月20日(Tue)]
チーム3ミニッツと「食の安全」1

「ありがとう」の語源と「赤福」

「ありがとう」は、釈尊の語録形式を取る原始仏典のひとつである「法句経」の、「人の生を享くるは難く やがて死すべきもの いまいのちあるは 有り難し」が語源といわれている。

「いま生きている私たちは、数え切れない偶然と無数の先祖の計らいで生を受けて誕生したのだから、命の尊さに感謝して精一杯生きよう」という経の教えがそこにある。

それが、「当たり前の事を当たり前と思わず、当たり前と思える事にも感謝の気持ちを表す言葉」として、「有り難し(ありがとう)」になった。

チーム3ミニッツでは、「ありがとう」を考える教材として、食をテーマにすることが多い。そのひとつが、食農教室なのだが、食事の挨拶の「いただきます」「ごちそうさま」の言葉を自然にいえることが、「ありがとう」を伝える素材として誰もが理解しやすいものだと考えている。

しかし、いまの日本で食の世界が怪しくなっている。北海道の食肉加工販売会社「ミートホープ」の牛肉ミンチ偽装事件。大阪の「船場吉兆」での牛肉表示偽装、客の食べ残した食材の使い回しなど話題に事欠かない。

これらの事件は、マスコミに大々的に報道されているが、「ミートホープ」や「船場吉兆」の事件は、食よりモラルの問題であって、ここで述べたい「食の安全」のテーマと一致しない。

ここであらためて「食の安全」を考えたいのだが、誤解を招くことを承知の上で語らせてもらえば、前記した企業は食中毒などを起こしてはいない。つまり、食に対するあまりにものモラル低さ(表示偽装や使い回しなど)が社会から糾弾を受けたのであり、「ミートホープ」に至っては、その態度の悪さが刑事罰を受ける要因になったといえる。

ここで取り上げたい会社は、「赤福」である。「赤福」事件は、JAS法違反が中心だが、この会社も、食中毒を起こしていない。

「赤福」事件を、あらためて見てみよう。

無期限の営業禁止処分を受けた「赤福」の不正は、二重の製造年月日をつけて販売した違反行為であった。その法的根拠は、「JAS(日本農林規格)法」違反だったが、同法が違反とした二重の製造年月日表示は、「食品衛生法」では問題ない、という解釈もあった。

「赤福」の包装紙には、「赤福本舗〇年〇月〇日謹製」の丸い印があり製造年月日を示していた。「赤福」は、配送車で運んだ商品が(店頭に置かず)工場に戻った段階で冷凍保存していた。

「赤福」は、戻った商品を解凍して再出荷したが、出荷時に最初の包み紙をはがし、再包装したその日を製造日とした刻印をあらたに打っていた。この二重の製造年月日表示は、「JAS法」違反にあたると農水省は認定したが、厚労省が所管する「食品衛生法」の立場から三重県は「赤福」の工場を調査した。しかし、製造年月日の2度づけと消費期限の更新は、「食品衛生法」上問題はないと当初見解を発表した。

「JAS法」と「食品衛生法」で判断が分かれたのは、どこまでを製造工程と見なすのかの、法的解釈がふたつあったからである。

「JAS法」では、1つの商品に製造日は2回ないから、1度目の製造年月日の印字がされた時に製造は終了したと考える。だから、「赤福」の二重の製造年月日表示は違法となる。

しかし、「食品衛生法」では、食品が安全に保たれているかが重要で、微生物試験や工場や配送車の温度管理などの生産管理が重視される。三重県は、最初の製造日と解凍された日を別にとらえることで、2つの製造年月日があったと判断した。結果、二度の製造年月日表示は「食品衛生法」違法ではないと当初判断した。 
                
ここで問題になっている、食品の製造年月日の表示義務は平成7年までの法律で、いまは表示義務はない。平成7年以降は、消費期限、または、賞味期限を商品に表示することが義務づけられた。いまの製造年月日は、消費期限や賞味期限の起点の日としての意味しかもたない。

「赤福」は、法的義務がない製造年月日を二重に表示したために、「JAS法」に抵触してしまった。製造日は問題ないとしていた「食品衛生法」上の解釈も、別の問題があることが分かり同法違反となった。

「赤福」は製造年月日という伝統にこだわったために、社会から糾弾を受けることになってしまった。

製造年月日を偽造したことで、「赤福」は社会から糾弾された。が、製造年月日を記載しなければならない、という法律は日本に存在していないことは理解していただけていると思う。この背景には、製造年月日を記載すると不利になる外国政府(企業)が、その撤廃圧力を政府にかけた経過がある。

「赤福」は、法的義務のない製造年月日を記載せずに、消費期限のみを表記していれば法的にも何の問題もなかった。

マスコミは製造年月日偽造と大きく書いたが、他の会社なら、「赤福」のような製造年月日を記載することなどはせずに、(冷蔵した商品を含めて)消費期限を表示して売りさばいていたはずである。

JR東海パッセンジャーの弁当事件も、自社が規定した消費限度時間を超過したものを販売していていたことで、マスコミに糾弾された。しかし、それを自ら公表するなどの広報体制をとったので、「赤福」ほどのダメージを受けることはなかった。
Posted by チーム3ミニッツ at 02:56 | ありがとうと食 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
| 次へ