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チーム3ミニッツと「食の安全」5 [2008年05月20日(Tue)]
チーム3ミニッツと「食の安全」5


日本の「食の安全」意識は正義なのか

毎日、食卓に食料がふんだんにあると思い、その意識を基準にした「食の安全」は、自給率の高い国では正論になるだろうが、自給率が極端に低い国で正義になるのかと、私は疑問に思う。

昨年あれだけ「食の安全」が謳われたのに、2008年5月の調査では、消費期限・賞味期限の意味を理解している人は半数しかいない。

全国清涼飲料工業組合連合会のレポートによれば、「賞味期限とは、『ふたを開けていない状態で、表示された保存方法でおいしく飲める期限』のことだが、正しくその意味を理解している人は、半数しかいないことがわかった。次に『ふたを開けていない状態で、おいしく飲める期限』と理解しているのが37.3%。『開栓前でも期限を過ぎたら安全ではない』と、やや神経質に考えている人も7.3%いることがわかった」とある。 

朝日新聞の報道では、「食品の「消費期限」は傷みやすい食品に使われ、『賞味期限』はおいしく食べられる期限を示すが、過半数の人が正しく理解していないことが内閣府の『国民生活選好度調査』で分かった」とある。

消費期限で正答の「定められた保存方法で安全性を欠く恐れがない」を選んだ人は34%。賞味期限で正答の「定められた保存方法で品質を保つことができる」を選んだ人も46%にとどまった。表示された期限について、「開封・未開封に関係ない」と誤解していた人も30%前後ずついた。 (中略) 
審議会総合企画部会委員を務めた角田真理子・明治学院大准教授は「一連の偽装問題で期限表示があれだけ話題になったのに、理解が進んでいないことを示す結果だ。安全な期限とおいしい期限との違いを誤解しない表示に変更した方がいい」と話す。 (朝日新聞2008年05月18日)

つまり、一般の人々もマスコミも、食品偽装をワイドショー的に見ることはしても、そこにある食の本質を理解しよう(させよう)とする姿勢が著しく低いことを、この数字は物語っている。


日本の残飯は、11兆円分ある

日本の食料総経費は、私の試算によれば110兆円(国民生活調査などを参考)である。この数字にあげられている食料の多くは海外から来る。しかし、この国が出す残飯は、世界一の11兆円といわれている。

ここにも、日本人の食卓に食料があるのが当たり前、残すのも当たり前の意識が見え隠れする。

そこにも、ミスリードする「食の安全」が混在しているように私は思う。そこに、「ごちそうさま」の意識があるのか、疑問を感じるのは私だけではあるまい。

日本人の残飯意識は、ハンバーガーやコンビニ弁当を展開する企業の宣伝活動による影響が大きい。それらの会社は、製造時間から○時間後にすべての商品を廃棄することを、顧客にアピールすることで、「食の安全企業」であるというメッセージを社会に伝えてきた。それは主に1970年代の宣伝活動だったが、その時代は、サルモレラ菌などの食中毒菌が注目され始めた時代でもあった。

いまのハンバーガー店は、作り置きをせず客のオーダーを受けてから製造を始めるシステムに変わった。しかし、製造をして販売するシステムの「赤福」のあんこは再利用されずに、今日もゴミとして捨てられている。

世界の人口60億のうち8億3000万人が栄養不足となっている。そのうち7億9100万人は発展途上国に暮らしている。世界の7人に1人が、発展途上国では5人に1人が、飢餓状態にあるといわれている。

日本の「食の安全」をもっと世界的な視野で見つめていかなければ、日本は「食の安全」以前に「命の安全」が脅かされるようになるだろう。

近年、65歳以上の低額年金生活者の万引きが急増しているそうだ。この人たちは、スーパーなどで食品を万引きするそうだが、そこにも、「命の安全」が見えてくる。

国際的に見れば、台風などの水害や日照りによる農作物の不作など、世界の環境問題が起こす食糧危機が、食料インフレを増長させることは間違いない。国は国益を優先するのは当たり前だから、その地の食料生産が減少すれば、食料価格はインフレ化し、他国に輸出する総量は減少していく。そこに、いくら金があっても、簡単に食料が手に入らない世界がある。その先にある世界は、日本人が考えている当たり前の世界と異なるものである。

それは他人事ではない。いままで米の供給が安定していたフィリピンでは、アジアでのサイクロン被害、ベトナムの食糧備蓄のための輸出規制、また、投機筋の参画による価格暴騰などがあり、米よこせデモが発生している。これを「rice crisis(米危機)」に引っかけて「price crisis(価格危機)」と呼ぶそうだ。

日本では、エコライフやスローライフ、環境運動が盛んで、それはとても貴重なことだが、11兆円の残飯を出す日本のエコ意識を再度考える必要があるように思う。

11兆円分の食料があれば、世界の飢餓問題をある程度解決できる。しかし、日本人の食の意識は、これと異なる方向に向かっている。そこに、「いただきます」や「ごちそうさま」の言葉を聞くことは少ない。

最後になるが、私の考える「食の安全とは何か」を述べておきたい。

「食の安全」の第一は、「食料が十分に供給される食料危機がない世界」であり、次に重要なのが、「日々の食があることに感謝する心」だと思う。

この基本があれば、間違った正義感を振りかざす「食の安全」論理はなくなっていくだろうし、残飯を出すことを助長する姿勢もなくなっていくだろう。、「ミートホープ」と「赤福」を同列に扱うこともなくなるだろし、消費期限や賞味期限の本来の目的を理解しようとする人たちが増えてくることだろう。

社会には、善人もいれば悪者もいる。食を扱う人は少なくとも、「食の安全」に責任をとらなければならない。その責任をとらない(とれない)人間は、食の世界から去るべきである。

食は、「人を良くする」と書く。

そこに、「当たり前の事を当たり前と思わず、当たり前と思える事にも感謝の気持ちを表す言葉」、『有り難し(ありがとう)』の真の意味、「いただきます」「ごちそうさま」の心があると思う。

Posted by チーム3ミニッツ at 02:46 | ありがとうと食 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
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