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修善寺温泉 [2022年03月31日(Thu)]
修善寺温泉 
伊豆半島の温泉地の中で最も古い歴史を持ち、日本百名湯にも選出されています。開湯から1200年余りの古い歴史と良質な泉質、豊かな自然は文人墨客をも魅了し、この地を舞台に数々の小説や歌が生み出されてきました。最寄り駅は伊豆箱根鉄道の修善寺駅で、東京駅からは新幹線と電車を乗り継いで2時間ほどの距離にあります。
修善寺温泉の起源は古く、西暦807年の平安時代にまで遡ります。親孝行の息子が病に苦しむ父親の体を冷たい川の水で洗っていると、通りかかった僧侶がその姿に胸を打たれ、独鈷で岩を打ち霊泉を湧出させ、温泉に浸かると、たちまち父親の病は治り元気を取り戻しました。霊験あらたかな温泉として、温泉療養を目的に各地から人が訪れるようになりました。修善寺温泉の名前の由来でもある修禅寺は、この僧侶が開いた寺で、鎌倉時代から修善寺と呼ばれるようになりました。
現在は「伊豆の小京都」とも称され、修善寺川を中心として川沿いに温泉宿や飲食店が建ち並び、歴史ある建物が残る風情漂う街並みが広がります。修善寺温泉の始まりとされる独鈷の湯は、河川の増水などの安全を考慮し、現在の場所に移築されました。

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伊豆ワサビミュージアム[2022年03月28日(Mon)]
伊豆ワサビミュージアム
「わさびを、もっと、おもしろく」をテーマに伊豆中央道沿いにある伊豆わさびミュージアムでは、伊豆の代表的な名産品であるわさび製品の販売専門店です。ゆっくり「わさび」体験してもらい、お買いものをお楽しんでいただける施設です。おいしいのが、ワサビアイスです。
ワサビは、アブラナ科ワサビ属の植物で、日本原産で山地の渓流や湿地で生育し、春に4弁の白い小花を咲かせます。根茎や葉は食用となり、強い刺激性のある香味を持つため薬味や調味料として使われます。  
加工品はセイヨウワサビのものと区別するため本わさびと呼びます。
Webサイト:http://www.yamamotofoods.co.jp/tourism/mishima

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竹林の小路[2022年03月26日(Sat)]
竹林の小路
 修善寺温泉街を流れる修善寺川、通称「桂川」の「とっこの湯」から上流にかけては「竹林の小径」という遊歩道が造られていて、福地山修禅寺から歩いて行くことができます。
修善寺の温泉街の中心を流れる桂川沿い、独鈷の湯の脇を通る楓通りから上流の滝下橋までつなぐ遊歩道で、途中に「ギャラリーしゅぜんじ回廊」があります。
 平成6年(1994年)から3年間を費やして整備された温泉街の中央を流れる桂川沿いの散策道で、竹林の小径(ちくりんのこみち)と呼ばれています。竹林の小径を歩くと、茶処や火の見櫓が懐かしく、竹林中央にある大きな竹の円形ベンチに座れば竹林を通る風を感じることが出来ます。
また、小径内のギャラリー「しゅぜんじ回廊」(無料)では、修善寺の四季の様子を写真で紹介しています。ここはもともと孟宗竹が生い茂っていた場所で、この竹を有効利用しようと何回かに渡り300m程整備し、石畳が敷き詰められた中間あたりには大きな円形のベンチも置かれています。桂川には橋が5つ掛かっていて、この橋は願いをかけながら渡ると恋愛が成就すると言われているもので、橋を全て渡る「恋の橋めぐり」には多くのカップルが訪れます。

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海老名サービスエリア[2022年03月25日(Fri)]
海老名サービスエリア
 海老名サービスエリアは、中日本高速道路株式会社(NEXCO中日本)により運営されている神奈川県海老名市の東名高速道路上にあるサービスエリア (SA) です。神奈川県内では唯一のSAであり、東京方面から来る場合は最初の、名古屋方面から東京などへ向かう場合は最後のSAとなっています。
駐車設備は、下り線(名古屋方面)の駐車場は、大型 98台、小型 528台、身障者用 8台です。
 海老名というと「ぽるとがる」のメロンパンが有名のようですが、私は小田原吉匠の鯵のフライを購入し、頭から尻尾まで食べた。

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メトロ―ド東大島[2022年03月25日(Fri)]
メトロ―ド東大島
 地下鉄都営新宿線の東大島駅は、旧中川を跨いで作られた高架駅です。東岸側は江戸川区の小松川、西岸側は江東区の大島になり、大島・小松川公園の直近の交通機関となります。メトロード東大島は江東区側の高架下にあって、計画的にテナントが配置された商店会です。新宿線の岩本町〜東大島間の開業が昭和53年なので、この商店街は40年以上の歴史を刻んでいます。
 1階の構成店舗は、不動産店、中華料理店、テイクアウト唐揚げ、洋食店などで、商店街の規模としては小さいですが、駅前という立地から、唐揚げ店、シュウマイ店、大手チェーン店など有名店が入居しています。
 大島・小松川公園でサクラ見物の後に、寄って見て食事をするのも良いと思います。

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大島・小松川公園のサクラ[2022年03月25日(Fri)]
大島・小松川公園のサクラ
 この公園の桜は、千本サクラと言われていて、染井吉野、河津サクラ、彼岸ザクラなど千本植樹されています。その内、河津は葉桜に、彼岸ザクラは満開に満開になっています。染井吉野は、そろそろ満開になります。

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馬酔木[2022年03月08日(Tue)]
アセビ
 庭の馬酔木が咲き始めた。購入したのが20年前で、何度か鉢を植え替えている。
アセビ(馬酔木、学名: Pieris japonica subsp. japonica)は、ツツジ科アセビ属に属する常緑性の低木で、本州・四国・九州に自生し、観賞用に植栽もされる。地方名でヒガンノキともよばれており、春彼岸のころにアセビが花盛りで、仏前の供花にもされることに由来する。漢字の「馬酔木」は、「馬」が葉を食べれば毒に当たり、「酔」うが如くにふらつくようになる「木」というところからついたとされる。

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高円寺庚申通り商店街[2022年03月07日(Mon)]
高円寺庚申通り商店街
 高円寺駅から北へ、純情商店街を抜けていくとやや細い庚申通り商店街になる。庚申塚があることから、歴史のある商店街で、若者向けのカフェやラーメン店などができる一方、精肉店や魚屋など生活に密着したお店もそろっている商店街である。北に進むと早稲田通りになるが、かって拡幅計画があった名残の場所がある。
シンボルの庚申塔は、室町時代頃からはじまり、江戸時代さかんに建立された庚申塔は、本尊が青面金剛で、多くは見ざる、聞かざる、言わざるの三猿が刻まれている。 
庚申通り商店街にある庚申塔は正徳6年(1716)高円寺村の講中10人が、悪病退散、村民安全祈願のために建立したもので、はじめ現在のところで真南に向かって鎮座していたこの塔は、大正12年の関東大震災で横転しまし、その後西向きに建て直しました。昭和20年の東京大空襲の際、戦火をかぶり塔の一部が破損したので、昭和37年現状のように修復されました。

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荻窪の路地[2022年03月04日(Fri)]
荻窪の路地
 荻窪という地名の由来は、旅人が辺に自生していた荻を刈り取って草堂を造り、観音像を安置し荻堂と名付けたや周辺の地形が窪地であった。荻窪は、大正から昭和初期にかけて東京近郊の別荘地として住宅が増加し、昭和2年に与謝野晶子・与謝野鉄幹が南荻窪に居を構え、昭和12年に公爵で内閣総理大臣の近衛文麿が別邸「荻外荘(てきがいそう)」を構えたところから閑静な住宅地として評価が高まり、荻窪は大正から昭和初期にかけて、東京近郊の別荘地として「西の鎌倉、東の荻窪」と称されていた高級住宅地となった。そのときの雰囲気が今も残っており、駅から少し歩くと閑静な住宅街が広がっている。荻窪駅はカルチャーが色濃い中野駅と吉祥寺駅間の間の場所に位置し、どの駅にも割と近いというのが大きなメリットがあり、高円寺や吉祥寺まで自転車で15分、隣の西荻窪や阿佐ヶ谷には徒歩で10分ほどで行くことができる。 また、丸ノ内線の始発駅として銀座方面にも乗換えなしでアクセスもできる。
 そのような賑わいのある駅前と住宅街の間に商業地と住宅が混在した路地がある。

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