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黒門市場の歴史と由来[2007年11月20日(Tue)]
黒門市場の歴史と由来
黒門市場は、正式には黒門市場商店街振興組合という。大阪の繁華街、難波・戎橋筋から東に10分ほど離れたオフィス街、千日前通りに北の入り口がある。南北に走る堺筋に沿って市場が広がり東西に市場通りを貫く3本の路が走る。市場の商店数は約150店舗、業種別では鮮魚等が45店舗(構成比30%)、青果、肉・卵店が22店舗、これら生鮮店の合計が67店舗(同45%)である。平日の来街者1日平均1万8千人、年末には1日平均15万人が訪れる。来街者は市場を中心に1km圏から訪れる方が70%、まさに大阪の食の台所である。
戦国時代頃まで“市庭”と書いて「いちば」と呼ばれていた。生活必需品の取引が庭のような場所で行なわれて、余分な生産物を売り、その代金で必要な物を購入する。市場には、販売機能もあるが、他に発見という要素があり、多くの人の足を運ばせる要素となる。
 明治末期まで堺筋に圓明寺という大寺があり、山門が黒いことから、黒門市場と呼ばれた。文政5年(1822年)頃、毎朝魚商人が集まり魚の売買したのが起源。明治35年、公認市場に認可。明治45年1月の難波の大火災で、圓明寺と黒門はともに消失。大正期には中央市場をも凌ぐ勢いで発展し、鮮魚の専門市場として「中央市場になくても黒門へ行けば」と云われた。昭和20年3月の空襲で、黒門市場は消失、戦後かつての黒門仲間達でいち早く市場を再建。昭和26年に配給制度が廃止され、黒門市場は再び活気を取り戻した。


北側の千日前通りのアーチ
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