福井城跡[2026年06月16日(Tue)]
福井城
福井城は、徳川家康の次男・初代福井藩主・結城秀康が慶長11年(1606)に築城し、約270年間17代にわたり越前松平家の繁栄の舞台となった名城です。築城当時は高さ37m・四層五階の雄大な天守閣が建っていましたが、大火で焼失。現在では城下近郊の足羽山(あすわやま)で採掘される笏谷石で築かれた石垣と堀の一部だけが残るのみです。福井の地名は中世の荘園「足羽北庄(あすわきたのしょう)」に起源を持ち、柴田勝家が築いた城だけでなく、初代藩主結城秀康が築いた城も「北庄城」と称していました。三代藩主松平忠昌は「敗北」に通じて縁起が悪いとして「北」の字を嫌い、縁起の良い「福居」と名を改めたといわれます(1624年)。
福井市観光振興課 福井市観光協会 HP
坤櫓(ひつじさるやぐら)および本丸西側土塀の復元について
福井県では、福井城址の歴史的価値や魅力をさらに高めるため、これまで、平成20年に「御廊下橋」、平成29年に「福の井」、平成30年に「山里口御門」の復元整備を行いました。令和5年度から福井城坤櫓(ひつじさるやぐら)および本丸西側土塀の復元工事に向けた調査や設計を進め、令和7年度は、仮設ヤード整備工事を完了させるともに、埋蔵文化財調査、石垣の補強工事を行っています。
福井県庁HP









福井城は、徳川家康の次男・初代福井藩主・結城秀康が慶長11年(1606)に築城し、約270年間17代にわたり越前松平家の繁栄の舞台となった名城です。築城当時は高さ37m・四層五階の雄大な天守閣が建っていましたが、大火で焼失。現在では城下近郊の足羽山(あすわやま)で採掘される笏谷石で築かれた石垣と堀の一部だけが残るのみです。福井の地名は中世の荘園「足羽北庄(あすわきたのしょう)」に起源を持ち、柴田勝家が築いた城だけでなく、初代藩主結城秀康が築いた城も「北庄城」と称していました。三代藩主松平忠昌は「敗北」に通じて縁起が悪いとして「北」の字を嫌い、縁起の良い「福居」と名を改めたといわれます(1624年)。
福井市観光振興課 福井市観光協会 HP
坤櫓(ひつじさるやぐら)および本丸西側土塀の復元について
福井県では、福井城址の歴史的価値や魅力をさらに高めるため、これまで、平成20年に「御廊下橋」、平成29年に「福の井」、平成30年に「山里口御門」の復元整備を行いました。令和5年度から福井城坤櫓(ひつじさるやぐら)および本丸西側土塀の復元工事に向けた調査や設計を進め、令和7年度は、仮設ヤード整備工事を完了させるともに、埋蔵文化財調査、石垣の補強工事を行っています。
福井県庁HP




