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ボトックス治療を始めるまで(前篇) [2010年01月15日(Fri)]

ボトックス治療を始めるまで(前篇)

まぶたは下がり ショボショボと ドライとなって 痛みまぶしく

この記事はかなり長くなるので、少しずつ書き足して行く事にしました。
2010年8月1日に記事を加えました。

ある日の朝、顔を洗うときに右眼の瞼が力なく下がってしまう事に気づいてから、病気がはっきりするまで随分日数がかかりました。この様子をお知らせします。
またこの病気はまだ原因が解明されていないようなので、敢えて私の身体的あるいは性格的特徴についても記述し、多くの方の参考に少しでもになればと思っています。

1、子供の頃からの特徴と遺伝
眼瞼けいれんは局所性ジストニアと解説されております。またジストニアの森というホームページを読んだ所、子供の頃から既にその患者の特徴を表していると思っております。

このホームページは現在活動停止して、著作権を放棄しています。従ってその中から流用させていただきます。
『もし、ジストニアと診断されたら』の項で
もしジストニアと診断がついたら、医師が一番最初にすることは、注意深く家系を調査し、局所性または全身性ジストニアを持った人を捜します、ほんのわずかな「首の曲がった人」
(斜頸)にさえ注目すべきです。それに、あらゆる種類の手や足の震えも注目すべきです。
この情報は決定的な意味のある遺伝の証明となります。
と書かれています。

私は、子供の頃から身体の震え、特に手の震えが顕著でした。小学校低学年のときは、その身体的特徴から随分からかわれたことを思い出します。
書道では文字が震えたり、鉛筆で線を引くと震えた線になったり、曲がってしまったりしました。
それから無意識のうちに、わずかですが顔を右に傾けます。父親が私を見て、母と癖がそっくりだ、遺伝なのだろうと話したことも覚えています。

今でも私は手が震えます。機械設計なので、手書き図面を書くと震えたり曲がったりは今でも残っています。ビールをジョッキに注ぐときも手が震えます。困るのは飲むほどに震えが止まるので、アル中と誤解されることです。お酒は好きでも、全くアル中の気配はありません。
この震えは日常出ますが、様々な条件で程度が変わります。一般的には精神状態が非常に落ち着く程に軽くなります。

ただ一人眼科の先生が、私を観察して『身体が微動しているので、それに合わせて眼が焦点合わせを頻繁に続けている。こんな事が続いたら眼が疲労して、若いときなら兎も角高齢になると眼がついてゆけない。』と指摘されました。当時その先生の観察が私の身体的特徴を明確に表現されたので、大変感銘を受けました。残念ながらボツリヌス治療は御存知なかったようです。

性格的には、可なり緊張しやすいことです。運動であれ、歌であれ、学業試験であれすべて一般の人に比べ緊張して出来ることも出来なくなってしまうことが多かったのです。
これは、長生きするなかで自然に慣れてしまい現在は問題になることはありません。
この性格的特徴はジストニアに関係ないのか上記ホームページでは触れていません。
眼瞼けいれんにも関係ないのかもしれません。余計な事で書かなくても良かったかも知れません。自分では何となく気になっています。

2、気になっている病歴
忘れていて医師の先生方にお話ししていなかったことですが。
(1)突発性難聴
初めは弱い耳鳴りでしたが、数時間のうちにうるさい甲高い音になりました。
その続く音で気持ちが悪くなり、頭がフラフラして立ち上がることが出来なくなりました。
そして激しいおう吐がでて、寝返りもトイレも行けない程でした。這いずりながらトイレに行けば後は暫くおう吐の連続です、胃が空っぽになっても続きました。
担当科は耳鼻咽喉科で診断がおりました。
症状はご婦人に多いメニエル氏病と酷似しています。ただ再発がありません。
通勤始めてからも半月位フラフラが続きました。右へ顔を向けるとそのまま右に回り続け倒れそうになります。左ならの左側です。片側にごく軽い難聴が残っています。
先生は原因をストレスと判断して、薬を使わず運動をすすめました。それ以来私は、ジョギングとゴルフをするようになりました。この先生の指導は非常に適切なものでした。
最近軽いフラフラを感じることが多いのですが、そのときの事を思い出してしまいます。

(2)追突事故を受ける
前を走るタクシーが止まったので、私が停車したところへ鉄骨を満載したトラックが追突しました。車はへの字に曲がりましたが、私は3日間休み、1週間首輪をつけただけで済みました。
後頭部をヘッドレッストにドカンとぶつけられ、暫く呆然としていた位ですから後遺症が気になるところです。


3,病気を意識する前
周囲の方から聞きますと、50歳中ごろから前兆があったようです。
自分ではあまり意識していなかったのですが、時期的には定年退職の時期にかかる頃のことになります。

症状の一つとしては、瞬きがパチクリと少し多いことです。丁度高姿勢な知事さんをテレビでご覧になっているでしょう。社員の中にも先輩達に同じ症状の方がおりました。

もう一つの症状は、休息しているとき等に両目を閉じて、右眼(眼瞼けいれんが始まった方の眼)を手の平で庇うようにそっと押さえていたそうです。

ただ、この症状は退職して勤め先が変わってから消えていたようです。

他人の観察で記録していたわけではありません、また何時もそばに居たわけではなくゴルフ友達です。
あまり、正確ではないと思いますが見逃しておく情報ではないと思います。

4、病歴年表
年(H),月,年齢
症状、治療など・・・・の書き方で表します。

1996(H8)、ー、56
この前後に瞬きが多かった。勤務先が変わって治ってしまった。

1999(H11)、5、58
健康診断で眼に異常なし。体調不良が要観察項目が多数。

2000(H12)、3、59
朝起きた時に眼がショボショボして、洗顔時に瞼が力なく下がっていました。

2000(H12)、3、59
風邪をひいたとき、内科のA先生から、先ず眼科へ行き、診断がつかなかったら神経内科へ行くよう指導された。

2000(H12)、3、59
近所のB眼科でアレルギーと診断される。2週間治療して効かないので、相談して神経内科へ行くことにする。

2000(H12)、3、59
総合病院神経内科C先生に行く。ランドセン錠を続けたが効果なし。先生はあきらめる。

2000(H12)、6、59  
健康診断で疲労が激しく尿潜血があると指摘された。

2000(H12)、8、60
紹介を受けて眼科D先生に行く。ドライアイと診断される。身体が微動して眼に疲労がでてい る。処方はコンドロンおよびフサコール。休息を十分とること。角膜に傷がつき始めて処方はコンドロンとヒアレイン0.1となった。

2000(H12)、11、60
高校のクラス会で、私の疲労が酷いと噂になった。

2000(H12)、12、60
他の総合病院眼科E先生を紹介される。
年齢相応のドライアイである。瞼の下がるのは左右の視力の違いによるもので、コンタクトレンズを使えばすぐに治るとのこと。
処方はビタミンA点眼液でした。ドラアイにつては少し効果があった。コンタクトレンズで治るとは思えずそのままドライアイのみの治療を続けた。

2001(H13)、5、60
テレビ報道をきっかけで眼科専門病院F先生に行き、眼瞼けいれんと診断を受けた。
ボトックス注射を2回受けたが、全く効果がなかった。
神経内科C先生に眼瞼けいれんの診断とボトックス注射の効果について相談した結果、この注射を止めることにした。
一方、近所の眼科医G先生に事情を説明してドラアイの治療のみを受けることにした。
処方はフルメトロン0.1%1日4回、タビリッド点眼液0.3%1日4回、ヒアレインミニ0.3%1日6回でした。

2001年(H13)、6、61
ドライアイが酷いのでシェングレン症候群の検査を近くのH先生で行う。
血液検査の結果は異常なし。ただ、この検査だけで100%とは言えないとの事でした。
しかし、御相談した結果シェングレンになっているようには思えず、ここまでで止めました。
 
ボトックス注射の効果が無いと分かって、どうしたら良いのか分からなくなりました。
随分昔のことですが、女流作家が腰痛で苦しんだ話をラジオで聞いた事を思い出しました。
彼女は原稿を書き始めると激しい腰痛に見舞われたそうです。精神科医から徹底的に仕事から離れて休息をすすめられ、どの位の期間かは忘れましたが年単位の休養をした結果治ったとのことです。

当時私も体調不良と疲労が酷かったので、休息を良くとりラジオ体操、腰痛防止体操と歩くことで健康を取り戻すことで治そうと決心しました。
何故か分かりませんが、職場では私は気楽に楽しくやっているように見えたようです。
本当に不本意ですが、その位この病気は周囲の人には分からないものなのです。


2001年(H13)、12、61
大晦日に千葉県の鹿野山へドライブに行き3回事故を起こしました。幸い対物自損事故でした。私や家族に怪我もなく助かりました。
1回目はバックで電柱にドカン、バンパーが凹みました。
2回目は私道がチェーンで閉鎖されいるなかに突っ込んでしまいました。奇跡的にチェーンはフェンダーから上に跳ね上がり、窓ガラスの上から屋根を通り抜けました。チェーンが車体に引っ掛かったら、車体は飛び上がって大惨事になったでしょう。
3回目は左折するとき、前輪が側溝に落ちた後何かに車体が乗り上げてしまいました。困った事に、前輪が宙に浮いてしまい脱出不可能になりました。通りがかりの方の協力で助かりました。

2002年(H14)、7、62
眼科F先生との御相談があって、7月から漢方ツムラ麦門冬湯エキス顆粒を服用することになった。体質を変えて涙が出やすくする狙いでした。

2002年(H14)、9、62
友人から眼の鍼灸師I先生の紹介を受けて通うことになりました。
I先生は西洋医学の薬は効果を減殺するので使わないようにといわれました。
一方眼科のG先生は、気持ちが良ければ鍼灸師いいですよとのことでした。ただ、治療効果を認めているのではなく、文字通り気持ち良いだけの一時の効果を認めているだけでした。
優柔不断の私は、迷いながら薬を少なめに使い続けました。

東洋医学は自然の治癒力を活かすので、即効性はないがジワジワと体質を変えて効果が出る。一方、因果関係がはっきりしないので、どこまで期待できるのか不安もありました。
眼の悪い友人は、この先生に20数年も通い続けており、絶大な信頼を持っていました。
これが鍼灸師に通い続けた大きな要因でした。ボトックスの効果がないのでは、東洋医学に頼るしかないと考えざるを得なかったのです。

後になってみれば、私の判断ミスであったと思っています。G先生の処方通り、十分な量の薬を使えば、少なくともドライアイの症状による痛みだけは酷くならずに済んだと思います。

2002年(H14)、9、62
健康診断で尿潜血と慢性胃炎を指摘されて再検査になる。
眼について申告したが無視されました。

2002年(H14)、11、62
再健康診断で肝臓、胆嚢、膵臓、腎臓、脾臓に明らかな異常と認められました。

2002(H14)〜2003(H15)秋から春にかけての頃
(1)全般に体力が落ちて、疲労が重なり症状は酷くなりました。
きつく瞼は閉じようとする。
ショボショボする。
眼から頭の中を通り抜けて、後頭部にかけて痛みが続く。
事務所内でも眩しい。目ヤニが出る。
首から肩にかけて痛い位の懲りが続く。
眼の奥に異様なシンドさ、得体のしれない不快感があり気持ちが滅入る。私はこれを眼が凝ると言っております。
記憶力、判断力がおちる。
間違いが多くなり、やり直すことが多くなる。

(2)トラブルの発生
大小いろいろなトラブルの実例を紹介しましょう。
年末に工場内で新車を運転してぶつけ、ドアを壊した。幸い人身事故は無かったが修理代20万円かかりました。

帰宅時のバスで、終点を知らず寝ていました。一回は運転手さんが気付いて起こしてくれました。2回目はお隣に停まっていたバスの運転手さんが気付いて起こしてくれました。
気付かずいれば、夜の車庫まで行くところでした。

ホームで電車待ちのときです。ふと気付くと周りの人が居なくなって、電車が出発してしまいました。この様な事を数回経験しています。

下痢が多くなっていたので、2時間15分の通勤に支障を来たしました。しかたが無く、下痢止めの薬を飲用しました。これは口や喉も渇きますが、眼も渇きます。ドライアイにはきつぃので勤務先につくと、緑茶やジュースを飲んで元にもどそうとしました。まあ、出鱈目なことをして凌いでいたわけです。

2003年(H15)、3、62
退職。


この頃は健康になって、この病気を半年で治そうと本気で考えていました。
気象予報士の資格を取ろう、ゴルフを上手くなろう、図書館通いをしよう、自分の気に入った独自の庭を作ろう、旅行も行こうと夢は多かったのです。

健康のために、毎日2回、3回と1万歩の歩数など制限なく徹底的に歩き回っていました。
ゴルフも練習場へ週2回徒歩で通い、コ−スには月3回位出かけていました。
ゴルフ場は天気が良ければ、明るくて眩しい。夕日が眼に入ると眼を開けていられない。パットをするときは緊張感が高まって、眼が痛い、ショボショボする、結局眼が開けていられない。それでも我慢してやり続けました。いつかその内治ると言い聞かせながらやっていました。
濃いサングラスでも、なんにもなりません。

退職後気象予報士の通信教育を2カ月で断念しました。眼がギュウギュウ閉じてしまい、本を読むのは1、2行が限度でした。指で瞼を引っ張り上げても、放せば一瞬で戻ってしまいます。無理に押さえていると、眼が苦しくてむしり取って捨てたい位でした。

散歩から帰ってくると、眼は真っ赤に充血してしまいます。氷嚢を眼に当て息を潜め、楽になるのを待ちました。それでも、散歩を止めて家にこもったら治らなくなるだろうと思って続けました。

2003年(H15)、7、63
健康診断。前年に比べ随分良くなりました。糖尿、尿潜血、食道炎、心電図など要観察がある程度一安心でした。歩くのは効果があったようです。
糖尿は万病の元と言われるので、専門のK先生にチェックしていただきました。
ヘモグロビンA1Cは5.1<5.5、4時間空腹時の血糖値106<109で異常なし
眼の方は一向に良くなりません。

2003年(H15)、7、63
友人の紹介で眼科J先生を尋ねました。ボトックス注射が効かなかったことで、何か別の治療法がないか、別な診断が出ないかを期待しました。
結果は
涙点プラグを薦めていただき、総合病院の眼科L先生に紹介状をいただきました。
ドライアイが酷いので、シェングレン症候群の疑いを徹底的に調べること。
診療内科で神経をリラックスさせるデパスとセルシンを相談して貰うこと。
鍼灸師については、気持ちが良ければ続ければ良いとのことでした。

2003年(H15)、7、63
内科H先生から紹介状をいただき、総合病院の膠原病リューマチ科N先生を尋ねました。
問診、観察ではシェングレン症候群ではなさそうとのこと。
シェングレン症候群なら身体が痛くて、大変ですとのことでした。

念のため検査を受けました。
サクソンテストで唾液量のチェックをしましたが、2分間で2.5g<3gはやや少ないとのこでした。翌年3月のテストでも2.71gでした。
通常6〜10gあるので、少ないがシェングレン症候群なら2g以下とのことです。
脱脂綿を2分間噛み続けて、その重さを測るのですが唾液量の少ない私に苦しいテストでした。正常な人は、脱脂綿は唾液でべちゃべちゃになるのですが、私は辛うじて湿った程度です。
RI検査(ラジオアイソトオープ)で唾液腺を調べたが異常なし。
以上でシェングレン症候群の疑いはなくなりました。

’2003年(H15)、7、63
総合病院神経内科C先生に再度診て頂くことにした。
脳内血管写真を見て、異常はなし。
前回はボトックス治療を信用していなかったが、今回は逆にボトックスをすすめられました。

’2003年(H15)、7、63
眼科J先生の紹介状をもって総合病院の眼科L先生の所へ行きました。
診察の結果涙1mm/5分が少ないことと涙の質が非常に悪いと言われました。
涙点プラグは汚れた涙を溜めておくことになる、またプラグを挿入しても外れてしまうことがある。私が希望するならやりますよとのことでした。
いつも通うG先生も同じ見解ですし、涙点プラグも出来るが必要なしと思っておりました。
そんな訳で、ご紹介頂いた眼科J先生のご指導には従いませんでした。

L先生はシェングレン症候群の患者に使う、涙の出る飲み薬を処方していただきました。
エボザックカプセル30mgを1日3回です。
効能は口腔乾燥症状の改善。細胞内情報伝達系に作用し、唾液分泌を促進させるものです。

この結果、ドライアイはやや軽減されて眼科G先生の経過報告して、治療に戻りました。
このときG先生からボトックスが良いですよと薦められました。

ただ、2回連続して効かなかった印象が強かった事とボトックスが効かない人もいることを聞いていました。
また、世の中には新薬で問題が起きることも多く、これ以上更に体調を悪くして家族に負担をかける訳には行かないと言う気持ちがありました。
ボトックスはまだ慎重に見極め、我慢することにしました。
退職しているし、命に別条なければ急ぐ事はないと思っておりました。

2003年(H15)、12、63
総合病院の神経内科C先生からM先生に引き継ぎました。
処方はセルシン錠2mg、朝夕1回/日であった。
穏やかに効く薬で、直ぐには効かないから飲み続けるようにいわれました。
一方、眼科G先生からは眼瞼けいれんの原因になるから、気をつけるようにいわれました。
しかし、セルシンは暫く続けて様子を見ることにしました。

以後ボトックス治療を始めるまで(その2)へ続けます

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