ブログをご覧の皆様へ [2011年03月31日(Thu)]
![]() はじめまして。 当ブログ、『爆心地から 〜 がんばろう石巻』を主に更新している、石巻スポーツ振興サポートセンターアシスタントクラブマネジャーのGと申します。 まずは、今回の大震災に被災された方に、お見舞い、お悔やみを申し上げるとともに、ご支援ご助力いただいている全国のたくさんの皆様に、心から、厚く御礼申し上げます。 3月21日、私の自宅の光回線がなんとか復旧いたしました。法人のホームページは、サーバーが津波で流されてしまい、未だ復旧の途中なのですが、少しでも被災地・石巻の現状を知っていただきたく、本ブログにて状況をご報告していきたいと思います。 合併前の旧市内は、津波の直撃を受けた地区はともかく、電気・水道の復旧がかなり進み、 復興へと動き出しております。 おかげさまで、自衛隊、全国の消防・警察などに駆け付けていただき、物資運搬、遺体引き揚げ、などに奔走してもらっている姿を毎日見ます。 また、支援物資についてもありがたいことにたくさんいただきました。 おかげで、旧市内の避難所では、食料、衣類、毛布については余り始めている状況です。 一方、商店街や住宅は壊滅的で、皆さん町の明かりを消さないよう、連日必死で、ヘドロをはき出し、瓦礫を撤去しようとしております。 もし当地を支援しようと考えてらっしゃるご奇特な方がこのブログをみておられたら、現在旧市内地域では、食料よりも、スコップ、長靴、ゴム手袋、作業着、ごみ袋、ブルーシートといった作業道具を切実に必要としております。 一方、北上、牡鹿、雄勝などといった半島・沿岸部では、過疎集落が点在していることもあり、未だに食料、飲料水、衣類といった、生きるのに最低限必要な物資が十分いきわたっているとは言えません。 このような集落では、電気の復旧ですら一年以上先と言われており、生き残った皆さんは、地域の消滅を本気で心配しております。 皆さんが最も不安なのは、「国や企業は、石巻でいえば旧市内部などばかりを注目し、自分たちは忘れ去られるのではないか」、ということ。 ここ数日、首都圏の報道では、放射能を多く取り上げる一方、津波被害に裂く割合が減ってきているそうですが、どうかどうか、未だゴールの光が全く見えない、大津波被害地にも関心を持ち続けていただけるよう、お願いいたします。 当地の様子については、分かる限りお答えしますので、ご質問などある方は、コメント欄かメール info@i-support.or.jp にてお知らせください。 最後に、当法人理事長は、自宅が流され、現在も避難所で寝起きしており、避難所のリーダーとして日々奮闘してながら、ふるさと石巻の復興に積極的に動いていることをご報告申し上げます。 |