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爆心地から17 〜生きていてくれ [2011年03月27日(Sun)]
2011.3.15 

宮城県石巻市 中里〜河北、北上



=写真無し=




前の日、ラジオを聞いたのち、石巻高校避難所へ戻り、理事長たちにこれから自分のとる行動を知らせ、その日のうちにまた水の中を通って自宅へ。

二階の濡れていないベッドで早くから睡眠を取り翌日に備える。



この日は、ある人の安否を何としても確認しに行くつもりだ。

その人は、石巻の街中で働いているのだが、職場を訪ねたところ、大津波の日は休みだったという。

とすれば、追波湾が間近の北上吉浜の自宅周辺にいた可能性が高く、ラジオなどから得られる少ない情報からは、正直生存は厳しいかなと覚悟もしていた。



天王橋を通って北上まで約30kmの道のりを行くのに、自転車があるとありがたいが、我が家のものは一台は無くなっており、もう一台はパンク。修理キットも探したが見つからない。


無理を承知で、近所の家々に自転車を貸してくれるよう頼んで回るが、どの方も、貸してあげたいのだが、自動車がダメになっているこの状況で、みなさん自分の親族を探しに行くのに必要で貸せないという。当然だ。


あきらめて徒歩で行こうと準備していたところ、玄関の外から呼びかける声が。

なんと、事情を聴いた近所に住むというイギリス人ALTが、自分の自転車をつかってくれという。

しかも、少しパンクしており、空気を入れながらの走行が必要なものの、本格的なマウンテンバイクで、軽く10万円以上はしそうなものだ。


ほとんど知らない自分に、それを貸してくれるということに、涙が出るほど感謝しながら甘えさせていただく。





見つかるまで何日間か、避難所に寄宿なり野宿なりする覚悟で、それなりの用意を空気入れとともに大型ザックに詰め出発した。


マウンテンバイクは、1kmおきにポンピングを必要とするものの、力強く走り、とても頼りになる。

各所に地震の爪痕が生々しく残る景色を眺めながら、落ちたという誤報のあった天王橋を渡り、道の駅「上品の郷」へ到着した。

道の駅では、残っていた食料などを店の外で販売しており、また、市内に電気が全く通らない中、ソーラーパネルで、トイレが煌煌と輝いている様が印象的であった。


従業員の方に近くの避難所がどこか聞き、まずは河北総合センタービッグバンへ向かう。避難者名簿や書き込みで埋め尽くされた掲示板を探すが見つからない。

あきらめて、河北に住むその人の伯父方へ行ってみる。



家を訪ね、でてきた従兄という方に自己紹介し、事情を話す。

すると、なんと、その人は無事で、現在この家に避難しており、間もなく帰宅予定だというではないか。

よかった。本当によかった。




離れで待たせていただき、実際間もなく帰ってきたその人と、互いの生存を喜び合った。

聞けば家は津波にやられたものの、両親も無事で、北上のデイサービスセンターに避難しており、食品販売をしている伯父さんが、冷凍庫にあった物資をそこに届けるというので一緒について行った。







デイサービスセンターの帰り道、北上吉浜の様子も見たが、門脇町南浜と同じく、無残な有様であった。


集落すべて流され、そこかしこに、発見された遺体がブルーシートにくるまれたまま横たえられている。



かつて家だったモノの下でうずくまる中年が二人いた。

聞くと、その方の孫が発見され、自衛隊によって泥の中から掘り起こされるのを待っているのだという。

母親はまだ見つかってもいないらしい。
Posted by 石巻スポサポ at 21:59 | 爆心地から | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
爆心地から16 〜我が家二度目 [2011年03月27日(Sun)]
2011.3.14 

宮城県石巻市 石巻高校〜中里


=写真無し=






避難所での二泊目は、やはり非常に狭いスペースに物音が絶えず、ほとんど眠れなかった。



体の不自由なお年寄りも何人かおり、そのような方が夜中用を足すときには、体力のある我々が懐中電灯で照らしながら、トイレまで連れて行った。






情報は相変わらず欠乏しているが、地元ミニFM局「ラジオ石巻」が、ガソリンによる発電機の動力で日和山に特設スタジオを設け放送を始めた。

その情報源も口コミが頼りで、合併前の旧郡部の情報はほとんど入らない。

市役所発の情報でさえ、虚実入り混じっている。






14日、ようやく市役所から職員が一名訪れたが、残念ながら、あまりに頼りなく、当法人理事長が、持ち前のバイタリティで自然とリーダー役を担っていた。

手前味噌だが、彼のおかげで、無秩序状態の甚だしさを耳にする他の避難所に比べて、石巻高校武道場は、当初から体系だった秩序が生まれたと思う。





配給などは無いに等しい状態で、この日自衛隊がバナナをもってきてくれたが、全員に一本ずつ配る際、全員にいき渡らない場合半分こにしなければならないので、「配られてもOKがでるまでは食べないでください」とアナウンスしなければならないありさまだった。







バナナを食べたのち、再び自宅をめざした。


この日は、逆回りのルートを進んでみたところ、前日よりも水に入ることが少なくて済んだ。


散乱した家具やガラスの破片をなんとか少しでもかたずけ、休憩にラジオを聞きながら部屋に残っていたお菓子を食べていたところ、ラジオが言った。


「落下したという情報が流れていた天王橋は落下しておらず、通行可能な模様」





これで探しに行くことができる。








Posted by 石巻スポサポ at 18:16 | 爆心地から | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
爆心地から15 〜我が家 [2011年03月27日(Sun)]
2011.3.13 11:04

宮城県石巻市 中里









水をかきわけて、我が家に入ってみると、一階部分に汚水が上がったものの、すでに屋内からは引いていた。

もちろん絨毯を踏めばジュワーと汚水があふれしみだし、畳は膨張して外れている。




また、水害もさることながら、震度7の揺れによる被害も酷かった。


棚、箪笥、引き出し、プラズマテレビ、ありとあらゆるものが倒れ、ガラスや収納されていたものが散乱している。


電化製品は、床に落ちた際に水に浸かったらしく、すべて使えなくなっていた。






















先月脳梗塞で急逝し、納骨も済んでいないおばの仏壇もこの有様。





亡くなった時は嘆き悲しんだが、この惨状を見ずに逝った彼女は幸せだったのかもしれない。



導線上に倒れた物を起こし、最低限ガラスの破片を片付け、ため息にしかならない一息をつく。


何から手をつけていいのか見当もつかず、暗くなる前に、再び冷たい水に浸かりながら避難所へと戻った。






それでも我が家は恵まれている。

家が完全に消えた人が数え切れないほどいるのだ。
Posted by 石巻スポサポ at 10:26 | 爆心地から | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
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