爆心地から53 〜市役所 [2011年04月12日(Tue)]
2011.4.7
宮城県石巻市 穀町 石巻市役所 朝、ちょっとした用事があり、デパートの建物を再利用したことで知られる石巻市役所を訪れた。 平常時の業務とはほど遠く、雰囲気は野戦病院のそれに似ている。 それでも市役所としての機能をだいぶ取りもどしており、住民票取得や、各種相談のために、多くの市民が列をなしていた。 普段は見られない異様な張り紙も、もはや日常。 市全体が地盤沈下しており、沿岸部は毎日必ず冠水するため、満潮時刻も必須の情報だ。 また、この日、我が家にいる理事長の三女に役所から電話があった。 遺体捜索をしたいから、西光寺近くで発見された自宅二階部分の破壊を認めてほしいのだという。 まだまだ遺体捜索すら終わっていない段階なのだと再認識する。 北上町の方では、木々に引っ掛かっているのを探すべく、海岸集落から、その裏の山に捜索ポイントを移したらしい。 破壊される前に、理事長が次女、三女とともに自宅二階ーであったものーを見に行った。 思い出の品を少しでも回収するのだろう。 ストレスが頂点に達していたのだろう。その回収作業の場で、次女と三女が喧嘩をした。 夕方、石巻高校から日本製紙の方へ坂を下りたところにあるセブンイレブンに通りかかると、明かりをつけて営業していた。 避難所最初の朝、開かない店に行列ができる姿を見ていた者としては感慨深い。 雑誌などは全くないものの、それなりの品ぞろえで、公共料金などのコンビニ払いも受け付けていた。 夜、23:32 この時点で最大の余震。震度6強。 浅い眠りから起こされ、悪夢が蘇る。 直後に停電。 懐中電灯などの場所は把握しているので、落ち着いて家中を点検。 この時点で水は出ていたが、断水を予測し、風呂桶、衣装ケースを始め、あらゆる容器に水をためる。 |