爆心地から21 〜援軍到着 [2011年03月29日(Tue)]
2011.3.17
宮城県石巻市 中里 電気、水道、ガス、固定電話、携帯電話、すべて不通。 訪ね人の生存が確認され、ほっと油断したのか風邪気味である。 朝を迎えても、なにから手をつけていいのかわからない。 それでもなんとか体を動かして作業しているところに、玄関から呼びかける懐かしい声が。 仙台・泉の妹のところにいた母の顔があった。 臨月の妹は仙台で待機しているが、その旦那も応援に来てくれた。 疲れきっている自分に比べて、彼らは元気が漲り、この上なく頼もしい。 特に、この義理の弟は、アウトドア経験が豊富で、なんでも手作りすることを得意とし、仙台だって流通がストップしているだろうに、考えられる支援物資をすべて持ってきてくれた。 米、食料、ちり紙、ゴム手袋、紙皿紙コップ割り箸、ラップ、ポリタンクに甥のビニールプール。 勤務先の会長からは、プロパンや自転車ゴム長靴を借りてきてくれ、キャンプ等のガスランタンなども持ってきた。 水に至っては、ペットボトルから衣装ケースまで、泉の家のありとあらゆる容器に詰めてきて、飲料水としてだけなら3カ月はもつのではないかという量だ。 物資だけではなく、働きも素晴らしく、重い家具の除去などが一気に進む。 さらに、洗い物などに水はいくつあってもいいといって、その日降ったドカ雪を風呂桶にため、タライやバケツ、甥のビニールプールなどを庭に置いて集める。 ![]() 頭が下がるばかりである。 ふと庭の外を見てみれば、他県から来た救急チームが、各戸の安否確認をして回っていた。 ![]() 世界が止まったかのような錯覚に陥っていたが、そんなことはない。しっかり動いているのだ。 自分も、立ち止っている場合ではない。 前へ進もう。 |