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翠風だより 第一号(1984年3月創刊)より
   
巻頭言 御垂示
「無端迎得大雄春」
余語翠巌

無端迎得大雄春
仰見最乗山骨新
雲出岫合風自静
結眉携手共遊真

端無くも迎え得たり大雄の春
仰ぎ見る最乗の山骨新なるを
雲岫を出で風自ら静なり
眉を結び手を携え共に真に遊ばん

端無くも迎え得たり大雄の春
どういう御縁か、思いがけず、山主の御役をうけて大雄山で新春を迎え得て感懐つきぬものを覚える。

仰ぎ見る最乗の山骨新なるを
最乗寺の山のすがた、大木立のたたずまい、何百年の時の流れを重くそこに見ることであるが、今晨戌午の光をうけて、新らしきすがたに輝いている。

雲岫を出で風白ら静なり
山肌から白雲が去来し、老杉亭々として、風常に幽なる景致、所謂俗塵を絶した境致、霊気満ち満ちたるたたずまい、孤高の境涯、それはそれで立派であり尊いことである。

眉を結び手を携えて共に真に遊ばん
この道場は大衆信仰の道了尊の御加護による寺である。お互に無限の苦しみを共に苦しみ、無限の喜びを共に喜ぶ所である。その苦楽はそれぞれに人間であることに由来するものである。今の苦が無くなれば、それでおしまいというようなものではない。お互に眉を結びあうほど仲よくし、手をとって共々に真実の世界の中で遊化したいと念ずる元朝の思いである。

(昭和53年〔1978〕1月)
忘れ得ぬ言葉 [2014年10月16日(Thu)]
冬になって寒い季節になってくるといつも思い出す言葉は、自分が坐禅を始めて間もない頃のことですが、自分は背を真っ直ぐに伸ばして坐っているつもりでしたが、坐禅中に警策を持って廻っている雲水さんが来て、背が曲がっていると背を直してもらったことがありました。

  それから、坐禅中集中力などなかったりすると、自然に背中が丸くなっていることに気付き、あわてて顎を引いて頭を天井を突く様な気持ちで背を伸ばすことが度々あります。

  或いは、町など出て歩いているときなど、店のウインドグラスが鏡みたいになり、自分の姿が映り、背を丸めている自分がそこに映っていて、あわてて背を伸ばす今日このごろです。

http://suifuko.jp/ 翠風講だより「赤とんぼ」もご覧下さい
日々断片 [2014年10月11日(Sat)]
年に数回提唱で語られる故余語御前様のことばは何回聞いても新鮮で、失礼な言い方かも知れませんが、古典落語を聞いている様な楽しみが有りました。たとえば『ボイジャー2号が地球に戻ってくるころには国境は無くなっているでしょう』という話は悠久の天地を語っていて妙です。
  
ここでこの言葉がでるなと思った矢先にその言葉が語られると我が意を得たりとひとり悦にいったものです。『如是我聞』我かくの如く聞けりでそれぞれの聞き取りかたを次号以降誰かが書いてくれることを期待しながら紙面の許す限り『私の心に響いたことば』の数々をならべました

『けらと云うものに生まれ泳ぎおり』『雲水運搬柴是神通・他心通』『壺中の天』『無の眼耳鼻舌身意有』『百草頭上無辺の春』『晋化和尚の明頭来・暗頭来』『やよだるまちいとこちら向け世の中は月雪花に酒に三味線』『春は花夏ほととぎす秋は月冬雪さえて涼しかりけり』この書は数年前瑞光寺さんにお邪魔した時に客間の床にかかっておりました

『死を迎える心の準備』永平寺貫首熊沢泰然禅師と鈴木大拙氏の死の様子を取り上げたものでご両人共に九十六歳で他界されたのですがその時の様子を朝日新聞の天声人語氏は『それぞれの死に方だ』とすることについて語られている、このことは考えさせられるものが有ります。詳しくは『翠風だより17号余語翠巌老師追悼集赤とんぼ』1999.3.31発行の故余語翠巌老師御遺稿『凡て天地法界の綾模様』をご覧下さい

『謹賀年窮歳尽』昔は歳の暮れに親しい友人にこの様な葉書を書いて出したそうです。今年は故余語御前様の七回忌、今迄知られていなかった御前様の一面が見えて来て、益々みじかに感じられる昨今です。以上の様なことを思いながら元旦の朝が明けて来た様です。
      
平成14年元旦 暁天座禅後

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伝え続けてゆくこと  [2014年10月10日(Fri)]
  群馬県渋川市近郊に在る最大山雙林寺は、子持山のゆったりとした山ふところに包まれた堂々とした古刹でした。山主様の御自坊である。今から半世紀も前に開創、現在まで五十一代の御住職によって法灯は守られ続けている。お寺で頂戴したお土産の中に「相田みつをポストカード」(曹洞宗発行)があった。
  相田さんに初めてお会いしたのは二十年前、足利市内にある曹洞宗高福寺の「正法眼蔵」の会だった。友人の言う「ステキな和尚さん」にお会いしたいと言う理由だけで山門をくぐったので、眼蔵の提唱は全くわからなかったが御講義の後のお茶の席は楽しかった。相田さんは、その席で御住職の武井哲応老師に、その日の提唱についていろいろと質問された。御老師は身近なことを例にとって説明して下さった。相田さんは、ご老師の聞き書きをご自身で発行していた「円融だより」に紹介され、その文章をさらに誰にも解かる短い言葉に直し、書の作品にされ個展を開き、本を出版された。その言葉は読む人々の心にしみわたり、うるおし、日本中に広がっていった。
  武井御老師が昭和六十二年に遷化され、相田さんはその四年後に他界された。持病の肝臓病をおして全国を歩かれ、武井御老師から伝えられた禅宗の教えを説いて歩かれた。相田さんが亡くなられた時、私たちは「和尚さんに呼ばれたのよ、そのくらいで、もう充分だから、こっちへこいって呼ばれたのね」と話し合った。それほど相田さんには必死のところがあった。
 目に見える建築物や目には見えない智慧や思想、どちらにしても伝え続けてゆくことは大切な事だが、容易なことではないなあと、つくづくと感じさせられたこの度の翠風旅行でした。

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生甲斐を求めて 平井満夫 [2014年10月02日(Thu)]
先日NHKのテレビで、定年を迎えた男達が、生甲斐を求めて近所の集まりに参加して、いろいろな活動を始める様子を見た。ボランティャをやる人、趣味に生き様とする人など様々である。仕事に生甲斐を感じて生きてきた男が、定年で仕事がなくなると、ふぬけの様になってしまうものなのであろうかと考えさせられてしまう。

そうかと思うと、これもテレビで、アフリカのとある農村で、内戦で両親を失い天涯孤独になってしまった六つか七つ位の少女の生活を見た。灼熱の太陽の下、テント小屋の様な粗末な家でただ一人。自分で食事を作り、村はずれの井戸まで水を石油の空き缶に汲みに行き、頭に乗せて帰ってくる。文字通り運水搬柴のぎりぎりの生活である。救援の国連職員が「頑張ってね。」と声をかけても、眼はうつろで全く無表情。生甲斐などとはおよそ無縁に必死で生きて行く姿である。

「生甲斐のある人は結構。しかし、生甲斐が無ければ人生は無いかというと、そんなことは無い。生甲斐は無くとも人生は有る。もともと生甲斐の有る人生に生まれるつもりで生まれた訳では無いでしょう。おぎゃあと生まれて来て、気が付いたら生きていた訳でしょう。」余語老師のこんなお言葉を思い出した。

そういうお前はどうなんだと問われれば、正直のところ、生甲斐を感じる時もあり、そうでもない時もありで、求めてはいるのだが、日々「食うて、寝て、出して」、右往左往してうごめいているのみである。ただ、この天地に今日この様に生かされている自分という存在の摩訶不思議さに、感謝の念を忘れない様に心がけてはいる。これはひとえに大雄山に参禅させて頂いた御利益と信じている。

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五十五歳最後の夏に思うこと [2014年09月29日(Mon)]
    居合を始めて早や二十三年、平成十年に二十年目でやっと居合の何たるかが分かった。今、精神的にすごく充実した日々を送っている。昔はいろいろな有名な寺に行った。行けば何かが得られるなと思っていたからだ。平成二年、禅の拠点となる青らん寺に落着き林誠道師にいろいろな事を教わった。 清らん寺に導いて下さったのは中田先生である。又土佐英信流(居合)との出合もそうである。中田先生には感謝している。つくづくと縁というものを
感じる。紆余曲折、いろいろなことがあったが、かようになるべくしてなったような気がしてならない。               
  
二十三年前司法試験をあきらめ、この道に入った。今でも鮮明に覚えている。「金も名誉も地位も女もいらない。剣の道を突き詰めてみよう」と決意したことを。但し親は大反対だった。貧乏の中、大学へ行かさせてくれた両親の事を思うと心が痛んだが、自分の人生なのだ、親の人生ではない、と振り切った。

  振り返ってみると、道場と自宅と会社との往復で過してきたような二十三年間だった。唯一つ事を貫いて、夢中で過してきた年月であったが、今、遅ればせながらやっと芽が出た。人生というものは自分の求める方向になるようになっていくものだと思える。それには己の信念に基づいた求めの徹底さが必要ではあるが。会社選びも自分の時間がたっぷり取れる今の会社を選んだ。反面、当然ながら給料は安かった。割り切りが必要である。

  居合が「動禅」、坐禅が「静禅」とすれば、動禅の方から得られたものが多いようだ。一途に稽古に打ち込んでいると、ふっと頭に浮かんでくるものがある。それが、私が前にトランスパーソナル「心理学」について少し書いたが、そこでいうところの個を超えた、自己を超えた向こうから発せられる「呼びかけ」である。我見で一杯だった頃にはかような事はなかった。我見を離れることによって、居合が、禅が、見え出してきた。

自己を超えた向こう側から発せられてくる「呼びかけ」にも応えられるようになってきた。禅では「我見をすてよ」とよく言われるけれども、やっとその真意を体得出来た。頭の中で分かったことは観念、あるいは概念世界のことであり、何の役にもたたない。思うに、永平寺にも、総持寺にも、真理や悟りはない。土佐直伝英信流の故郷である土佐にも居合の真理はない。あるのは唯我が心の中だということを体得した。

  結論は居合道も禅も同じ。いかにしたら「自我」を「我見」を滅却しうるかの一点に掛かっている。自我の滅却の彼方に禅の真実があり、土佐直伝英信流の真理がある。「我見」との格闘は続くが、私の次の段階である「気」と「空」を体得すべく精進していきたい。願わくば我が生ある内に得たいと思うが。只管打坐。只管初発刀。

(追補)トランスパーソナル心理学。フロイト、ユングを超えた第三の心理学といわれている。創始者アブラハム⒵マズロー、そしてその理論家、ケン⒵ウィルバー。日本では千葉大学の諸富祥彦助教授がいる。又、アーノルド⒵ミンデルのプロセス指向心理学がある。 トランスパーソナル心理学も、プロセス指向心理学も、殆ど私には般若心経の「空」を語っているように思える。逆に言えば、般若心経からこの心理学は生まれたのかも知れない。興味ある人は御一読を。

「トランスパーソナル心理学入門」講談社現代新書、諸富祥彦著

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白 毫       [2014年09月28日(Sun)]
  音波から電波へ、電波から光波へと、時間はかかったけれど(人類は)夢のような通信システムを実現してきたし、これからも限りなく科学的技術は進歩するであろうから、(霊界との)電波による通信システムが出来るのも全く夢とばかりは言えまい。それまでは待てないと、今すぐに天国の妻や夫に、あるいは幼くして逝ったわが子と交信したいのだという人は、手を合わせて妻や夫やわが子の名を呼べばいい。

 発光ダイオードを組み込んだ積層板を重ね合わせて光波を発生させると光ファイバー通信ができるということだが、両手を合わせて念仏を唱えると霊波が発生して佛や死者との交信が出来る。二千五百年も前から、お釈迦様はそう言っておられる。

  阿弥陀様や観音様の眉間にある「白毫」は、いわば光ファイバーである。合掌すれば一条の光を発して地獄の果てまでもメッセージを送ってくれるのである。合掌が発光ダイオードになる。

  現代の孤独は、身寄りがないからでなく、出来の良くない息子や娘が居るためにかえって地獄を見ている老人も少なくあるまい。天国の夫や妻に長距離電話が掛けられるような電波通信が開発されたら、この世の孤独地獄はずいぶん緩和されるだろう。

荒了寛師「娑婆をよむ」より

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伝え続けてゆくこと [2014年09月26日(Fri)]
群馬県渋川市近郊に在る最大山雙林寺は、子持山のゆったりとした山ふところに包まれた堂々とした古刹でした。山主様の御自坊である。今から半世紀も前に開創、現在まで51代の御住職によって法灯は守られ続けている。お寺で頂戴したお土産の中に「相田みつをポストカード」(曹洞宗発行)があった。

  相田さんに初めてお会いしたのは二十年前、足利市内にある曹洞宗高福寺の「正法眼蔵」の会だった。友人の言う「ステキな和尚さん」にお会いしたいと言う理由だけで山門をくぐったので、眼蔵の提唱は全くわからなかったが御講義の後のお茶の席は楽しかった。相田さんは、その席で御住職の武井哲応老師に、その日の提唱についていろいろと質問された。51老師は身近なことを例にとって説明して下さった。相田さんは、ご老師の聞き書きをご自身で発行していた「円融だより」に紹介され、その文章をさらに誰にも解かる短い言葉に直し、書の作品にされ個展を開き、本を出版された。その言葉は読む人々の心にしみわたり、うるおし、日本中に広がっていった。

  武井御老師が昭和六十二年に遷化され、相田さんはその四年後に他界された。持病の肝臓病をおして全国を歩かれ、武井御老師から伝えられた禅宗の教えを説いて歩かれた。相田さんが亡くなられた時、私たちは「和尚さんに呼ばれたのよ、そのくらいで、もう充分だから、こっちへこいって呼ばれたのね」と話し合った。それほど相田さんには必死のところがあった。

  目に見える建築物や目には見えない智慧や思想、どちらにしても伝え続けてゆくことは大切な事だが、容易なことではないなあと、つくづくと感じさせられたこの度の翠風旅行でした。

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禅の心は正に薬源 [2014年09月25日(Thu)]
中国古典の通義録に「草根木皮これ小薬、鍼灸これ中薬、飲食、衣服これ大薬、身を修め心を治めるはこれ薬源なり」とあります。
最近の医療は急速に進歩し、患者は専門という威信を信頼し、木を見て森を見ずの譬えの如く全体を見ぬうらみがあります。東洋医学の疾病感は、病を体全体の有機的な繋がりの一部としてとらえている。
局所の疾病を、常に全体のバランスの変調が原因と考え治療している。従って伝来的な要素が多く、充分な技術を身につけることが難しい。

最近の統計でも伺えるが、気の病、即ち精神作用による疾患が多くなってきた。肉体の変化をとらえ治療する西洋医学では、気の病を治療することは難しい。「病は気から」と申しますが、病める人の心と相通じる治療医になるためにも、現在までの過程の中で画かれている禅の心は正に薬源と考えます。

自らを振返ってみますと、西洋医学の恩恵に預かってきた。これのみでは疾病は直らないことを体験し、哲学的体験から小薬あるを知り、自分なりにこの限界を悟り中薬の効を求めることに意を注ぎました。小薬、中薬を併用するは専門家の致すとおろではないと指摘される人あるも、先人の中に病める人を考えれば行きつくところは決まると悟されていた。

「飲食、衣服これ大薬」、この句こそ今に生きる人々が大いに考える必要がある。衣食足りて礼節を知るだろうか、過ぎたるは及ばざるが如き現代社会になってきた。医療の乱脈ぶりが目に余る。大衆は、その不信のよって来るところを医療の周辺に求め、自然食、健康食品、ヨーガ、エアロビックス等に、健康を自ら管理する方向に走る。しかし、善悪の物差しを知らず。今日ほど大薬の乱れているときはない。
叢林(禅の修行道場)の生活の中に光明が求められるような気がしてならない。                     
(昭和59年 記)

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「佛性の転回」 武田 定子 [2014年09月19日(Fri)]
世間の親の多くは、一人前になった自分の倅や娘が、親の言うことを聞かずに逆らってばかりいる、と言っていることが多いようにみえるけれど、本当にそうだろうか。

端から客観的に見ていると、親にしっかり薫育されているように思えることが多い。感情的な親には、感情的な娘。頑固な親には、頑固な息子。見栄っ張りな親には、見栄っ張りな娘。欲張りな親には、欲張りな息子夫婦。薄情な親には、薄情な子ども。

どれもこれも如是、かくのごとし。一切の存在が向こうからその真相を見せて自己に気づかせて下さっているのだ。今、どんな境遇にいてもそれは佛性の転回の姿なんだから仕方がない。
親のようにはなりたくない、と精進して親を乗り越えようとする者も、それは、社会的、経済的な欲望上の理由であることが多く、歳を経ると、本性は親の複製になってしまっていることが多いように思える。生き様や理性で親以上にその精神性を高めている倅、娘の例の多くを私は知らない。

お前はどうなんだ、と問われれば、「目」は外向きにしか付いていないことから、それは、人の判断に任せる。 世間の人は、割合、的確に「評価」するものだと思うから。

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個を越えたつながり  [2014年09月17日(Wed)]
今社会は、不況とリストラ、中高年の自殺、少年犯罪の増加、学級崩壊、児童虐待、強盗、殺人、ストーカー殺人等、いろんな事がおきています。政治、経済を含めた社会全体が大きな転機にあります。旧体制が崩れ、新体制を作れないまま、のたうち廻っている状態のように思えます。こんな時代にあって、それでも生きていくことに意味と希望を見失わず、前向きに生きていくことができるだろうかと思ってしまう。

人間は最終的には一人だ。一人生まれ一人で死んで行く存在なのだ。人生における諸問題の解決も人間の心の問題なのです。自分の心の奥の奥に存する我が内なる自分自身との対峙が大事となる。トランスパーソナル心理学、プロセス指向心理学があります。

人生の幸不幸を決めるのは、その人の人生に起きた出来事それ自体ではない。幸不幸を決めるもの、それは人生で起きる様様な出来事をその人がどう受けとめるのか、その出来事からどんな「気づき」やメッセージを得て、何を学んでいくのか、それ次第である。実際「この人生で起こることはどんな事にも意味がある」。我々に何か大事なことを教えてくれている。この「気づき」と「学び」を得るならば、心の悩みもより豊に生きる為の好機へと転換することができる。
我々がなすべきことは、「私を越えた向こう」から我々の足下に常に既に送り届けられてきている意味と使命を発見し、実現していくこと、ただそれだけのことであり、そのことを我々は人生の方から問われ求められている。思い悩むことはない。

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