今回のミニレポートの内容はかなり衝撃的な結果で
社会福祉を教える教員として驚いています。
いつも福祉関係の人たちと仕事をし
福祉を学ぶ学生と関わることが多く
「福祉の知識」を伝えることが大事なことと
思いこんでいましたが、みなさんのレポートを
読んで目が覚めた感じがしました。
今回のミニレポートの課題はこちらでした。
高砂夫婦は子どもを受け入れることのいったい何に苦しんでいたのでしょうか。その苦しみは障がい福祉のことを知っていたら軽減されていたでしょうか。あなたの考えをレポートしてください。
予想では、軽減されるとされないが半々ぐらいで
それを紹介して次のミニレポートで振り返る
材料にしようと思っていましたが、
みなさんのからのレポートはほぼ全員が
「障がい福祉のことを知っても苦しみは軽減されない」
というものでした。
半々ぐらいに意見がわれると思っていた自分が
一般の感覚からかけ離れていたことに気づかされました。
最初の講義でも言いましたが
何かボクが一方的にみなさんに知識を伝えているだけでなく
こうやって学生のみなさんから「福祉について市民感覚」を
教えてもらえることは本当に大きいと思っています。
これからもみなさんのレポートの意見を
逆に福祉の学びや実践に生かしていこうと思います。
ということで、ほぼ全員が知識の獲得そのものは
個人の苦しみを救えないと答えたレポートを紹介します。
・自分たちが差別される苦しみを知っていたからこそ、我が子が差別されるかもしれないことに悩んだのだと思う。障がい児のことを知っていても差別を受けるかもしれないという苦しみは一緒だったと思う。
・福祉のことを知っていても、まわりからどう思われるかということは精神的な部分が大きいので、特に軽減されないと思う。
・子どもだけでなくすべての人間そのものに「完全」や「不完全」はないのだと思うので、福祉があっても結局苦しみは軽減されないと思う。
・そもそも個人の問題でなく、社会そのものが「障がい」に対してのイメージが悪いのが根本的な問題だと思う。
・障がい福祉を知っていても軽減されないかもしれないが、子どもを捨てるのではなく、親子で乗り越える壁だと思えるかもしれない。
・障がい福祉の知識は苦しみを軽減するのに関係なく、最後は倫理というかその人自身の主観で決まると思う。高砂自身も妻と別れてから自分と向き合えて、素直になれ、子どもと向き合えるようになったと思う。自分と向き合うことが大事。福祉について講義で学んでいることを自分自身にあてはめて考えていこうと思った。
・結局、親が子どもを見るので、いくら福祉のサービスを知ってサービスを受けている時はいいがそうでない時が多いと思うので耐えることはできないと思う。
・自分が死んでしまったあと障がいを持った子どもがどう生きるのかを考えれば不安が大きいが、その問題がどうすれば解決するかを知れば少しは軽減されるかもしれない。親である以上、子どもが生まれてきたら面倒を見る義務があることは大きい。
・子どもの時は障がい児を親やまわりがかわいいと受け入れることは出来そうですが、大人になってきたらかわいいと思えないし、行動や言動を冷たい目でみてしまうと思う。高砂夫妻もきっと同じ考えがあったから将来を考えて受け入れられなかったと思う。
・障がい福祉の知識よりも、子どもをつくる上で、障がいを含め常にリスクを受け入れた上で作らねばならないという言葉の方がしっくりくると思う。
・福祉のサービスを知ることで少しは自分たちだけで障がいを持った子どもを支えなくていいのだということで少しは気持ちが軽減されると思う。
・偏見は自分自身の価値観の中から生まれるものであるので簡単に変えることはできないので、障がい福祉の知識をもっても負担を軽減されることは難しい。
・差別もいやかもしれないが、それ以上にまわりの変な気づかいもいやだと思う。