ソーシャルワーク演習I 6(コメント) [2010年11月23日(Tue)]
今週末はいろいろあって
(代表をしているNPOの30周年記念イベント) すっかりコメント遅れました。 メールで届いた4名のレポートは 前回同様に追記(続きを読む)に掲載してます。 コミックを事例教材に使ったせいもあるのか いささか物語に引っ張られたレポートが 多いような気がします。 「親子関係」「父親としての威厳やプライド」 「老化」などキーワードはいっぱいあります。 だからこそいつも言っていますが まずは講義でしっかり知識を得て 深い学びにしていってくださいね。 そして来年度実習に行く意味を よく考えて欲しいと思います。 介護施設の実習では、相談実習ばかりでなく 介護が実習の中心になることがあります。 同じく児童でも保育中心になることもあります。 「社会福祉士」の実習なのに意味がない ではなく、介護や保育を体験してその 気持ちを実感することで相談活動に 深みや重みが出てきます。 その意味では、実習だけでは現場体験は 全然たりません。今は2回生で忙しいと思いますが 長期休暇の過ごし方や3回生以降の過ごし方 本気でソーシャルワーカー目指すなら 様々な現場体験をして欲しいと思います。 さて次回はいよいよ文献を使っての 事例検討になります。しっかり読み込んで アセスメント力を高めよう! |
○はるちゃん
最初私は、父親は息子に介護されることがうれしかったんじゃないかと思っていました。ですが、今ゆっくり考えてみるとうれしくはなかったんじゃないかという考えに変わりました。きっと息子が自分のために帰って来てくれたという嬉しさはあったと思います。ですが、プライドの高い父親からすると、自分の弱った姿を息子にみられることや息子に介護されることは、とてもプライドを傷つけられることであり、息子に介護されている自分を情けなく感じてしまうんじゃないかと思いました。こういった気持ちは、きっと介護の仕方や、接し方で和らげることができると思いますが、エリート街道を歩いてきたプライドの高い父親からすると、いつまでも威厳のある父親でいたいと思うのではないかと思いました。
今回の演習で、弱ったお年寄りを介護することは、敬うことを忘れてしまいがちで、上から目線になりがちだと思いますが、ヘルプマンのように相手を敬うこと、けして卑下したりしないことはあたりまえのことであり、とても大切なことだと感じました。
○竹田ちゃん
わたしは今回、ヘルプマンを読んで父親が息子に介護されることを考えたとき、絶対に嫌だろうなと思いました。今までは、教育熱心な部分や、仕事をしている所など父親としての姿を息子に見せてきて、息子もその父親の姿を見て育ってきました。そこで、いざ父親がひとりでは生活出来ない状況になって、息子が介護をするとなれば、周りから親孝行と見られるかもしれないが、親からすれば一番屈辱的なのではないかとわたしは思います。父親としてのプライドもあるし、なによりも排泄は特に息子には見られたくないと思います。今までの父親の姿があるからこそ、息子には絶対に見られたくないとわたしはおもいました。
介護にはさまざまな問題があり、ものすごく奥が深いものだとしみじみおもいました。自分が今福祉を学んでいて、いざ現場に立つことを考えるともっと勉強が必要なのではないかとおもいました。
○Yuくん
結論からいうと、父親は息子に世話をしてもらうことに対して快くは思っていないと、私は考えている。
なぜならば、昔は息子に対して威厳のある態度、振る舞いをしていたのに、一人で立つことも出来なくなってしまうところや失禁などの粗相を見られることはかなり屈辱的なことだと思われるからである。
また実際に父親は妻が倒れたとき、息子にしか介護してもらえない状態にもかかわらず、妻による介護を望んでいた。
このことからも伺えるように父親は息子による介護は極力望んでいないことがわかる。
○なな
私は息子に介護される事を父親は内心では嬉しかったんだと思う。しかし老いた自分の姿に愕然とした息子を目にし、父の威厳とプライドがそうはさせなかった。昔から厳しかった父は、手塩にかけて育てた息子に自分が下にみられることや、子どものように扱われることが許せなかったのではないか。介護虐待を受け自殺未遂までし涙を流し、"そんな風に育てた覚えはない"と言っていた父。本当は息子に自分を理解した上で接してほしかったのだと私は考える。お互いがお互いの内心をもっと考える事が出来たならば、もっと早く向き合う事が出来たのでないか。
最初私は、父親は息子に介護されることがうれしかったんじゃないかと思っていました。ですが、今ゆっくり考えてみるとうれしくはなかったんじゃないかという考えに変わりました。きっと息子が自分のために帰って来てくれたという嬉しさはあったと思います。ですが、プライドの高い父親からすると、自分の弱った姿を息子にみられることや息子に介護されることは、とてもプライドを傷つけられることであり、息子に介護されている自分を情けなく感じてしまうんじゃないかと思いました。こういった気持ちは、きっと介護の仕方や、接し方で和らげることができると思いますが、エリート街道を歩いてきたプライドの高い父親からすると、いつまでも威厳のある父親でいたいと思うのではないかと思いました。
今回の演習で、弱ったお年寄りを介護することは、敬うことを忘れてしまいがちで、上から目線になりがちだと思いますが、ヘルプマンのように相手を敬うこと、けして卑下したりしないことはあたりまえのことであり、とても大切なことだと感じました。
○竹田ちゃん
わたしは今回、ヘルプマンを読んで父親が息子に介護されることを考えたとき、絶対に嫌だろうなと思いました。今までは、教育熱心な部分や、仕事をしている所など父親としての姿を息子に見せてきて、息子もその父親の姿を見て育ってきました。そこで、いざ父親がひとりでは生活出来ない状況になって、息子が介護をするとなれば、周りから親孝行と見られるかもしれないが、親からすれば一番屈辱的なのではないかとわたしは思います。父親としてのプライドもあるし、なによりも排泄は特に息子には見られたくないと思います。今までの父親の姿があるからこそ、息子には絶対に見られたくないとわたしはおもいました。
介護にはさまざまな問題があり、ものすごく奥が深いものだとしみじみおもいました。自分が今福祉を学んでいて、いざ現場に立つことを考えるともっと勉強が必要なのではないかとおもいました。
○Yuくん
結論からいうと、父親は息子に世話をしてもらうことに対して快くは思っていないと、私は考えている。
なぜならば、昔は息子に対して威厳のある態度、振る舞いをしていたのに、一人で立つことも出来なくなってしまうところや失禁などの粗相を見られることはかなり屈辱的なことだと思われるからである。
また実際に父親は妻が倒れたとき、息子にしか介護してもらえない状態にもかかわらず、妻による介護を望んでいた。
このことからも伺えるように父親は息子による介護は極力望んでいないことがわかる。
○なな
私は息子に介護される事を父親は内心では嬉しかったんだと思う。しかし老いた自分の姿に愕然とした息子を目にし、父の威厳とプライドがそうはさせなかった。昔から厳しかった父は、手塩にかけて育てた息子に自分が下にみられることや、子どものように扱われることが許せなかったのではないか。介護虐待を受け自殺未遂までし涙を流し、"そんな風に育てた覚えはない"と言っていた父。本当は息子に自分を理解した上で接してほしかったのだと私は考える。お互いがお互いの内心をもっと考える事が出来たならば、もっと早く向き合う事が出来たのでないか。
Posted by
ゆっきー(幸重忠孝)
at 23:34