何をもってあやまるのか [2009年06月24日(Wed)]
学校の中にいて不思議な価値観とやルールと出会います。
中でも最近考えさせられるのが 「あやまること」と「事実確認」 とにかく何かあると生徒にきちんとあやまることを 大事にしているなぁと思います。 いや、もちろん自分の行為で相手に迷惑をかけた時 間違いをした時にあやまることを教えることは 教育としても大事なことだとは思っています。 でも「あやまる」ってそもそもなんでしょうか。 「ごめんなさい」と頭を下げたら それがあやまることなのでしょうか。 ちなみにボクは本当にあやまれない子どもでした。 (今でも悪いと思ってもあやまれないことが多いです) 人を支援する仕事をはじめて、クライエントや子どものために あやまることは抵抗はなくなりましたが。 という自分のことを考えてもむずかしいことやなと思います。 同じぐらい謎の行動が「事実確認」 トラブルに対して事実を確認することは 以後の指導や保護者への説明のためにも 大事なことであるのはわかっています。 しかしここでも思ってしまいます。 「事実」とは何なのか。 人の見た世界の数だけ事実はあるのではないのかな と、先生たちが生徒に事実確認をしているのを 見るたびに思います。 なんかこのテーマで研究できそうなんて思ってしまいますが それ以前に実践報告すらできていない今日このごろなので (今日届いた『学校ソーシャルワーク学会特別号』の原稿も落としたし) この夏こそ研究すること記述することをしていきたいです。 |
Posted by
ゆっきー(幸重忠孝)
at 22:52