• もっと見る

« 2026年04月 | Main
パラオ 4/25、26 [2026年05月02日(Sat)]

4/25にはガラロン州でパイロットツアー、4/26には半日のマルキョクツアーを行いました。
半年程度時間が空いているものの、それぞれ卒業に向けたステップを踏んでいることを確認しました。一方で、課題が明らかとなったので、どこかの時点で、大きめのワークショップと実地研修を行う考えです。

2_IMG_0152.jpeg3_IMG_0191.jpeg1_IMG_0121.jpeg0_IMG_0125.jpeg
ガラロン

6_IMG_0262.jpeg4_IMG_0233.jpeg7_IMG_0246.jpeg5_IMG_0242.jpeg
マルキョク

そして4/27未明にパラオ発、グアムではグアム大学の研究機関とランチミーティングを行い、4/27夜に帰国しました。
4/27, 28, 29 [2026年05月03日(Sun)]

4/27、グアム午前5時着。宿に移動し、4時間ほど眠り、昼食会議。空港に移動し、夕刻のフライトで帰国。夜10時前自宅着。洗濯を2回して寝る。
4/28は朝から夜6時過ぎまで断続的に会議があり終了。

翌4/29、再びパラオに向け出発。

直行便でパラオ夜9時過ぎ到着。
そこで何とサプライズ。

大統領がヒデといって迎えてくれました。お父様の国葬前に米国からの親族を迎えるために来ていたそうで、少し話をしました。

0_att.jpeg

大統領「直行便どうだった?」
私「快適でした。大統領が何度も何度も航空会社と交渉していただいたおかげです。日本人のお客さんも増えています。」

別の情報では今年のパラオの経済成長見込みは8%超。観光客数は9万人を超えそうで、2010年ごろのレベルまで回復しそうです。

コロナ前, 2018年、2019年ごろのGDPは300百万ドル程度、政府支出の対GDP比は30%台でした。コロナ後、観光部門が縮小したもののGDPは何とか横ばいでしたが、政府支出の対GDP比は60%台になり経済構造が変化していました。

ガソリン代は1ガロン(約3.75リットル)7.2ドル程度で、戦争前より1ドルほど上がっており、物価も上がり、輸入物資も以前よりやや少なくなる心配があるようですが、全体的にパラオは元気になっているようです。

パラオ4/30 [2026年05月03日(Sun)]

4/30, 5/1はあらためてパイロットツアー。今回はサモアで新たに加わったレペア村からバーニーさんを呼びました。ここで先に進んでいる笹川モデルを体感で学び、現地に反映させる狙いがあります。
4/30は朝8時発でガラロン州へ。潮位の関係でいつもとは反対のコース。

0_IMG_0312.jpeg
1_IMG_0321.jpeg
2_IMG_0335.jpeg
4_IMG_0341.jpeg
5_IMG_0347.jpeg
6_IMG_0360.jpeg
8_IMG_0378.jpeg

ストーンモノリスは土砂の堆積のせいで高さが、土地に傾斜があり、また低くなっていますが、戦前の写真では、周囲に木はあまり生えておらず、土地は水平で、石の高さも今より数十センチ高いものでした。15年前と比べても状態が悪くなっているように思います。ストーンモノリスは荒めの凝灰岩だと思われるもので礫として軽石も含まれています。ストーンフェイスもあり、これらは神話時代に繋がっています。

不思議なのは、あれだけバベルダオブ島内にストーンパスを巡らせたパラオ人の祖先が、この場所に続くストーンパスがないことです。ここに人や文化のギャップがあるように思います。

ランチは今回はお刺身あり。クラムチャウダーは前回の方が美味しかった。おそらくココナツミルクの差です。

離島では、何と、ミクロネシアメガポッド(ツカツクリ)がツガイですぐそばまで来てココナツの身を突いていました。

この島は最初のパラオ人が定住した場所との言い伝えがあり、実際に、元々のロックアイランドから、その先に珊瑚石を敷き詰めて大きな平坦な土地を作った半分人工の島です。ところどころで玄武岩が使われています。今の海中(干潮時で1〜2メートル)のところにも玄武岩で作られた囲いが残っています。素焼きの土器の破片も見つかります。模様は今の所、確認できていないようですが、表面は弥生式土器のように滑らかです。土器の年代では1000年は遡れるのだそうです。

ここには今のバイ(酋長の集会所)と同じ構造のプラットフォームがあり、今のパラオ文化との連続性を見ることができます。

午後5時に現地を出て、宿に着いたのが午後6時半。少し事務仕事をして11時過ぎに就寝しました。
パラオ 5/1 [2026年05月03日(Sun)]

笹川モデルに参加している州は、元々は州政府を対象としてフレーム作りをしてきましたが、実際の運営に向けて、それぞれ現地民間への委譲あるいは官民共同体の形式を取っていくことになります。
5/1はガッパン州。現地内政問題に巻き込まれないように2年程度中断したのち、昨年11月にコミュニティ主導で再開、今回が本格復帰となりました。

潮位の関係で、朝6時半ホテル発。カメサンドックへ。

2_d11bb3cf0ddfccb9e2f9dd95b4df0846.jpeg

ジョンは10年前から参加しており、説明の仕方が上手い。これは嬉しい発見でした。

今回は8年ぶりにシーカヤック・バードウォッチングツアーから。バードウォッチングは早朝。早朝に潮位が良い状態なのは満月の時だけ。月一回だけ可能なプレミアムツアーです。この日も本当は1時間早い方が良かったのですが、パイロットツアーなので、妥協して7時過ぎ開始。

5_IMG_0458-9b802.jpeg

9_IMG_0418-cee6a.jpeg

6_IMG_0443.jpeg
0_17efa54ba07631dd8a2a0b54d352f92b.jpeg
0_dc3f3eaf6bd8eb0a3cbb03f450b076c2.jpeg

朝から2時間のカヤックは結構きつい。でも皆楽しんでいたので、それが一番。

3_50dfad1ad86f83212e7a3b34ac1ae172.jpeg

この島はアイメリーク州の海域ですが、よく見ると土台の島部分は平坦で、この鳥のような岩は礫の大きな堆積岩でできています。彼らは自然にできたものと言っています。

2_105ca6d40e0501fbe493f8207b433246.jpeg1_a5172e8e85d9ae3f6ef2032de1844d99.jpeg

ココナツ取りとハスキングのデモ。

3_473132c4cfa685f32f9ba812a77448da.jpeg4_IMG_0517.jpeg

ランチ。ガッパン名物はマングローブガニとアホ。

午後はオールドビレッジ

2_IMG_0532.jpeg

0_IMG_0536.jpeg
ここには干魃や大雨の時に4番目の酋長が儀式を行うフクロウのような顔をしたストーンフェイスがあります。

今回久しぶりに歩いて生じた疑問がいくつかありました。

パラオ全体を見るとストーンフェイスはストーンパスを作った人々よりも前の人々が作ったものと考えられる(神話に繋がる)。そうするとこの村はストーンフェイスがあることから、作られたのではないか。

パラオ全域でストーンパスを作り、村を作った人々は、村の構造もストーンパスの排水を含む構造もすでに知っている人々だったはず。タロ畑も大切に作られている。ガラロンの島も同様。そうするとどこかの国に同じような構造を持つ遺跡があるのではないか。

Vaka Moana を読むと、オーストロネシア語族の人々が台湾〜メラネシア〜ポリネシアと移動する一方で、ポリネシアよりも前にミクロネシア地域にも到達したそうです。しかし、サモアは比較的若い火山島で岩は豊富にあるけれども、バーニーさんによれば石を使った構造物は階段ピラミッド型のお墓を除けばないそうです。それも不思議なところです。移住した人々に石工職人がいなかったのか、移住した人々の派閥が違ったのか。

そんなことを考えつつ午後3時に終了し、コロール着が午後3時半。各所で精算手続きなどを済ませ、宿で仕事。

夜11時半に宿を出て空港に向かい、午前3時の便でグアム6時過ぎ到着。

5/2午前9時半の便に乗り継ぎ、夜7時半にマジュロ到着。夜8時半に宿に着きました。

この地域のユナイテッド便は機材が737MAXに更新されました。機内食はほぼゼロのままですが、スクリーンの操作ができるようになり、場所によっては機内WIFIも使えます(グアム〜ポンペイ区間は使えたが、ポンペイ〜マジュロはほぼ繋がらなかった)。

グアム〜日本便よりも良い感じです。
マーシャル 5/4 [2026年05月04日(Mon)]

5/2夜マーシャルのマジュロに入りました。
翌5/3は、午前が欧州のある国の外交官まち。しかしその日の日程が変わってしまったようで自分の仕事を始める。

あとは通信と車両の確保などを行い、パラオからの招聘者と夕食会議をして終了。

今日5/4は午前9時から11時半まで海上保安庁モバイルコーポレーションチームによる現地訓練の開講式に参加し、一言話し、別件の昼食会議へ移動。

3_IMG_0666.jpeg

昼食会議では、前日に行き違いがあった外交官と打ち合わせ。山本信治郎という名前が出て、日本統治時代の南洋群島における宣教師問題というのを初めて知りました。

その後、マーシャル政府の迎えの車に乗り外務省、大統領府へ移動。自分はその欧州の国の依頼により、その外交官の信任状捧呈に同行したのでした。

0_IMG_0680.jpeg

最初はカネコ外相とその外交官の会談。

次いで、外相とともに、大統領、法務大臣、教育大臣、資源開発大臣、教育大臣、保健大臣のいる部屋に移動し、信任状捧呈式。その外交官は大使となりました。その国の公式リリースまで情報を出せないので、このような感じで書いています。

式が終わって、じゃ、解散という時に、大統領が私に「あれ?」「あなたはいつも見かけるね。」と言い、一気に場が和みました。その国と安心して関係を作れるようにと、これが自分が同行を頼まれた理由だったようです。

部屋の外に出て、2024年の太平洋島嶼国ウィークスに来ていただいたザカラス法務大臣と久しぶりに話し、保健大臣はジュネーブで笹川名誉会長と会ったよと続き、そしてなんと!ジェラルド・ザキオス教育大臣(心の中でザッキーと呼ぶ)と17〜18年ぶりくらいに直接話しました。当時外相で自分が大使館の専門調査員でいろいろなプロジェクトを実現したり、潰したり、濃い時間を経験した関係がありました。

0_IMG_0710.jpeg

本当に久しぶりなのに普通に覚えていてくれて、素直に嬉しかった。

この20年近く、マーシャルの政治は激動の時代でした。いろいろな方が亡くなり、いろいろな方が失脚し、ある意味で重石が取れ、現在の中枢にはそれらを乗り切って来た大ベテランのザキオスさんのような方々と新しい世代の政治家が舵取りをしていると感じました。

今回の出張はエコツーと海保の現場での実践の予定でしたが、思いがけずパラオとマーシャルの大統領に会い、閣僚とも話ができました。スーツを持ってきて良かった。


ちなみに、マーシャルではガソリン代が1ガロン8ドル台に上がっています。経済非常事態宣言を出しており、なんと、公務員は勤務時間が3時までと時短になっています(「普段と変わらないだろう」などと言わないように)。

先ほど、夕食会議ではパラオのコーディネーターのヴィッキーと、マーシャルでコーディネーターを頼むことがあるママリンを引き合わせました。先を読み機転が効くところが似ています。ヴィッキーの方が小さいと思っていたら、同じでした。

2_IMG_0720.jpeg

ママリンは2003年の9月から知っているので、ヴィッキーよりも6年長い。ヴィッキーからいろいろ吸収してくれるといいのだけれど。


明日に続きます。
マーシャル 5/5 [2026年05月06日(Wed)]

5/5 海保MCTによる現地訓練(終日)
1_IMG_0803.jpeg
2_IMG_0804.jpeg

一方で面会が続きました。

アレレ博物館
豪州大使
相馬駐マーシャル大使
カネコ外相、シルク外務次官
米国臨時代理大使
台湾大使

アレレ博物館では、前回来たときよりも、自分は台湾先住民文化、トンガ、サモア、ラパヌイの訪問がありオーストロネシア文化への理解が進んで
だあとで、あらためて展示物を見てみると、ポリネシア文化とかつてのマーシャル文化に類似するものを感じることができました。

手編みのマットとその使用方法、酋長制度、タトゥーなど。米国化で見えなくなっていたというのがよく分かりました。

4_IMG_0748.jpeg6_IMG_0752.jpeg5_IMG_0751.jpeg

台湾大使は名前と顔を見て、なんか初対面ではない気がしていましたが、自分が同行した人との会議の最後に大使の方から覚えていると。

0_IMG_0795.jpeg

20年前、自分が専門調査員の時に大使は書記官でいた人でした。当時の日本大使館は台湾大使館の隣にあったので、建物の外で良く顔を合わせていました。懐かしい。

当時の台湾大使館は現地内政に関する情報収集力と分析力が抜群でした。しかし、何年か前に台湾の研究者に聞いたところでは、馬政権以降、そういった能力は弱くなってしまったとのことでした。

そして、天気は大荒れに。

3_IMG_0800.jpeg
マーシャル 5/6 [2026年05月07日(Thu)]

マーシャル大統領府が公開したので、あらためて。5/4、マルタ騎士団ハンレー博士の信任状捧呈式に同席しました。
1_IMG_0822.jpeg
(出典:マーシャル大統領府)

これでハンレー博士は晴れてマルタ騎士団マーシャル大使となりました。

5/6は午前が航空問題タスクフォースとの会議の後、ブレンソン・ワセ国会議長(アイザック・ザカラス副議長同席)、ワイズリー・ザカラス法務大臣とそれぞれ面会しました。

0_IMG_0816.jpeg
ワセ国会議長と

平民主導のノート政権が2007年で終わり、その後10年以上、伝統的首長主導の政権が続きました。途中で平民側と伝統的首長側がごちゃ混ぜとなり、ノート派と反ノート派で分かれるなど対立軸が変化。第1期ヒルダ政権で期待されていた新世代(10年前)は力を持つと汚職に塗れ失脚。

自然と人が亡くなっていき、少しずつ重石が取れ、現在のヒルダ政権は平民主導のノート政権の良心派(シルク、ワセ、ザカラス、ザキオス)と新世代の議員が混ざり、意図的でないとしても、今後のマーシャルを担う政治家の育成をしながらの政権運営となっています。

午後は海保訓練視察。

5_IMG_0856.jpeg4_IMG_0848.jpeg3_IMG_0835.jpeg2_IMG_0830.jpeg

3時過ぎにホテルに戻り、荷物をパックし、最後の精算業務を行い、4時過ぎに空港に向かいました。

今回の滞在は、当初余裕のある日程だったのですが、マルタ騎士団への協力が加わったため、慌ただしいものとなりました。ネット環境については、Wi-Fiは繋がるものの、セキュリティ上の問題でオンラインでの業務に制約があり、大変面倒な状況でした。

今回の滞在中、マジュロが2泊以上だったので洗濯を頼むつもりが、忙しい中忘れてしまい。どこで洗って乾かすかが自分の大きな問題になってしました。1泊の移動が続くので。

夜7時台発のフライトでホノルル着が午前2時半、ホテルチェックインが3時半。

部屋に入ると

7_IMG_0862.jpeg

ジャーン!素晴らしい。ありがたいことに洗濯機と乾燥機、洗剤もありました。

仕事をしながら洗濯、乾燥を2回。

6_IMG_0861.jpeg

職場のネットワークには繋がらずも、できる仕事をして、午前6時半。

頭が働かなくなり、仮眠をとり、8時半起床。今度は遅いが職場ネットワークに繋がったので、できる限りの対応を行い午前10時を過ぎる。フライトやばい。

シャワーを浴びて、スーツケースをパックし、10時40分チェックアウト、そして今、次の場所へ。
東京 5/7 [2026年05月07日(Thu)]

先ほど午後7時前、帰宅しました。
移動中の機内では出来るだけ対応可能な業務を行い、空港からはラッシュアワーなのでタクシーで移動。タクシーの中は業務可能なのでありがたい。しかも通信が良いので、単位時間あたりの処理量が多く、ストレスも少ない。

荷物を整理し、ちょっと休憩。
台湾 5/8 [2026年05月10日(Sun)]

5/8 午前羽田発、午後台北松山着。
民間企業も関わるシンクタンクCAPRiの会合に参加しました。安全保障や地政学的な話ではなく、経済成長に関する話がメインでした。外交使節的なものは開発途上国はなく、特に欧州諸国の経済貿易交流所の代表(大使クラス)が多く参加していました。

1_IMG_0893.jpeg0_IMG_0895.jpeg

その前後には、海外の別の方々と地域安全保障、特に防衛・軍事を対象となる伝統的安全保障の国と国のチャンネルについて議論となりました。

翌5/9朝、台北桃園に向かい、直行便で夕刻グアムに着きました。