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メラニア トランプ大統領夫人のスピーチ [2020年08月27日(Thu)]

今年も3分の2が過ぎていくところですが、年末に向け、太平洋島嶼国や周辺環境がざわついており、デリケートというかセンシティブというか、そのような話題になりがちなので、ブログに書くのは気をつけるようにしています。現実的な話が多いので、個別に意見交換ができればいいなと思います。

さて、今朝のニュースでしたか、米国のメラニア大統領夫人のスピーチが取り上げられていました。米国発の報道だったと思いますが、スピーチの内容を好意的に取り上げたものや、ある有名女優が夫人の訛りのある英語を嘲笑したというものがありました。その両方に興味があったので、業務後、FOXでスピーチ全体を聞きました。

画面を見た第一印象は、映画「アイアン・スカイ」。もしくは欧州戦線の戦時中。

しかし、大統領自身もそうですが、元々、政治の世界を目指していた人ではないし、プロフェッショナルに洗練されていないスピーチが、かえって良い印象に繋がり、メラニア夫人の人生そのものについて興味がわいてきました。

スピーチの中で、共産主義時代のスロベニアで育ち、26歳の時にチャンスの国である米国に来て、米国市民になりたいと勉強をし、10年後に市民権を獲得した(その間に永住権をとり、トランプ大統領と結婚したようです)ということを話していたところに、心がひかれました。

共産主義社会を実際に経験していること、大人になってから米国に移住したこと、違法ではなく、10年で市民権を獲得したことなど、識者や政治家の話を含めて、今まで聞いてきた中で最も素直に言葉が届きました。評論ではなく、リアル。

洗練された政治エリートの相手を攻撃したり、しゃれた言葉を使ったり、観衆を煽ったりするスピーチよりも、何か心に届くものがあったように思います。

おそらく米国に自由とチャンスを求めて移住し、トランプ氏に出会い、ファーストレディになった。予期せぬ人生だったのではないか。故に、外から見た米国へのあこがれの気持ちもわかるだろうし、そのような国であってほしいと。

自分は米国に住んでいるわけでもないし、直接関わりがあるわけではないですが、友人たちがたくさんいるミクロネシア3国には影響が出るだろうし、共和党、民主党、どちらが勝つにしても、米国内の分断と弱体化は避けてほしいと思います。

そうそう、で思ったのは、今の世の中は、情報があふれていて、時間も限られているし、全てに目を通すことは不可能です。

自分は時々、あえて情報を自分からとりにいかずに、自然と自分に届く情報を待つ、辻占のような状況を作ることがあります。本当に必要なものは、残るものだというか。通常はダーッとヘッドラインを見て、気になるものは内容をざっと読み、気になればさらに情報を探します。

このメラニア夫人のニュースでは、配信元が抜粋したものから得た印象と、実際にスピーチ全体を聞いた時に受けた印象が異なっていました。自分の感覚を信じていいのかどうか迷いますが、多かれ少なかれ、現在のニュースにはこのような問題があるように思います。

誰かの作ったサマリーや評価ではなく、時間があるなら、フィルターをできるだけ通さないところに手を伸ばし、自分の感覚を信じてみるべきかと(勘違いや間違いは当然あるとは思いますが)。
ベルサイユ条約 [2020年08月28日(Fri)]

太平洋島嶼国に関わり始めたのが2003年9月になりますが、以降、基本的に外側からの話を聞かないようにし、島嶼国からの視点から物事を見るように心がけてきました。そうしていくと、不思議なことに(不思議でも何でもないでしょうが)、世界情勢だとか、世界の中の日本とか、世界秩序だとか、過去の戦争について、俯瞰して見えることがあります。

例えば、マーシャルで仕事をしていれば、政務だろうが経済協力だろうが、米国自由連合盟約(コンパクト)を読むことになります。コンパクトを読むと、素人だからかもしれませんが、日本国憲法(英語版)、日米安保条約(英語版)、コンパクトに似た何かが感じ取れます。

昨晩、夜中に寝床についたのですが、島嶼国関連で、時々斜め読みしていたベルサイユ条約(英語版)をあらためて、ざっと読み返しました(僕自身は、ベルサイユ条約が、現在の太平洋島嶼地域秩序の出発点だと思っています)。分からない単語は飛ばしつつですが。

100年前の条約ですが、書かれている言葉が、今の世界情勢で目にする言葉とシンクロしていることが分かります。

100年前と変わっていないということなのか、緊張感が似てきているのか。
変わらないものは何もない [2020年08月29日(Sat)]

昨日、安倍総理の辞任表明がありました。驚きがありつつも、時代のせいなのか、自分の歳のせいなのか、遅かれ早かれこういったことはあると頭にあったのか、冷静に捉えています。

安倍総理は、2012年の就任当初から、まるで生き急ぐかのように、強い危機感をもって国の再興に取り組まれていたとの印象でした。まずは、新しい治療で十分に回復され、一議員とおっしゃっていましたが、例えば、森元総理が、目立たないところであっても、途上国を含む外交関係強化を支えて来られたように、元総理として、ある程度自由な立場で、日本外交を支えていただきたい。まずはお体が回復されますように。

日本は民主主義国家として、国際社会に日本の強さを改めて示す機会かもしれません。


いずれにせよ、細胞が日々入れ替わっているように、見た目はあまり変わらなくとも、変わらないものはないのだ、と改めて気づかされました。

そう思ったとき、例えば、自分で言えば、太平洋島嶼国の友人たちと長年ついたり離れたりしていますが、彼らはそれぞれが真剣に国のために活躍しているわけですが、それぞれの個体としての時間と国というものが持つ時間の差というものに改めて意識が向きました。

国という船があり、その船が向かうところがあり、その向かう先は見えていたり、いなかったり。人の個体としての時間を超えた視点で初めて行き先が見えてきたり。その船に人がそれぞれが役割を持って乗り組んでいる。個人的利益のためにという人もいるのかもしれませんが、何人もの友人を思い浮かべると、その時、その個体の時間というものは何なのか、何故そこまで、と考えたりします。

ちょっと分かりにくいですね。

そんなことをぼんやりと考えていると、フィジーの友人から嬉しい知らせが届きました。まだ確定ではないけれど、自分を推薦者にして応募したものでいい感じの反応があったようで。リファレンスチェックの問い合わせにも一所懸命回答したし、無事、実を結びますように。
ちょっとした総理・元総理の思い出(1) [2020年08月30日(Sun)]

安倍総理の辞任表明の後、森元総理、麻生元総理、安倍総理に関していくつか思い出しました。メディアには出ないような話です。

1つ目は、2006年2月のこと。僕が専門調査員に合格し、1月にマーシャルから帰国した後、直ぐに外務省で1か月の研修に入りました。座学的なことは最初の数日で、後は実践。ちょうど第4回太平洋・島サミットの年で、その準備会合のために来日していた共同議長国パプアニューギニア・ナマリュー外相(当時)や、アーウィンPIF事務局長・フォントイPIF副事務局長のリエゾンをいきなり任されました。当時は今よりも英語力が低かった頃(TOEICで800台半ば)です(3年間マーシャルの高校生と日々過ごしていたので)。

当時日本は麻生外相時代で、飯倉公館でのナマリュー外相との外相会談に送り届けるという任がありました。外部のドライバーさんですが、自分のような若造をとても勇気づけていただいたことを思い出します。

その時には、我々の車が到着するタイミングと麻生外相が出迎えるタイミングをぴったり合わせるために、ピリピリとしたなかで、飯倉公館に待機している事務方と無線でやり取りしていました。

車が無事到着し、事務方が後部ドアを開けてナマリュー外相が出ると、麻生外相が満面の笑みで出迎えられました。外相の肩を抱くようにし、ニコニコとナマリュー外相と話し始め、また、僕が助手席から会釈すると、麻生外相はにこやかに手を振ってくれました。メディアのカメラもなく、記者もいないところでしたので、パフォーマンスではありません。人と人の関係が外交なんだなと、その時実感しました。あの時の麻生外相の笑顔は忘れられません。

2つ目は、2008年9月のこと。僕は2006年3月から専門調査員として3年間マーシャルに赴任していました。2006年頃は特に日本とマーシャルの関係が、両者に不信感があり、それを修復するというのが自分の裏テーマでした。現地の政変もありましたが、とにかく丁寧に関係を再構築し、相互の風通しを良くすること、事務レベルの対話を増やす努力をしたことを思い出します。そんな時、2008年9月、森元総理が限られた日程の中、マーシャルに立ち寄られました。

正式には入国ではなく、空港VIPラウンジでの立ち寄りでしたが、マーシャル側はデブルム外相(当時)が出迎えました。

そこで、森元総理が、デブルム外相や当時のキノ・カブア外務次官と冗談を交えながら、歓談されていました。通訳はいなかったように思いますが、その話が本当に面白く、キノさんもけらけら笑ってるし、デブルム大臣も冗談で答えるし。その歓談されている場面では、メディアなどないし、パフォーマンスではない。僅か1時間ほどだったと思いますが、総理が去られた後のマーシャル政府内の日本に対する信頼感が確かに増しました。これが本当の政治家の力なのだと、外交は人と人の関係なのだと実感したのを思い出します。

そう、その時、突然森元総理が「電話を貸してくれ」とおっしゃったので、自分の個人携帯、しかも当時のマーシャルの通信環境は弱く、電話をしても繋がるか分からない状況のまま、渡したところ、「日本にかける」と。あの政治家のドスの利いた声で「安倍君〜」と話していることが聞こえていたので、かけた相手は、安倍総理のようでした(当時は1次政権後で次の総理を誰にするかと話題となっていた頃です)。

長くなるので、一旦切ります。
ちょっとした総理・元総理の思い出(2) [2020年08月30日(Sun)]

つづきます。

3つ目は、2013年6月の第5回アフリカ開発会議(TICAD V)。僕は応援出張で2か月ほど裏方で準備・実施に関わりました。裏方も本当に怒涛の日々で、特に会議までの最後の2週間が鬼日程でしたが事務方は成功させるという意識で皆結束していました。その中で1つは、安倍総理のマラソン会談。実に50を超える首脳・事務局長クラスとの会談を会議と並行し3日間で行いました。

事務方も直前にブリーフィングし、総理が確認し、会談という繰り返しです。形式的に会談する(あって、ちょっと言葉を交わし、写真を撮るだけ)ということも可能かと思いますが、担当の事務方はこんなチャンスは逃したくないし、必死。相手も単に形式的なものであれば、そのニュアンスに気づきますが、安倍総理は本気でした。事務方が必死こいて会議成功のために寝ずに取り組めた裏には、安倍総理のその本気の姿勢が伝わっていたことも大きな要素にあったと思います。「総理がそこまで本気でやるなら、我々は当然成功させる」といった熱い感覚でした。あの安倍総理のマラソン会談には本当に感動しました。

4つ目。TICAD Vにはもう1つあります。森元総理が共同議長を務めました。通常、このような会議はスムーズに進行させるために、ある程度のシナリオがあります。どの順番で、どの国を指し、幾つかの場合は、どのような話が出るかまで調整したりします。しかし、アフリカ諸国の首脳は、本気で会議をしたい、議論をしたいと伝えてきました。幹部の方が森元総理にその旨伝えると、総理は「よし、分かった。しっかり話を聞いて議論しよう。」とアフリカ首脳の意見を全面的に飲みました。これで、会議は成功したようなものです。森元総理のその懐の広さというか、結果、素晴らしい会議になりました。

非政府組織として参加されていた日本財団笹川会長の怒涛のスピーチもありました。(会議中は自分は会場班に回り、議場内で裏方業務を行っていました。)

そして、最後、5つ目は、2015年3月仙台で開催された第3回国連防災世界会議。このときは、2週間ほどの短期で応援出張し、首脳会談を担当する班に加わりました。当時バヌアツ代表団と同じフライトでフィジーから出たので、ナンディから都内のホテルまで急遽バヌアツ代表団をアテンドしたことを思い出します。

仙台では会談の会場を整えたり、エレベーターをスムーズにオペレーションしたり、細かな役割でした。TICAD Vに比べれば、その数は少ないですが、多くの首脳会談が組まれました。首脳の滞在先と会談の会場が離れていたこともあり、事務方はスケジュールと、各国首脳の動きを無線で共有しながらの対応でした。

例えば、当時のジンバブエ・ムガベ大統領。他の首脳に比べて、前後に多くのバッファ時間を組み込んでいました。ホテルから会場まで車で20分はかかります。ホテル待機組からは「ムガベ大統領でました」「戻りました」「病院を視察されていたようです」「出ました」「戻りました」「まだ出ません」などあっという間にバッファ時間が無くなります。そのたび、安倍総理は会場に向かったり待機したり。我々事務方はやばいやばいと焦るところ、織り込み済みのような雰囲気が伝わってきました。そして、確か90分遅れでムガベ大統領一行が到着し、エレベーターを操作し、会場に送ったとき、一仕事終えたような気になりました。その結果、キリバス大統領の時間が少し削られてしまいましたが、同年5月の島サミットでまた会いましょうとということで、トン大統領は受けてくださったということもありました。

全ての会談が無事終了し、我々会談班は撤収作業を進めていたところ、安倍総理が事務局に来られ、我々全員を労ってくれました。当然、このときもメディアなどなく、その強さと共に、本当に感動したものです。

普通に表に出てくる情報ではない、外交の人間臭さ、人、というものが本気の外交にはあるのだということを、いろいろな場面で勉強させていただきました。結果は文書になりますが、その過程も大事で、そこには決まりきったやり方だけではない、人間臭さがあるということだと思います。そして、トップが本気だと、事務方も支えようと、成功させようと燃えます。

どのレベルであっても、外交では本気の相手には本気で対応してくるし、勉強不足ではなめられて終わります。相手が親日だとか反日だとかは関係なく、それぞれがどれだけ本気で自分の国を背負っているか、本気で相手の国のことを考えているかが読まれており、お互いにそれを理解した上での対話、交渉、戦いだと思います。
ADB Pacific Economic Monitor内の表記 [2020年08月31日(Mon)]

太平洋島嶼国の経済情勢を確認するために、主に次の情報を活用しています。
1. IMF4条協議レポート
2. ADB Pacific Economic Monitor
3. 太平洋島嶼国各国の財務省資料(特に年次予算関連レポート、消費者物価指数など)

3. を読み出すと時間がかかるので、2.、1.をまずざっと確認する場合が多いです。

先ほど、2. を読んでいると、何か引っかかる感じがしました。

小さいことかもしれませんが、いつから変わったのか、Taiwanという表記が、Taipei, Chinaになっています。Hong Kong, Chinaとも書いてあるので、同列扱いということでしょう。

記憶違いかもしれませんが、以前はTaiwanと書かれていたはずです。

いつのまにか、しれっと意図的に、小さいですが、大きな意味を持つ変更が加えられていました。


これは他人事ではなく、例えば、別の機関のレポートや地図などで、竹島が独島、日本海が東海などと、しれっと書き換えられていたり、併記されることがあるので、細かいですが注意が必要です。