人と生活と [2019年03月06日(Wed)]
台湾の蔡英文総統が、今月いくつかの太平洋島嶼国を訪問するそうです。
パラオは2006年ごろの陳水扁総統(当時)以来ということで現地報道がありました。 ナウルは数週間前に、現地外務省の友人から、総統が訪問するので、3月は外務省職員は自国に待機と大統領から指示があったと連絡がありました。 2017年11月にツバル、マーシャル、ソロモン、(ハワイ、グアム)を訪問しているので、今回はキリバスも訪問されるのでしょうか。様子を見てみましょう。 今年に入ってから、空気感を知るため、週末や土日祝日出勤の代わりの振替休日を利用して、自費で中国(上海など)や台湾に行ってみました。中国は12年ぶりでしたが、特に若い人たちの雰囲気が静かになっていた気がします。 台湾に行くと、やはり中国(と言っても上海などですが)との違いを実感しました。日本人が「日本人だ」と感じることなく、普通に過ごせます。 自分の出身高校は、茨城の日立一高という高校で、先輩方の戦いによって、制服が廃止され、私服の高校でした。例えが間違っているかもしれませんが、上海の雰囲気が校則のしっかりしている制服の高校で、台湾が私服の高校のような違いがあるようでした。 台湾の歴史も、例えば現地政府の友人に少し聞いてみると、ぼんやり思っていたものと違う感じがします。 下関条約後、日本の統治下で社会基盤が作られ、経済発展を実現し、戦後中国国民党が統治し、二・二八事件という悲惨な事件が起こり、日本国籍のある台湾人が、多く亡くなり、国民党政権下で80年代半ばまで40年近く戒厳令が出されていたとか。この事件のことを知ると、現在の台湾の中で、本省人と外省人という観点はどうなっているのか、知りたくなります。 何か台北市内の下町っぽいところを歩いても、上海で食堂に入っても、自分は違和感をあまり感じませんでした。(サイバーパンクとか、未来少年コナンとか好きな人は馴染みやすい気もします。) それでふと思ったのですが、マーシャルにいた6年間、台湾人とか、大連人とか、香港人とか、日常生活の中で普通に接していたし、フィジーの3年間でも、出張で滞在したキリバスでもバヌアツでも、トンガでも、サモアでも、ナウルでも、レストランや小売り店で中国や台湾の人と接してきました。小売店の品物とかその並べ方とか、匂いが、同じ。 この観点からも、太平洋島嶼国で生活するだけで、中国や台湾に馴染んでしまうというのは、かなりな影響力だと思います。 マーシャルにいた時、当時住んでいたアパートの一階がレストランでしたが、仕事を終わってクタクタで帰ってくると、一階で大家の大連出身の女将さんにパオとダックを食べてるから一緒に食べようといわれ、その友人2人(香港人と台湾人)と日本人の自分の4人で、一緒に夕食を食べたことがありました。優しかったなあ。 ザンビア、マラウイ、ジンバブエ、セネガル、フィリピン、上海、台湾、ナウル、キリバス、マーシャル、ミクロネシア連邦、パラオ、バヌアツ、ソロモン、フィジー、サモア、トンガなど、自分も含めて、人は、朝になれば仕事してお金稼いで、食事して、洗濯して、掃除して。何とか凌いでいたり、金曜にはソワソワしたり、月曜にはブルーになったりしてます。 あたり前のことですが、人には普通の生活がある、ということですよね。 自然の景色、例えば山を見る時に、地学的に見るか、美を感じるかの違いに似てるようにも思います。 このような視点、人と生活について、忘れないようにしたいものです。 |