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トンガのトゥイバカノ元首相に有罪判決(2) [2020年03月11日(Wed)]

このようにトンガについて振り返ると、今回のトゥイバカノ元首相裁判の見え方が変わってきます。

1つは、民主化運動の視点。

トンガの平民は民主化を望む声が強い一方で、王族や貴族は権利をできるだけ守りたい。そのため、アキリシ・ポヒバ首相は厄介な相手であった。トゥイバカノ元首相の容疑についても、民主化が進み、ポヒバ政権ができたことで2015年に表に出てきたもの。(過去の記事のどこかにトゥイバカノ元首相は王族と縁戚関係にあるとありました。)しかし、裁判は一向に進まない。

2019年9月にアキリシ・ポヒバ首相が逝去。

今年に入り、トゥイバカノ元首相の裁判への動きが出始め、当初9つあった容疑は、中国関連含む6つの容疑が王室の権限で却下され、先日裁判で残り3つの容疑について有罪判決があった。


もう一つは、中国関連。

王室と中国は親密な関係にあることがよくわかります。あまり目立ちませんが、ピロレブ王女は民間で活動されていますが、王女の名前がメディアに出るときには、中国関連の場合がよくあります。

今回は、トゥイバカノ元首相の容疑のうち、王室の権限で中国関連が却下されました。


トゥイバカノ元首相の裁判という小さな記事でしたが、このように読み解くと見方が変わってくると思います。

トンガでは依然として、王族・貴族と平民の関係(民主化、議会、人権)、王族と中国の関係が、大きな要素として存在しています。


自分が太平洋島嶼国関係の報道を読む場合には、基本的にこのように背景を探ります。今回は時間があるので、その一例を共有させていただきました。
トンガ(2) [2020年03月11日(Wed)]

トンガは男系であり、トンガ情報通信省資料によれば、現在のトンガの正式な貴族階級が33あり、現在、国王、皇太子、王子3名、貴族(〜卿)が25(3つは空席)とのことです。このタイトルには土地の権利が付帯しています。他に永世貴族のような階級が8つあります(こちらは土地はつかない)。トンガ全体の人口構成でみれば、圧倒的に平民が多いということが言えます。

このような階層社会のトンガでは、独立以降、トンガの政治も外交も経済も王室が握ってきたこと、さらに1996年以来の中国との親密化が背景にあり、平民に不満がたまり、2000年代に入ると、のちに首相になった故ポヒバ氏などを筆頭に民主化運動が活発化することになります。

2002年、2004年には議会で政治改革案が出され、2005年にはPIF総会でトンガの民主化運動が提起されました。

その民主化運動のピークが2006年11月の首都ヌクアロファの商業地区(CBD)で発生した大暴動です。当時、ポヒバ氏は演説などを行っていたようですが、この暴動によりCBDが焼けました。逮捕者は約800人。

2006年当時のトンガGDPが約350億円のところ、この暴動による損害額は100億円弱ともいわれ、当時トンガ政府がCBD再建資金支援を開発パートナーに求めました。

しかし、通常のODAのラインでは適切な支援手法はなく(なぜなら具体的なプロジェクトではなく、資金を調達したいというものであったため)、例えば豪州、NZなどは民間銀行を介した融資枠設置などを行ったと思います。

そこで手を挙げたのが中国。ヌクアロファCBD再建計画として、中国から総額約70億円のローンを得ることとなりました。2007年に合意、2008年から事業開始。当然、当時のトンガ政府は王室主導でした。ここに、のちに外部で「借金の罠」と揶揄される中国との関係が始まります。融資の扉を開いたというか。

ただ、中身をみると、中国が悪者にされるのは気の毒というか、トンガもトンガだと思います(踏み倒し前提で資金を求めた節がある。。)。

内容は、
(1)総額4億4000万元(1億4270万トンガドル、約70億円)
(2)猶予期間10年(交渉により5年延長、2018年9月より返済開始予定が、再交渉で再延長)
(3)返済期間20年
(4)金利2%だが、管理費等含め、毎年3.75%の支払いを行っている。
   (すなわち、トンガ政府は毎年2億5千万円前後を10年以上支払っている)

この資金を使い、トンガは、以下のプロジェクトを実施しました。
(1)2006年の暴動で破壊された商業地区の再建(2012年完了)
(2)ブナ埠頭建設(2012年完了)
(3)セント・ジョーンズ政府庁舎建設(2017年完了)


これで中国からの資金調達手法を知ったトンガ政府は、さらに資金を調達します。
・トンガ全国道路改修事業(2009年合意、2010年事業開始、2017年完了)
(1)総額2億9100万元(9450万トンガドル、約45億円)
(2)猶予期間10年(交渉により5年延長)、返済期間20年、2020年9月より返済開始
(3)金利2%だが、管理費等含め、毎年3.75%の支払いを行っている。
   (すなわち、トンガ政府は毎年1億7千万円前後を支払い続けている)

皮肉にも、民主化運動が、中国と王室主導のトンガ政権の関係をより親密化させたと言えます。ただ、のちにこれらの融資が国に対するものなのか、王室を通じた民間に対するものなのかという議論もおこりました。

(つづく)
トンガ(3) [2020年03月11日(Wed)]

さて、トンガを民主化の視点から見てみましょう。

再掲すると、当時の議会は平民議席9、貴族議席9、国王が任命する閣僚14名で構成され、首相も国王が任命していました。33名中、平民は9名のみ。形だけの平民議席と言えます。

人口の大多数を占める平民の民主化の声を受け、議会は2002年、2004年に政治改革案を発表しますが、満足のいくものではなく、2006年のヌクアロファ大暴動に繋がりました。

そして、2010年に議会改革が行われます。新しい議会構成は平民議席17、貴族議席9議席の全26議席で、議会が首相を選出することとなりました。

一見大改革に見えますが、貴族側が平民から5名取り込むことで、依然として貴族・王族による支配が続く形となっています。そのため、平民主導の政権を作るためには、平民議席17議席中、13議席を1つの政党もしくはグループが占めなければなりません。非常にハードルが高い。

新しい制度で行われた2010年の選挙では、平民側議席はポヒバ氏率いる政党DPFI(Democratic Party of Friendly Islands)12議席、無所属5議席で構成され、DPFIが平民過半数を占めたものの、無所属平民議員5名と貴族9名が結束し、首相には王室に近い貴族議員のトゥイバカノ卿が選出されました(トゥイバカノ卿というのは伝統的タイトル名ですが、トンガではタイトルが継承された時点で名前として使用するそうです)。国王は現在のトゥポウ6世です。

ポヒバ氏率いるDPFIは選挙で大勝したものの、平民が関与できない貴族議員枠のために政権をとることはできませんでした。

4年後、2014年の選挙ではDPFI9議席、無所属8議席、貴族9議席となりましたが、首相指名選挙ではポヒバ氏が15票を獲得し、ついに平民政権が誕生しました。議長には同じく15票を獲得したトゥイバカノ卿が選出されました。(ちなみに土地担当大臣は貴族議員)

故ポヒバ首相は、民主化運動の闘士であり、王室の政治関与を軽減し国王の地位をより象徴的にすることを目指していました。そのため、2017年8月までに4回ほど内閣不信任案を提出する動きがありましたが、いずれも否決、もしくは議会に提出されませんでした(2017年2月には内閣不信任案が正式に議会に提出されたが、否決された)。

しかし、2017年8月、議長トゥイバカノ卿が枢密院を介して国王に助言し、憲法に保障されている国王の権限で、議会が解散され、同年11月に平民17議席のみの選挙が行われることになりました。(これは民主主義の視点では覚えておくべき事例だと思います)

結果は、DPFI14議席、無所属3議席のポヒバ圧勝であり、初めて1つの政党が単独過半数を獲得。これはトンガ国民の根強い民主化支持を表すものであり、貴族および王室の政治関与への不満の表れであったといえるでしょう。

平民の政治参画強化を実現したアキリシ・ポヒバ前首相ですが、残念ながら、病気のため昨年9月逝去されました。
トンガ(1) [2020年03月11日(Wed)]

数年前、過去30年の現地マタンギトンガ紙の記事や現地財務省資料などを基に調査した自分用の未発表資料があるのですが、良い機会なので、抜粋し、紹介していきます。

トンガは1875年、国を統一したジョージ・トゥポウ1世の下で、憲法が制定され立憲君主国となり、1900年から英国の保護領、1970年に外交権を回復し独立国家としての歩みを始めました。(独立という言い方に議論がありますが、ここでは混乱を避けるため独立と書いていきます)

太平洋島嶼国では、Chief=伝統的酋長がいますが、トンガでは王族、貴族、平民の身分の違いがあります。

独立時の国王は故トゥポウ4世(1965.12.16〜2006.9.10)で、子息として、ピロレブ王女、皇太子(のちのトゥポウ5世)、王子(のちの現国王トゥポウ6世)がいました(*トゥポウ5世には子がいません)。

トンガの政治は独立以来、王室が握り、2010年まで、議会は平民議席9、貴族議席9、国王が任命する内閣14名で構成され、首相も国王が任命していました。

たとえば、1990年代から2010年までの指導部は以下になります。

(1)1991年8月〜2000年1月
   国王:トゥポウ4世
   首相:バロン・バエア(トゥポウ4世のいとこ)
   外相:のちのトゥポウ5世(〜1998年8月)
      のちのトゥポウ6世(1998年8月〜)防衛相兼任
(2)2000年1月〜2006年2月
   国王:トゥポウ5世
   首相:のちのトゥポウ6世、外相・防衛相兼任

(3)2006年3月〜2010年12月
   国王:トゥポウ6世
   首相:フェレティ・セベレ(貴族)


トンガは独立以来、台湾と外交関係を結んでいましたが、1998年、国王トゥポウ4世の意思として、以下を理由に中国と国交を結び、台湾と断交しました。
(1)トンガ国連加盟へのサポート(台湾は1971年に国連を脱退)
(2)中国へのキリスト教布教
(3)トンガの将来の経済成長

この変化の大きなきっかけとなったのがピロレブ王女です。王女が中心となり、1994年、民間のトンガサット社が設立され、香港に支所が設置されました。

トンガサットの構想は、1988年頃、米国インテルサットの技術者であった在トンガ米国人ニルソン氏が、トンガ上空のアジアと太平洋をカバーする衛星スロットの活用を王室に働きかけたことが基になっています。

当時の現地報道を見てみると、1996年、香港の中国返還前頃から王女の香港での活動が活発化し、王女と中国がビジネスで繋がり、やがて王室と中国を繋ぐ窓口となっていったことがわかります。同年、国王トゥポウ4世は、香港に拠点を持つ王女ピロレブに対し、中国との国交正常化を指示、王女は北京を数次にわたり訪問することとなりました。

そして1998年に中国にシフトという流れです。

当時の動きを時系列でまとめると
1994年 トンガサット香港事務所開設(ピロレブ王女)
1995年7月21日 第三次台湾海峡危機勃発(1996年3月まで)
1996年 国王トゥポウ4世 王女ピロレブに中国との国交正常化指示
  (以後、王女ピロレブは1998年10月まで北京を6回訪問)
1997年7月 香港、中国へ返還
     国王トゥポウ4世、香港、北京訪問
1998年8月 外相(のちのトゥポウ5世)辞任
1998年10月26日 外相(のちのトゥポウ6世)、北京で共同コミュニケ発表
1998年11月2日 中国と国交樹立、台湾と断交

また、その後のトンガと中国が結んだ2010年までの主な協定は次のとおりとなります。
1998年11月6日 海底鉱物探査協力協定
1999年 中国人民解放軍・トンガ軍 活動協力協定
1999年 二国間貿易協定(WTO加盟向け)
2005年 観光MOU締結、中国のADS(Approved Destination Status)獲得

ちなみに、1998年11月の国交樹立後、中国はニューヨークにトンガの国連代表部を設置するため、王女ピロレブを介して、約2億円の援助を行い、1999年9月、トンガは国連への加盟が承認されました。またトンガは中国など複数の国と二国間貿易協定を結び、2007年にはWTO加盟が正式承認されました。

(つづく)
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