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ミクロネシア連邦チューク州独立に関する住民投票延期(3) [2020年03月04日(Wed)]

つづきになります。

現在の第2次コンパクト(2003.10~2023.9)についてですが、破棄条項というものがあります。

原典に返る時間がないので、記憶に頼ることになりますが、例えばミクロネシア連邦が破棄したい場合、連邦議会ではなく、住民投票を経て、住民の意思を確認し(これはそもそも国連の下での信託統治領から、住民投票を経て独立した経緯があるため)、議会で決議し、米国政府に通達する。それを受けて米国が判断する形となっています。

また、仮にコンパクトが破棄された場合、400億円以上積み立てられている信託基金の米国投入分については、米国が管理する形になっていると思います。ミクロネシア連邦パスポート所持者は、破棄された時点で、米国ビザが必要となり、米国内にいる何万人ものミクロネシア連邦住民は帰国しなければならなくなります。恐らくこれだけの人々を食べさせていけるだけの経済力はないでしょう。


長くなりましたが、ここで仮にチューク州がミクロネシア連邦から独立するという場合、どのようなことが考えられるでしょうか。

まずミクロネシア連邦から離脱ということで、現在のコンパクトは無効になります。チューク州出身者はチュークのパスポートが必要になり、チュークのパスポートではビザフリー特典が与えられないため、米国領内にいるチューク人数万人が強制退去となるでしょう。当然フードスタンプなども得られなくなります。多くの米国居住チューク人も当然ながら親類が本国にいるわけで、若者の将来にも大きく関わる問題となります。

現在の州政府財政は100億円規模だと思いますが、多くが米国からの援助を原資としているので、これもなくなることになり、経済危機が訪れるでしょう。

中国が代わりに援助協定やコンパクトのような条約を結ぶ場合、準米国市民として英語圏で生活しているチューク人が、中国領内で生活を送ることを望むかどうか。


本当にチューク住民が独立を望む場合、国としての自主憲法を施行し、州政府を自治政府に切り替え、独立以前に、ミクロネシア連邦と自由連合盟約などの条約を結ぶか、米国と新たなチューク共和国−米国自由連合盟約(コンパクト)を結ぶことが必要な過程となるでしょう。

このミクロネシア連邦や米国の役割を中国が担うというのが、いろいろの報道で見る懸念ですが、米国に親類がいたり、親米の住民との間で大きな対立が発生することになるでしょう。

おそらく、議論の過程で、米国内でビザなしで生活できる権利の強さが再認識されるのではないかと思います。


前の記事で書いた2011年頃のクリスチャン前大統領ら主導による連邦議会のコンパクト破棄決議では、2018年にコンパクトを破棄するとしていました。ただ住民投票が行われるわけでもない。

現在の第2次コンパクトは2023年9月までなので、2018年頃から改定交渉が始まると考えられていたため、これに合わせて米国との交渉を本気で行うための意思表示だったのかもしれません。(クリスチャン前大統領は、ポンペイ州の人です)

米国側を見ると、民主党オバマ政権時代よりも現在の共和党トランプ政権の方が、ミクロネシア連邦の安全保障上の重要性を再認識し、現地側の声を尊重する姿勢が見えます。その点で言えば、上記決議は意味があったのではないでしょうか。

チュークに話を戻すと、2022年に住民投票ということですが、その年には、おそらく第3次コンパクト案がミクロネシア連邦と米国との間で合意されているものと思います。本気で独立する可能性を持つためには、次期改定コンパクトに、ミクロネシア連邦から離脱する際の新政府(旧州政府)と住民の地位の保障に関する条項を加える必要があるでしょう。ただ記載してしまえば、独立への道を開くことになるので、現実的ではないでしょう。

世界情勢は変化し、現在は平時と有事の間にある状況に見えます。チュークの独立を平和的に話せる時期ではない。
ミクロネシア連邦チューク州独立に関する住民投票延期(2) [2020年03月04日(Wed)]

前の記事で、ミクロネシア連邦と旧米国信託統治領の主権確保について、簡単に振り返りました。
私見になりますが、ここからもう少し、状況を深堀したいと思います。

現在のパラオ、ミクロネシア連邦、マーシャル、北マリアナで構築されていた米国信託統治領は、北マリアナが米国領に留まり、マーシャル、パラオ、ミクロネシア連邦が、それぞれ米国とコンパクトを締結し、主権を確保しました。

現在のミクロネシア連邦は、西からヤップ州、チューク州、ポンペイ州、コスラエ州で構成され、人口はそれぞれ約11,000人、約50,000人、約36,000人、約7,000人で、母語が異なります。

だいぶ前、2008年頃、現地の教育上大きな問題となっていた英語力について、当時のマーシャルのトメイン大統領は、米国信託統治領時代の方がマーシャル人の英語力は高かったと話していました。共通語として英語を使う機会が多かったためとのことでしたが、マーシャル語を使うことについて強い誇りを示していました。

対ミクロネシア連邦支援に関わったことがある方は皆ご存知ですが、よくミクロネシア連邦と仕事をするときには、5つの政府を相手にしなければならないといわれます。

ミクロネシア連邦政府は対外的な窓口の政府としての役割が強い一方で、内政に関しては、各州政府が担うという役割があるといえるでしょう。

米国とのコンパクトというのは、あくまでもミクロネシア連邦という国の基盤を構成する、国と国の条約であり、州と米国の関係ではありません。

そのコンパクトは、経済支援ばかりがクローズアップされますが、実際には統治、経済関係、安全保障・防衛、一般規定の4つの編からなり、単純なものではありません。現地の人々が自然に権利を享受している一方で、その特別な地位が認識されにくいのが、ビザに関わるものです。統治の編に記載されています。

パラオ、マーシャルと同様に、ミクロネシア連邦のパスポートを持つミクロネシア連邦国民は、米国内でビザなしで教育も労働もでき、米国の社会福祉や連邦プログラムを受けられるなど、米国民と同等の権利を有するとされています。ただし、これは市民権ではないということが明確に記されており、例えば、ミクロネシア連邦パスポートと米国パスポートは同じではなく(当然ですが)、米国パスポートに簡単に切り替えられるものでもありません。その場合は、他の外国人と同様に市民権取得の手続きが必要です。

脱線しますが、かつて第1次コンパクトの時には、同様にマーシャルのパスポートが持つ特典を目的として、フィリピン人や中国人がマーシャルで生活し、(現地では5年ほど居住すると申請できるはずですが)マーシャルのパスポートを取得し、米国に移住するということが可能でした。しかし、2003年10月に始まった現在の改定コンパクト(第2次コンパクト)では元の出身がマーシャルではない場合は、米国ビザを取得しなければならなくなりました。

ミクロネシア連邦に戻りますが、コンパクトというのは経済援助が注目されますが、本来重要なのは、このビザフリーの権利です。仮にこの権利がなくなれば、グアム、ハワイ、米国本土など米領でミクロネシア連邦パスポートで居住している人々は、ビザを取得しなければならなくなり、かなり多くの人々がビザを取得できずに国外退去となるでしょう。


経済援助については、米国はミクロネシア連邦の米国依存を軽減するため、2008年頃から、1年目50万ドル、2年目に100万ドルというような形で2023年まで信託基金に資金を積み立てています。積み立てに使われた資金は、真水の援助部分からは差し引かれ、表面上は米国の援助が減っていくように見えます。

また、第1次コンパクトの時代には、米国はミクロネシア連邦政府に資金の使用に対する自由度を持たせていましたが、第2次コンパクトでは、腐敗防止・ガバナンス強化のため、予算建て・執行・決算に関し、米国政府が承認する形となっています。四半期ごとにレポートを出す形となっているはずです。

コンパクトの資金は、連邦政府から州政府にももたらされますが、その精査の過程でいろいろな条件が出されることがあり、資金が停止されることもあります。かつて、コスラエ州とチューク州では報告書が米国側に提出されなかったために、資金が停止されたことがありました。ミクロネシア連邦短大に関しても、現地からみるといろいろと難癖をつけられるという見方がなされていました。

これにより、第2次コンパクト(2003〜2023)のもとでは、現地では「米国が意地悪で、我々をいじめている」という米国に対する反感が強まっていきました。

連邦議会でも、クリスチャン前大統領が議員であったとき、モリ政権のとき、2011年頃でしたか、このような米国の意地悪な姿勢に不満を持ち、コンパクト破棄の決議をしたことがありました。

(つづく)
ミクロネシア連邦チューク州独立に関する住民投票延期(1) [2020年03月04日(Wed)]

Radio New Zealandやロイターが報じています。

https://www.rnz.co.nz/international/pacific-news/410655/chuuk-independence-referendum-postponed-until-2022

https://www.reuters.com/article/us-pacific-micronesia-idUSKCN20L09G

今月(2020年3月)に予定されていた、チューク州のミクロネシア連邦からの独立の是非を問う住民投票を、2022年まで延期することが決まったそうです(現コンパクトが切れるのが2023年9月)。

国連非自治地域リストに掲載されているニューカレドニアや、パプアニューギニアのブーゲンビル州独立運動の話とは異なる空気感があると思うので、周囲が注目しすぎて煽ることなく、冷静にみてみたいと思います。

なぜ注目されるのかというと、チュークが独立すれば、中国と緊密な関係を構築し、米国自由連合の鉄壁の砦を崩すことになる可能性があると見ているからです。

報道は報道として、中国云々に関わらず、冷静に見てみましょう。

戦後、現在のパラオ共和国、ヤップ州、チューク州、ポンペイ州(コスラエ州はポンペイの一部として扱われた)、マーシャル諸島共和国、そして北マリアナ自治連邦区の6地域が国連の下での米国信託統治領となりました。*グアムは1898年の米西戦争の結果、米国領となったため、これらの地域とは立場が異なります。

その後、米国はこれら6地域に主権付与を行わなければならなくなり、当初、6地域を1つの国であるミクロネシア連邦として独立させようとしていたそうです。パラオにあるエピソンミュージアムには、現在の4つ星のミクロネシア連邦の旗が、6つ星になっている旗が展示されています。

ここからは、10年以上前になりますが、ウエキ駐日パラオ大使(当時)、カブア駐日マーシャル大使(当時、現公共事業大臣)、トニー・デブルム外相(当時、故人)から個別に聞いた話が基になります。

1970年代に、米国としては、上記のように1つの国として地域を独立させようとしていたそうですが、各地の住民の考えとしては、それぞれに民族も言葉も違い、潜在的経済力も異なることから、さまざまな動きが出てきました。

まず、北マリアナが米国に留まることを決断し、1975年にコモンウェルス盟約を米国と締結、1978年に米国領の北マリアナ自治連邦区(コモンウェルス)となりました。

次に、マーシャル諸島が特に核実験賠償に係る問題などの要因からミクロネシア連邦の枠組みから離脱を表明、パラオはその地理的利点(アジア諸国に近い)やパラオ人としての誇りがあり離脱、枠組みに残った地域が、コスラエが州としてポンペイから分離され、4州となるミクロネシア連邦が形作られたそうです。

マーシャル諸島は1979年5月1日に自主憲法を施行し自治政府を樹立、1986年に米国と自由連合盟約(コンパクト)を結び、10月21日に独立しました(この過程で日本がマーシャル側の権利を守るために助けたことがあるという話を故デブルム大臣から聞いたことがあります)。

ミクロネシア連邦は1979年に自主憲法を施行し自治政府を樹立、1986年に米国と自由連合盟約を結び11月3日に独立しました。

パラオは、1981年に自主憲法を施行し自治政府を樹立、1982年に米国とコンパクト案に合意したものの、同憲法の非核条項とコンパクトが合致しないために、憲法改正の住民投票が7回にわたり繰り返され、コンパクトについてのみ非核条項を凍結するということが承認され、8回目の住民投票でコンパクト案が承認されたとのことです。そして、コンパクトを締結し、1994年10月1日に自由連合国として独立しました。


ちなみに、太平洋島嶼地域には、PIF(太平洋諸島フォーラム)の枠組みで1985年8月6日に署名され、1986年12月11日に効力が発生したラロトンガ条約(南太平洋非核地帯条約)があります。これは、核兵器(実験、配備)だけでなく、核物質の廃棄、核施設の建設、核物質の利用を認めないとするものです。豪州、NZは署名していますが、当時、まだ独立していないパラオ、独立間もないミクロネシア連邦、マーシャル諸島はPIFに加盟していなかったため、これに署名していません。

長くなったので、一旦切ります。
3/2 ナウルが入国制限開始 [2020年03月04日(Wed)]

3/2、ナウル政府は、WHOによるPHEIC (Public Health Emergency of International Concern: 国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態)宣言を受け、ナウルへの入国制限を始めました。

対象国・地域は、中国本土、香港、マカオ、韓国、イタリアで、国籍を問わず、過去21日間に、これらの国・地域からもしくは経由したナウルへの空路・海路の渡航は認めないというものです。


この情報から気づくのは、1つは、ナウルに限らず、多くの国々でWHOの情報というのは非常に重要だということ。さまざまな情報があふれる中で、最終的な決断をする根拠になるというところ。もう1つは、14日間(2週間)ではなく、21日間(3週間)としているところです。

ナウルと外部への空路の繋がりは、豪州ブリスベン(ソロモン経由もあり)、フィジーのナンディ、北向きにキリバス(タラワ)〜マーシャル(マジュロ)〜ミクロネシア連邦(ポンペイ)があります。




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