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トンガ! [2024年02月23日(Fri)]

数日前からトンガに来ています。
次や次の次の訪問先との調整もしながらでサチり気味ですが、トンガでの日程は期待以上です。

今回、トンガでは夕食から埋まって行きました。

数日前からというか一昨日到着後、稲垣駐トンガ特命全権大使にご挨拶させていただき、次いでレオナイタシ外務貿易副次官と今後の取り組みについて意見交換させて頂きました。

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夜は12月に招聘した教育省のローラさんとヘペティさんらとフォローアップのための夕食会。

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昨日、今日で、国家緊急事態管理室(NEMO)、人事院、観光省、財務省、首相府などをまわり、ちょうどSPTOのコッカー事務局長が滞在中なので、この後話をします。

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NEMOのモアナさん

観光省では急いで作成した提案書を元に意見交換をし、昨年11月の初期の段階から具体的な取り組みに進める段取りが整いました。また観光次官によれば、他の太平洋島嶼国の観光省が私を紹介して欲しいと言われたということでした。求められるのはありがたい。


トンガの方々は、親身になって助けてくれるので甘えてしまいますが、今回も人事院のメレさんと財務省のマヌさんに助けてもらっています。

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2人ともJICAのグローバルSIDS〜というプログラムで昨年9月まで日本で修士課程で勉強していたのですが、昨年我々の方で8月に開催した若手実務者フォーラムに5月〜7月の間協力してくれました。一緒に飯を食った仲。人の繋がりって本当に大切だと実感しました。本当にありがたい。(ガチャピン色がメレさん)

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宮殿

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さて、沿岸部をまわると、2年前の津波で破壊された建物がそのまま残っている場所もまだあります。また、フンガトンガ・フンガハアパイに近いマンゴー島の住民は、村落が破壊されたため、エウア島に移住したとのことでした。

一方で、国としては順調に復興しており、また日本政府・JICAの支援により災害への備えを進め、災害への強靭性を高めています。

今回、昨年11月に滞在したホテルに滞在していますが、サービスも改善されており、前回と同じ人たちですが従業員の質も良くなっています(ホテルの場合は、コロナによる2年間の国境封鎖と津波災害が背景にあります)。

ますますトンガを応援したくなります。
トンガー津波石でいいのか? [2023年11月04日(Sat)]

トンガには巨大な津波石があります。
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津波に関連して、2017年にはこれを公園にしようという話がありました。公園にしてどうするのかはよくわかりませんが、個人的にはちょっとやり方が違うと思っていました。

この石にはある神話が関係しています。

神話時代、トンガタプ島の南西部に位置するエウア島に原初の神の1柱Mauiマウイ神が住んでいました。ある日、毎朝鳴く鶏Roosterがうるさいとしてマウイ神の息子が鶏を退治しようと石を投げたそうです。

その鶏を殺してしまうと神の資格がなくなるため、それを見たマウイ神がその石に対して銛を投げて破壊し、その破片が鶏に当たり鶏は退治されたそうです。

その時に多くの破片がトンガタプ島に落ち、その一つが上記の津波石。現地ではMaui Rockと呼ばれています。

現地住民の中には、その石の名前がMaui Rock(トンガ語の英訳)から津波石に変えられたことに不満を持つ人もいます。

実際、津波石ではトンガの文化や歴史との関連性がなく、味気ない。現地の人が呼んでいる名前で良いと思います。

またトンガタプ島東岸にあるハベルリク村には上記の津波石よりも小さな多数の石があり、標高が低くない村ですが、それらの石も津波石と言われているとのこと。実際に山などはなく、サンゴ石がポツンと平地にあるので津波しかその原因はないように思います。

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しかし、その村は、通称Makato a’ Maui(Maui’s throwing stone)の村と呼ばれており、空から飛んできたことを示唆しています。

そこで思い出したのが、昨年の火山・津波災害の時に、欧米のどこかの大学出したレポート。そのレポートでは上記の大きな津波石の原因が津波ではなく隕石の衝突ではないかというものでした。もしそれが科学的に正しければ、空から石が降ってきたという点で神話と繋がりそうです。

トンガ東部には(大きな津波石は西部)、他にもTu’i Tongaの歴代の王の墳墓や、海岸の鍾乳洞(トンガ語で洞窟をアナというそう)、6月から10月には沿岸部からホエールウォッチングもできるなど、活用できそうな資源がたくさんあります。

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王の墳墓

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鍾乳洞

(ちなみに、トンガでは強い男?をタマといい、サモアでは女性をタマイタイというとか。いろいろ考えさせられます)
トンガ!!! [2023年11月04日(Sat)]

今日は思いがけず、トンガの神話と王国の歴史を辿るパイロットツアー的な1日になりました。
間違っているかもしれませんが、知らない人間がツアーに参加して記憶に残ったものを書いていきます。

トンガは約3000年前にはラピタ人が生活していた痕跡が残っているそうです。

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ラピタ人が最初に上陸したと言われている海岸

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海に入り魚をとる豚くんたち。顔が細い?

口伝であるため、その後の歴史は10世紀まで空白(もしくは神話時代)となるようです。

3柱の原初の神、タンガロア(空)、マウイ(地下)、ヒクレオ(夜)がおり、950年に即位したトンガの最初の王であるAho’eituアホエイトゥは、タンガロアの息子とされています。

そのアホエイトゥの王統Tu’i Tongaは、石のゲート、カレンダーとも言われるHaamongaハアモンガを作った13世紀の王Tu’i tongaを挟み、第39代Laufilitonga (1826-65)まで続きました(現在その家系はノーブル・貴族の地位にある)。

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Haamonga

2つ目の系統Tu’i Ha’atakalauaは、1433年、Tu’i Tonga(King of Tonga)系統の24代Kau’ulufonua Fekai の息子であるMo’ungamotu’aが興し、1800年代の19代Mulikiha’ameaまで続きました。

そして3つ目の系統であるTu’i Kanokupoluは、1590年、2つ目の系統のTu’i Ha’atakalauaの6代Mo’ungatongaの息子Ngataが興し、19代Siaosi Tupou Iが1865年に統一して、現在に至るということでした。

Tupou Iには男子の子供がいなかったため、弟が第2代国王Tupou IIに、Tupou Iの長女が第3代国王(女王)Queen Salote Tupou IIIに、サロテ女王の長男がTupou IV、Tupou IVの長男はサモア人と結婚したため継承権をなくし、次男がTupou Vに。Tupou Vには子供がいなかったため、崩御により2012年、Tupou Vの弟が現在の第6代国王Tupou VIとなりました。トゥポウ6世は、Tu’i Kanokupoluの王統としては第24代となります。

現在の皇太子は、トンガ全体の王統の始まりの王、タンガロア神の息子の初代のTu’i tonga王の名前をとり、’Aho’eituと名づけられたそうです。この話を聞いて、感動しました。

その最初の王’Aho’eituが王となった土地はSiaといいSia Complexという遺跡として残っています。

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今日行ってみると残念ながら全く手入れがされておらず、円形の石積みが確認できませんでした。

Siaコンプレックスは10個前後の円形の石積みが広く平地に配置されており、プレアデス星団と配置が一致するという話もあります。

タンガロアが空の神であることを考えると、何らかの関連性があるようで、好奇心を掻き立てられます。

しかし、この大切な遺跡が管理されていないのはとても残念です。地域密着型ツーリズムを通じて将来世代に継承してほしいと強く願います。
トンガ!! [2023年11月03日(Fri)]

今日も観光局を訪れ、昨年11月のクック以来のシマタさん。10数年前名古屋大に留学していたそうです。
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観光局を出ると、バス停に犬バス。路線バスになってるみたいです。

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偶然、犬バスに犬
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その後、いくつか仕事をして夕食に向かいました。

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ガソリン代は1リットル、3.79パアンガ、275円。高い!

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先が見えない…。

南部の村のコミュニティにあるレストランKatea Retreet。コミュニティの農産物や魚が使われ、ユースもダンスで参加。

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カバ

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男は力強く

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女性はゆったりとしなやかに

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6月か7月の日本での留学生会議準備会議以来、また会えてよかった。左からマバエ、メレ、友人のハイシニさん。
休憩中 [2023年11月03日(Fri)]

今日も急な連絡とミーティングでトンガの皆さんに助けられています。押すのは苦手なのですが、少し押し気味で何とか期待以上の滞在となっています。
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マヌ教育次官代理

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トンガ国立大

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外務省

今日は金曜、週最後の1日なので東京との仕事もどんどん進めようと思っていたのですが、今日は休みだったんですね。忘れていました。

今回、6年ぶりのトンガですが、総じて、よそ者感から少しだけ中に踏み込めた気がします。

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午後に備えましょう。
トンガ! [2023年11月02日(Thu)]

今日は、体がキツく、なかなかベッドから起き上がれなかったのですが、急にいくつかミーティングが決まり、慌てて対応しました。ありがたい。


教育省のあと、前回の訪問時(2017.7)はまだ周辺を含め開発途上だった埠頭周辺でクルーズ船の観光客の動きや経済活動を観察し(シムシティをイメージ)、ランチ。

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バス乗り場

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オランダ船っぽい

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2017年(コロナ前、火山・津波前)と比べても活気があり、町の雰囲気が明るい印象です。2010年代はまだ民主化運動の影響を引きずり、政治の影が感じられました。今は、細かな政治の変化はあるでしょうが、国全体としては国王の下で安定しているのではないでしょうか。時代が変わったのだと思います。

ホテルでは結婚式。トンガでは火曜、木曜、月初めに結婚式を挙げる習慣があるとかないとか。

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その後、今年の若手実務者フォーラム(留学生会議)で協力してもらったメレさんに会いに人事院に行き、次官とも話をしました。

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左がメレさんで右が元留学生のマンギシさん

次に、その足で観光省に行き、次官(CEO)と職員に対して、地域密着型エコツーリズムのプレゼンを行いました。

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次官のビリアメさんは、2週間前にタヒチで会っていたので話が早い。ちょうどトンガとしての持続可能な観光5年プランづくりを始めたというところで、良いタイミングだったようです。

それぞれ社会構造も経済構造も観光部門の発展度合いも異なるので、国ごとに形は変わってきますが、コアの考え方は共通して活用できるようです。


さて、昨日、PNGでのワークショップにオンラインで参加し、プレゼンを行ったのですが、宿に戻るとそのプロジェクトを担当しているセリアさんから以下の内容の連絡がありました。

「あなたは、他のスピーカーがシェアしたものとはまったく異なるプロジェクトをシェアし、多くの人が写真を撮ったり、その後、あなたの事例について話したりしていました。  経済活動にとって、現地の文化がいかに重要であるか、また、それがいかに深く考慮されているかについてあなたが話した部分は特に好評で、PNGのような場所では、これは非常に高く評価されています。」

こういった反応があるとやる気が高まります。パラオのみんなが高い意識でオーナーシップを持って粘り強く続けてくれているおかげです。

そのイベントのテーマは、ジェンダーとブルーエコノミーの観点による投資だったのですが、自分は昨今のファッション化しつつあるブルーエコノミーという言葉に強い違和感を持っています。小島嶼国が言い出したグリーンエコノミーに対するブルーエコノミーの概念が、先進国が異なる意味で使い始めた結果、今では海に関係していたり海洋資源を使う経済も含むように変わりました。

自分が持っているブルエコの概念は2012年から2015年のフィジーでの議論に基づいています。

2012年のリオ+20の後、自分たちは海洋島嶼国なのだからグリーンエコノミーではなくブルー・グリーンエコノミーだと、いかに陸域と海洋の資源を持続的に活用しながら持続的な経済を実現できるかという議論を、ポストMDGs、すなわち今のSDGsと絡めて2015年の8月頃までフィジーで行っていました。ヤウボリ大使(当時は外務次官)や故リティア・マウィ大使と真剣に議論していたことを思い出します。

今回あえて概念の共有として元のブルー・グリーンエコノミーという言葉を使ったところ、セリアさんもその言葉を使ってくれました。パプアニューギニアなど陸域が大きいので、ブルー・グリーンがふさわしい。
トンガ [2023年11月01日(Wed)]

昨晩、トンガに入りました。
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コロナ後、そしてフンガトンガ・フンガハアパイ火山の噴火以降、初めてのトンガで、通算2回目か3回目になります。

今回の主な目的は地域密着型エコツーリズム導入の可能性を探ることにありますが、基本的に現地の伝手で一つの村の状況を確認したいと思っています。

午前中は宗永特命全権大使にお時間をいただき、興味深い話を伺うことができました。

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コロナ禍、火山災害という厳しい時期の話や、率直な内容はとても刺激的であり、いつの間にか自分は古い考えにはまっていたことに気づきました。今後活動していく上で大変勉強になりました。

午後はパプアニューギニアで開催されているワークショップにオンラインで参加したのですが、ネット環境が不安定で、現地の状況も分からないまま(どこまで、どのように聞こえていたのかもわからないという…)、話し続けました。

地域密着型エコツーリズムを普段と異なる切り口で話すことになったため、資料作成に結構時間がかかったものの今後の展開に関するヒントをいただけたと思います。

タヒチ、アピア、オークランド、ヌクアロファと訪問してきましたが、現地に入らないとわからないことが多いということを実感しています。
トンガの友人 [2022年06月22日(Wed)]

以前ここに書いたトンガの友人。
3月には精神的にまいっていて、助けを求めてきたことがあり、5万円ほど送金したことがありました。

その友人が、数日前写真を送ってきました。

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何と!友人たちと家族のために家を作っています!!

働き者で、タフ。かえって勇気をもらった感じがします。3月の絶望的な状況からは考えられない。父、強し。

いつかまたトンガに行って、一緒にカバを飲みながら、ゆったりといろいろな話を聞きたい。友人の家族とも一緒にご飯を食べたい。そんな風に思います。
トンガの友人、強い。 [2022年06月04日(Sat)]

今朝、時差を気にしないトンガの友人から連絡がありました。

3月ごろ、「もうだめだ、助けてくれ」と、普段弱音を見せないその友人から連絡があり、個人でできる範囲で5万円ほど送ったということがありました。もともと、貧しい家庭ではなく、ヌクアロファの一般的な平民の人です。

何年か前、サイクロンの被害の時にも同じ額を送ったのですが、その時には、家の屋根の修理や、新たにコミュニティで農業を始めるというきっかけになったようでした。

せっかく農業を始め、収穫したタロイモなどを売れるようになったのですが、1月の火山噴火後、畑がだめになってしまい、新型コロナウイルスに対するロックダウンもあり、精神的に落ち込んだのが3月だったのだと思います。

それで、今朝2〜3か月ぶりに連絡があり、現地時間で8時ごろ、日本時間で5時ごろでしたが、コミュニティの人々とブロック塀を積み上げて何やら新しい住居をつくっている様子。また、中古のワゴン車(おそらく日本から調達したもの)も見せてくれました。

おそらくビジネスを再開しようとしているのでしょう。ともかく、元気に復活してよかった。子供も中学、高校にいたと思うので、一家を支えるお父さんは強くなければ。もともと強い意志の持ち主で、アイデアマンでもある感じだったので、ほっといても何とかしたでしょう。ただ、お金を送ったことよりも(これにも感謝はしていましたが)、遠くにいる日本人の自分が彼と彼の家族を気にかけているということを示したことが意味を持っていたようでした。

まあ、生きていれば何でも起こりうるし、ある事象の後にどちらに転ぶかはわかりません。今回、その友人の場合は良い方向に向かい、そのことが自分の気持ちも高めてくれました。

支援ではなく投資している気持ちになります。


また、昨日は、フィジーにいる別のトンガ人の友人が忙しい中、連絡をくれ、頼んでもいないのにいろいろと助けてくれました。気にかけてくれてありがたい。
トンガの友人 [2022年04月02日(Sat)]

トンガでは、コロナ対策のロックダウンが続いています。
先日、現地の友人に様子を聞いたところ、農地は火山灰でやられ、ロックダウンで商売もできず、家族で部屋にこもり、非常に苦しいと、これまでにない悲壮感が伝わってきました。

このタイミングかと思い、2週間程度の生活費を送りました。

土曜には、町に出られるということで、今日受け取りに行ったようで、今朝早く(向こうは3時間進んでる)、メッセンジャーのビデオ通話で起こされました。(昨晩はいつの間にかソファーで寝てしまっていた)

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まあ、先日より強さを取り戻し、声にハリが戻っていたので、しばらくは大丈夫でしょう。

お返しという意味だと思いますが、自分が死ぬまで小さな土地を貸してくれると言っていました。何か現地と繋がりができるようで、ありがたく気持ちをいただきました。

農業も再開すると言っていたので、数週間後、また様子を確認してみましょう。
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